とりビーな毎日

中年おやじの映画鑑賞メインの趣味の記録です

広島 vs ヤクルト(神宮球場 2018/7/31)バティスタ、安部の快打で勝利

2018-07-31 23:59:00 | 野球観戦
1時間遅れで、4回表に球場到着。1-2でヤクルトが1点リードの展開。

カープの先発投手はジョンソン。ヤクルトは小川。
初回に松山のタイムリーでカープが先制するも、山田哲人と川端のタイムリーでヤクルトが逆転。

4回表に安部のスリーベースで同点。
ジョンソンは2回以降は立ち直り、4回に中村に簡単にストライクを取りにいったところを合わされた1安打のみ。

6回表のカープの攻撃。
誠也内野安打、松山四球のあと、バティスタがあわやホームランのレフトフェンス直撃のツーベースで勝ち越し。3-2。
なおもノーアウト、2塁、3塁のチャンスで、安部セカンドゴロで1アウト。
石原にはそのまま打たせて、ショートフライ。
ジョンソンに代打で、新井もショートフライ。

石原のところで代打の手もあったように思えたが、
石原が犠牲フライでも、2点リードで、ジョンソン続投の肚が緒方監督にあったということだろう。

カープは6回は一岡、7回は永川が抑えて、8回表の攻撃。
ヤクルトのピッチャーは近藤。
先頭のバティスタがレフトオーバのツーベースで出塁。
ここで安部が右中間へのホームラン。5-2。
石原、ショートゴロ。永川の代打メヒアもショートゴロ。
このあと、田中広輔がバックスクリーンへのホームランで、6-2。

快勝ムードが漂う中、8回裏からフランスアが登板。
150km超えのストレートで、バレンティン三振、塩見サードゴロ、川端三振でピシャリ。

9回裏もフランスアでいいように思ったが、満を持して中崎が登板。
西浦三振のあと、代打の畠山にライト線へツーベースを打たれ、さらに代打の谷内にタイムリーを浴び、6-3。
坂口は田中広輔のグラブを弾くレフト前ヒット。
青木はレフトへのファールフライで、2アウト、1塁、2塁で山田哲人。

際どいハーフスイングがあったが、山田哲人は執念の内野安打で満塁。
迎えるバッターはバレンティン。満塁ホームランが出ればサヨナラの場面。

中崎は真っ向勝負でバレンティンをセカンドゴロに打ち取り、ゲームセット。

最後は、ハラハラしたが、中継ぎ投手の差が出た形で、快勝。
優勝へ一歩、近付いた。






「ジュラシック・ワールド/炎の王国」(ねたばれ注意)

2018-07-14 23:15:00 | 映画
そんなに簡単に危険物が密輸できるの、というツッコミは置いといて、
世の中、何が起こるかわからないが、人間はあらゆることに順応してしまうということかなと。
スピルバーグの楽観的なメッセージが伝わってきた気がする。

エンターテインメント作品としては最高ではないだろうか。
恐竜を影だけで表現したり、あたかも人間のように窓を開けさせたり、ホラー映画としての面白さも詰まっている。

また、さりげなく科学に警鐘を鳴らしているところがスピルバーグらしい。
女の子がクローンだったというのも、ある種のホラーだ。
そりゃ、恐竜をつくれるぐないなら、技術的には人間の方がつくりやすいはずだし、当然やるだろうことは想像に難くない。

この世の中自体を「ジュラシック・ワールド」にして、締めくくるというのは原作のアイデアなのだろうか。
映画の世界だからこそ、観る人の想像力をかき立てるオチに満足。

点数は、8点(10点満点)。

タイトル:ジュラシック・ワールド/炎の王国
原題:JURASSIC WORLD: FALLEN KINGDOM
製作年:2018年
製作国:アメリカ
配給:東宝東和
監督:Juan Antonio Bayona
主演:Chris Pratt、Bryce Dallas Howard
他出演者:B. D. Wong、James Cromwell、Ted Levine、Justice Smith、Geraldine Chaplin、Daniella Pineda、Toby Jones、Rafe Spall、Jeff Goldblum
上映時間:128分


ミラクル エッシャー展(上野の森美術館 2018/7/29まで)

2018-07-04 23:30:00 | 美術館
上野の森美術館で開催中の「ミラクル エッシャー展」を鑑賞。
音声ガイドが、バカリズムというのも、見所(聴き所)の一つだ。

エッシャーの作品を、科学、聖書、風景、人物、広告、技法、反射、錯覚の八つの観点で分類して紹介している。

最近、注目されているのは、作品に秘められている、デザイン性とメッセージ性に、時代が追いついてきたからではないか。
ぱっと見、単純な繰り返しであったり、幾何学的な表現の中に、反戦や反骨の生き様が見える気がするところに味がある。

50歳ぐらいまでは売れずに、親戚に援助を乞い、作品を生み出し続けたらしい。
版画の版木の作成から刷るところまでを一人でやったというところも、
拘りではなくて、他人と関わって、頼むことができなかったかららしい。
それが、結果的には独自の表現を生み出すことになったのだが。

仮にエッシャーがコミュニケーション力に恵まれていたら、こういう作品には辿り着かなかったかもしれないが、
もっと、作品の構想だけに集中して、凄い作品ができていたのかもしれない。

すばらしい偶然であり、必然だ。