愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

もうルイを護ろうとしなくてもいいよ

2011-10-26 23:49:12 | シェラの日々
☆カラーを抜いて逃げるなんて 

 昨日の朝の散歩からルイをシェラと一緒に歩かせている。ほんとうは最後のワクチンが終わる月末以降ということだが、片道で100メートルほどの距離だし、汚い場所もない。むぎの散歩デビューのときもワクチン前に連れていっていた。
 
 むぎのときは、散歩に出るシェラとぼくを廊下の向こうの扉のガラス越しにいつも眺めていた。吠えたりせずに小さなガラス窓からじっと見ているだけではあったが、すでにシェラにべったりのパピィになっていたので、「一緒にいきたいなぁ」という気持ちを毎日感じていたものだった。
 
 置きざりにしていくのが不憫で、ある朝、むぎにもリードをつけて連れ出した。わき目もふらず、むぎは一心不乱に歩いた。ひたすらまっすぐに……。リードコントロールもすぐに覚えてくれた。以来、散歩中、むぎで苦労したことはない。常に素直にいうことをきいてくれた。


並んで歩くシェラとむぎ(シェラは悲惨なトラ刈りサマーバージョン)
 
 ときどきいうことをきかずに苦労しているのはシェラのほうである。いざとなると実に巧みにカラーを抜いてしまう。もっとも、むぎがいたときは、シェラがカラーを抜くと、むぎもシェラに倣い、瞬間的にカラーを抜いてぼくを慌てさせた。
 カラーを抜いたからといって、シェラもむぎも走って逃げるようなことはなく、その場にいてくれたので危険な目には遭わずにきた。
 
☆今朝のシェラはご機嫌ナナメ 


 それが今朝のシェラはカラーを抜くと道路の向こうへ逃げていってしまったのである。一方通行の道路とはいえ、バスもくる道である。さすがに慌てた。追いすがり、カラーをはめようとしたが、抵抗するではないか。シェラには考えられない反応だった。
 
 カラーを抜いたのはルイが嫌だったからである。ルイが跳びついたわけではない。ただ、一緒に歩くのを嫌った挙句の行動だった。
 シェラは怒っていた。というのも、その直前に、よその二匹のわんこにルイが跳びついて遊んでいたからだった。ハラハラしながら(たぶん)見ていたシェラは、途中でガマンできなくなってルイとよそのわんこたちが遊ぶ姿に飛びつかんばかりの迫力で吠えた。あちらの飼主さんたちが驚いて引き離したくらいである。
 
 それでシェラの機嫌が見るからに悪くなった。散歩の間中、ずっと不機嫌だった。
 マンション構内の移動に使うクレートにも、昨日から一緒に乗せている。ルイを乗せれば、ルイががなにかしているわけではないのに吠えるのは昨日も同じだったが、今朝の帰りは特に吠え方が烈しい。
 部屋の前まで戻り、何枚か写真をとってみたら、上のようにどのカットのシェラも険しい顔で写っていた。

 昨日のシェラは下のような顔でも写っている。昨日と今日とでは目の表情がまるで違っていた。今朝のご機嫌ナナメぶりがよくわかった。


☆シェラ、わかってくれ! 

 むぎは人間にフレンドリーなわんこだった。ほかの犬が寄ってきても、そのわんこを素通りしてあちらの飼主のところへいって撫でてもらっていた。その時間が長引くと、心配したシェラがむぎに振られてぼんやりしているわんこに吠えつき、蹴散らして、「むぎ、戻ってらっしゃい!」と騒ぐのである。
 
 シェラの性格を知らない人は、シェラが「嫉妬してる」というが、そうではない。むぎのことが心配なだけなのである。どだい、よその人に自分が撫でられるなんて、シェラにとってはあり得ないことだったのだから。 
 きっと、ルイのことも、心配だったのだろう。

 シェラ、その気持ち、よくわかるよ。
 でもな、ルイは犬社会で社交的なわんこになってくれないと困るんだ。それに、ルイは自分で自分も守れるわんこになってくれないと……。

 おまえに襲いかかったよその犬から父さんは何度かおまえを護ってやった。同じようにおまえはむぎを護ってくれた。だけど、もう、いつまでもおまえがむぎのようにルイを護ってやれるわけじゃない。父さんも同じだ。

 ルイには、自分の力と知恵で犬社会を生き抜いてくれないと困るんだ。だから、ルイがよそのわんこと仲良くするのをガマンしてくれ。



老犬もこんなに順応性が高かったとは

2011-10-25 23:32:24 | シェラの日々
☆もう仲間だね


 突貫小僧ルイの毎日に、ぼくも家人も、そして、シェラも翻弄されているが、順応性の高さでは人間のぼくらよりも老犬のシェラのほうが圧倒的に上である。
 ルイを見ているとわんこの成長の早さに驚く。日々、目に見えて進化しているからだ。歳をとるだけでなく、大人になる速度もまた人間の三倍、いや、それ以上のものがある。それに対応し、つきあってやる老犬の柔軟性にも感心する。

 ルイが日々、昨日のルイではなくなっているように、シェラもまたルイに対して昨日のシェラではない。ちゃんと順応し、群れの仲間として迎え入れる準備を少しずつ整えている。
 もし、ルイがいまは亡きむぎのようなおとなしいパピィだったら、とっくに仲間と認め、面倒を見ているだろう。

 シェラがどんな面倒を見ているかといえば、自分のそばにいることを拒まない態度に変わったことである。そして、すでにいま、もし、外敵からの攻撃を受けたら自分が楯になってでもルイを護ろうとする姿勢を感じる。

☆怒られるのもルイには遊び


 散歩のとき、シェラはルイが自分のすぐ横を歩くことを認めている。もうずっと以前からそうやってきたかのような自然な姿である。
 ただ、ルイが、「遊ぼうよ」とばかり、跳びつくのは嫌っている。見ているだけでも煩わしかろうと思う。もっと若いときのシェラであってもこれは拒否しただろう。

 シェラが、むぎを相手にくんずほぐれつ遊ぶのは、たとえば、雪原であったり、広い原っぱであったり、ともかく、とっても気分がよくて、だれにも邪魔されずに遊べるときだけだった。ぼくたちも、シェラとむぎがわんこらしく遊んでいる姿をそうそう何度も見ているわけではない。
 
 ルイにしてみれば、ぼくに怒られているときも遊んでもらっていると錯覚するくらいだから、跳びついてシェラに「やめなさい!」と吠えられ、叱られても、ますます喜んで走りまわり、また跳びついていくだけだ。目の前にいるシェラは恰好の遊び相手でしかないのである。

 むぎにはそんな突貫精神がなく、ただ、シェラのそばに身を寄せていれば幸せだったから基本的には静かな関係を維持することができた。
 ルイにしても、シェラに跳びつく幼児性がなくなれば、シェラとの普通の関係になれるだろう。ただし、ルイがシェラよりも上位を狙っての闘争がはじまらなければという前提がある。

☆いつまで一緒にいられるだろうか


 オス犬の強さに圧倒されっぱなしの家人は、「去勢するとおとなしくなるかもしれない」と友人から聞きつけてきて、いまはひたすらその時期の到来を待ち望んでいる。
 家人のためにも、シェラのためにも、そして、ルイ自身のためにも去勢はやったほうがいいとぼくも理性では理解できるのだが、同じオス同士として、何か身を切られるような痛みを感じてしまう。

 ぼくにとっては、ルイのいかにも男の子らしい溌剌としたワンパクぶりは好ましく、この子を躾けていくことが楽しいだけに、なんとも複雑な思いでいる。
 だが、ルイに性的な不要のストレスをためるより、また、病気のリスクを軽減するためにも、そして、家族の平穏のために、やっぱりおとなしいルイにしてしまうほうがいいのだろう。
 
 ルイが時間を駆け抜けて、いつかぼくたちの老いに追いつき、一緒に老後を送る日を迎えるためにも……。
 もっとも、ルイがシェラのような老犬になるまでぼくのほうが生き永らえることができるかどうかあぶなっかしいのが不安でならない。死ぬのが怖いのではなくて、むぎや、いずれ旅発つシェラの元へルイを残して先にいってしまうのが心残りなのである。


むぎを濃密に感じる

2011-10-24 23:34:48 | 残されて
☆二台のわんこカート


 クルマの後方のラゲッジスペースに常時二台のわんこ用のバギーカートを積んでいる。シェラとルイのためである。休日にどこかへ出かけたときに重宝する。ルイがきてから増えた外出用の荷物も積めるし、シェラが途中で疲れたらすぐに乗せてやれる。
 ルイが使っているのはむぎに買ってやったものである。買ったのは、むぎの死の直前だった。

 梅雨が明け、夏を迎えるとシェラがバテた。足元がおぼつかなくなり、いままで歩いていた散歩コースを歩けなくなった。普段の散歩は、家の近所の短い距離をゆったりと歩くスタイルに変わっていたが、週末ごとのお出かけ散歩に限界を感じていた。
 そんな矢先、近所のアウトレットモールでバギーカートに大型犬が乗せられているのを見た。これならシェラも乗せてやれる。すぐにモール内のペットショップへ向かった。

 小型犬のみならず、中型犬、大型犬用サイズのカートがあるのをはじめて知った。さっそく、シェラ用のカートを買い求めた。
 シェラが乗ってくれないかもしれなとの危惧はあったが、豈図らんや抱きかかえて乗せてみると落ち着いて乗ってくれているではないか。暑さにバテ、歩き疲れていたからでもあったろう。これなら、お出かけ散歩でバテたら、クルマまで乗せてやれるし、夏の太陽で灼けた路面からの輻射熱からも護ってやれる。なぜもっと早く気づかなかったのだろう。

☆むぎにも買ってやろう


 シェラを乗せたカートの脇をむぎがトコトコとついてくる。いつも決まってシェラの横を歩いているのにひとりで歩かされている姿がなんとも不憫だった。ぼくたちは、すぐにペットショップへ戻り、むぎ用のカートも買った。
 カートの上でシェラはホッとした顔を見せ、むぎは「ラッキー!」とでもいわんばかりのうれしそうな顔で乗っていた。

 むぎがこのカートを使ったのはこの日一度だけ、ショップから駐車場までのほんの数分足らずだった。それから5日後にむぎは帰らぬわんこになってしまった。上の写真は、はからずもむぎの最後の写真になってしまった。
 乗れたのはたった数分だったけど、むぎにもカートを買ってやれてよかったとぼくは自分を慰めてきた。むろん、なぜもっと早く買ってやらなかったのだろうとの悔いは残った。しかし、あの日、むぎにはまだ早いと見送っていたらきっともっと烈しい悔いが残ったに違いない。

 実際、ほんとうはもっと早く買ってやるべきだった。きっと、むぎは辛いのをがまんして歩いていたのだろう。そういう子だった。
 歩いて弱音を吐いたことが一度もなかった。シェラと違って途中でバテて、座りこんだりする姿を見せない子だった。短い脚でどこまでもシェラについてきた。根性のある子だった。それが命取りになった。


もう歩きたくないというシェラのほうへ戻っていくむぎ(年越しキャンプにて)


☆カートの中から……

 あの日も辛さを隠して散歩につきあったのを家に戻ってからぼくは知った。いかにも苦しげな姿に医者へ連れていこうと思ったのである。
 あの朝の散歩を途中で引き返していたら、死なせずにすんだかもしれない。ぼくはいまも悔いている。

 むぎという主のなくなったカートだったが、ルイに使わせることにした。
 折りたたんであるカートを開いてみたら中からむぎの毛が出てきた。それを手にしたとき、思わずこみ上げてきた熱いもので目がかすんだ。
 「ごめんよ、むぎ……」
 ぼくの不注意で死なせてしまった悔恨が湧き上がり、またむぎに詫びた。

 休日、ルイをカート乗せてショッピングセンターなどへ出かけると、そこにむぎを濃密に感じる。むぎも一緒に入っているような錯覚がぼくにはとってもうれしい。まだむぎを感じることができる。
 「このカートなら、歩いても辛くないだろ」
 心の中でむぎに語りかける。ぼくにしか見えないむぎがうれしそうな表情で応えてくれる。


シェラより先に逝くことができてよかったね

2011-10-23 22:57:22 | シェラの日々
☆変わらざるをえないシェラ



 昨日から今日にかけてのシェラの変貌ぶりには目を瞠(みは)るものがある。ルイに対する素振りの変化である。
 昨日、クルマの中で、ルイがまるで母犬に対するようにシェラにまとわりついたことで、シェラの中でも弾けたものがあったみたいだ。シェラに対したときのルイの傍若無人なまでの振る舞い方もよかったのだろう。シェラから拒絶されても臆することなく無防備でからんでいくことが、シェラを辟易させながら、すっかり「もうどうでもいいや」みたいな感覚を生じさせてしまったみたいである。
 
 今日の散歩でも、シェラとルイの関係の大きな進歩を知ることができた。
 ルイがリードに慣れたこと以上に、シェラがルイの存在に斟酌しなくなった。跳びつかれても怒らないでやらせている。むろん、いやいやながらではあろうけど……。そうやって15分ほど公園を散歩することができた。

 公園に面してあるパン屋さんがやっているレストランのテラスでランチとなった。テラス席に落ち着いたと同時にルイがシェラの上に乗っかってしまい、それを見て思わず焦った。
 以前、ぼくがふざけてむぎの両前肢をシェラの背中に乗せたら激怒されたことがある。あのむぎであってもシェラは許さなかったのである。新入りのチビ助のルイがやったらどれだけ怒るかわからない……と、咄嗟に思い、慌てたのである。

☆シェラ、疲れたよな 



 だが、ルイが乗っかってもシェラはまるで怒らず、やらせていた。最後はルイのしつこさに吠えて怒ってしまったが、数年前のむぎのときのような本気の怒りではなかった。これは驚きだった。
 わんこにとって、身体の上に乗られるのは、自分が下位になったことを意味するという。ぼくがやらせたとはいえ、むぎを怒ったのもそんなわんこ意識のあらわれであろう。 
 ぼくがシェラに覆いかぶさるようにして乗ると、シェラが低く唸っていることがあるが、これはどうやら、怖いかららしく、怒りの拒否とはニュアンスが異なるようだ。
 
 今日も夕方の散歩は出先で行った。むろん、ルイも一緒である。ルイが遊びを仕掛けるが、やっぱり大儀そうで安易に誘いには乗らない。そんな繰り返しの週末だった。
 ぼくは無責任にもふたりの様子を眺めているだけでも楽しい。

 シェラはさぞ疲れただろう。すでに爆睡している。年とってからの子育てはわんこにとってもなかなかにしんどいものがあるようだ。
 これがシェラではなく、むぎだったらどうしただろうかと、ふと思う。戸惑い、どうしていいかわからずにパニックになってしまったかもしれない。
 
 遺されたのがむぎじゃなくてよかった――家人とぼくは、クルマの中できょうもまたそんな話をしてむぎの死を肯定し、納得しようとした。
 

シェラはやっぱりママなのか

2011-10-22 23:50:41 | シェラとルイの日々
☆シェラに怯まないルイ 


 昼ごろまで雨が降っていた土曜日だったが、午後になって日差しを得た。ランチを兼ねて二子玉川のショッピングモールでひとしきり遊んだあと、家人の仕事の都合で夕方のひととき、ぼくがシェラとルイの面倒をみることになった。
 家の近くの大型スーパーの前に広がる公園は午前中の雨に洗われて一見きれいになっている。シェラはまだ濡れている草の上を歩いていた。雨上がりということで、ルイにもリードをつけ舗装された歩道を歩かせた。
 
 クルマで移動中は、シェラのストレスを考え、ルイは折り畳みの簡易クレートに入れてある。しかし、散歩のときにもうシェラを追っていなかったので安心してリアシートにふたりを並べた。
 ルイのリードは短くして、シェラに直接届かないようにはしておいたつもりだった。それでも用意している最中にルイはシェラの頭の上に乗っていったりしている。だが、シェラは困惑の表情ではあっても吠えて威嚇したりしなかった。
 
 スーパーでわんこ用のガムとルイのためのシャンプーを買ってクルマへ戻ると家人から電話があった。用事が終わったので迎えにきてほしいと……。ほんの十分ほどの距離である。リアシートのシェラとルイたちをそのままで、クルマを駐車場から出して、家人の店へ向かった。
 うしろでシェラが、呼吸を荒くして弱々しく吠える。ルイが何か悪さをしているのはわかるが、リードの長さからいってシェラにじゅうぶん届くはずがない。

☆迷惑だからなんとかして! 


 信号で停車したときに振り向いてぼくは思わず吹き出してしまった。ルイが寝転んで、シェラの胸の下に顔を突っ込み甘えているではないか。明らかにシェラは困惑していた。
 家人が出てくるのを待ちながら見ていると、どうやら、ルイはシェラのオッパイを探しているように見えてしまうが、こればかっかりはルイに訊いてみないとわからない。
 
 ただ、明らかに仔犬が母犬に甘えてじゃれている風情である。
 シェラも、ルイが自分に邪心がないのがわかるのか、怒りはせず、ただ、迷惑だからなんとかしてとぼくに訴えていた。
 
 そうか、ルイがシェラの首に跳びつくのは、単に母犬へじゃれているつもりだったのか。それがようやくわかった。
 むぎも目の前のシェラを母犬と思い、まさに死ぬ直前まで頼っていた。ルイと同じくらいのころのむぎは、寝ているシェラの尻尾の先っぽに顎を乗せてシェラの反応をうかがい、日を追って少しずつ上に上がっていって、あとはいつも横に張りつくようになった。
 
☆ルイもシェラを頼ってる 

 むぎはクルマの中では、シェラのお腹の下に入り込み、シェラの前脚の間から顔を出し、シェラもまた、それを許していた。そんな姿勢を1時間でも2時間でも続け、シェラはずっと座った姿勢を崩せずにいたものだ。
 
 さすがに、ルイがむぎに代わってお腹の下に入り込める体力の余裕がすでにシェラにはないが、もう少しルイのほうが落ち着いてくれば、シェラの母性に頼れる部分が多少は残っているかもしれない。
 
 シェラには迷惑だろうが、それが刺激になって元気を維持してくれるといいのにとぼくは勝手なことを考えてしまう。