とりビーな毎日

中年おやじの映画鑑賞メインの趣味の記録です

東福寺展(東京国立博物館)

2023-05-06 23:51:00 | 博物館
東京国立博物館で開催の「特別展 東福寺」を鑑賞。

東福寺と言えば、京都の紅葉の名所として有名である。
その東福寺の寺宝をまとめて紹介する初の展示というのが本展の見所だ。

鍵となる人物が、開山の聖一国師(円爾:1202年-1280年)と絵仏師の吉山明兆(1352年-1431年)だ。
聖一国師とその弟子たちが、中国から持ち帰った品々と、吉山明兆が描いた「五百羅漢図」が寺宝の中心を成す。

本展で、初めて遺偈(ゆいげ)というものを知ることができた。
遺偈とは高僧が臨終に際し、生涯を顧みて、弟子に残す教えだ。
聖一国師は、最後の言葉をしたため終わるや、筆を投げて、息を引き取ったらしい。

本展を見ると、秋に東福寺を訪れたくなる。
歴史の重みを感じながら、訪れてみたいものだ。



実物大で再現された通天橋

文京区立森鴎外記念館

2022-10-01 23:00:00 | 博物館
文京区立森鴎外記念館にて、企画展「鴎外の東京の住まい」を鑑賞。

森鴎外記念館はかつて森鴎外の住まいだった土地に建てられている。
かつては、二階から東京湾が見渡せたので、「観潮楼」と鴎外自ら名付けたらしい。

そんな鴎外の東京での住まいの遍歴と最後の住まいとなった「観潮楼」が森鴎外記念館になるまでの経緯が説明されている。

記念館の地下一階が展示室で、一階に受付とカフェがある。
海が見えるのか確認したいなと思ったが、二階の図書室はコロナにより事前予約制となっており入れず。
まわりはマンションだらけなので、恐らくは見えないと思うが。

ただ、すごく気持ちのよい空間で、今度はカフェでゆっくりコーヒーでも嗜みたい。




ポンペイ展(東京国立博物館)

2022-02-12 23:59:00 | 博物館
東京国立博物館にて、ポンペイ展を鑑賞。

街がまるごと火山噴出物に埋まってしまったことは悲劇だが、約2千年前の生活の様子がそのまま残っている。
大災害が起こり、遺構がそのまま残っていたのは、危険な場所ということが伝承され、人々が立ち入らなかったということもあるだろう。

熱に強いフレスコやモザイクが多く残っているのは、偶然ではなく、財産として残りやすいものを作っていたからだろうか。


最澄と天台宗のすべて(東京国立博物館)

2021-11-06 22:30:00 | 博物館
東京国立博物館にて開催の伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」を鑑賞。

最澄は天台宗の開祖で比叡山延暦寺を創建し、高野山金剛峰寺を開いた真言宗の開祖空海と並び称される。
二人とも中国に渡って仏教を学び、日本に持ち帰って、日本の仏教普及の礎を築いた人だ。
最澄と平安遷都を行った桓武天皇との関係の強さから、現代に至るまで、延暦寺と皇室の関係は深い。
比叡山は京都の鬼門の方角となる北東に位置しており、延暦寺は京都を守護する寺院とも言われる。
ただ、延暦寺というと、僧兵であったり、織田信長の焼き討ちであったり、京都に近いだけに政治的なイメージが強い。
最澄から始まって、どういう経緯で世俗との関係を強めていったのかに興味がいく。

最澄の教えは「あらゆる人々を救う」ことであった。
平安時代の後半に、延暦寺への貴族からの支持が広まり、興隆するようになる。
末法思想と相まって、仏教が死後に極楽浄土へ行くための手段になっていったように感じた。
生前の信心の大きさを寺院を経済的に支援することで示すようになっていったのも人間の性だろう。
「あらゆる人々を救う」ためには教えを広める必要があるが、教えが広まると、経済的な力も大きくなる。
世俗的な誘惑が大きく、それに負けないために、千日回峰行のような極端に厳しい修行が行われ、信者へのアピールが必要だったのだろうか。

現代人は、いくら寺院を立てたり、仏像を作っても、それが直接的に「あらゆる人々を救う」ことにならないことがわかっている。
心身を痛めつける修行自体に大きな意味があるとも思えない。
乗り越えたらすごく大きな自信になるとは思うが。

「あらゆる人々を救う」のは難しいが、純粋にその思いを実現するために行動した人がいたことは多くの人に勇気を与える。




桃山 天下人の100年(東京国立博物館)

2020-10-23 23:30:00 | 博物館
東京国立博物館にて、
「桃山 天下人の100年」を鑑賞。

室町幕府の滅亡(1573年)から、
江戸幕府の開府(1603年)までの
安土桃山時代の前後に花開いた
「桃山美術」の名品をたどりつつ、
日本人の美意識を捉える展示である。

「桃山美術」の特徴は、
時代の気風にのって
豪壮かつ華美であることだ。
そのカウンターカルチャーとして、
茶の湯のような侘び寂びを貴ぶ文化も
発展した。

また、航海技術の発展により、
これまでは中国経由で
外国文化に触れていた日本文化が、
西洋の影響を直接的に受けるように
なったことも大きな変化だ。

言ってみれば、社会の急激な変化の中で、
カオス状態から生き残ったものが、
この時代の文化と言えるかもしれない。

そんな中、異彩を放っていたのが、
長谷川等伯の「松林図屏風」だ。
世間の喧騒から離れて、
束の間、この画を眺めていると、
時が止まったような感覚になる。
自分だけが雪の中に存在している寂寥感、
いずれ自分も雪の中に溶けて無に帰る、
そういった普遍的な人間存在の無力さを
表しているようにも思える。
逆に、自分の無力さを自覚することで、
やれることをやるしかないと開き直れる。
人間そのものであったり、
芸術を含めた人間の営みの本質を
突き付ける鋭さもある。
静寂の中に狂気を孕んでいる恐さがある。
時代の流れであった豪壮、華美とは
逆方向の作品だが、
奇をてらった訳ではなく、
生まれるべくして生まれた作品と思える。

いいものはいい、というのが感想だ。