愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

むぎにやっぱり会いたくなって

2011-10-21 23:49:23 | 残されて
☆家に帰ると待っているのは 



 7月の突然のむぎの旅立ち以来、わが家に生まれたぽっかりと暗くて深い穴を埋めるべく、パピィのコーギーがやってきて三週間になろうとしている。
 エネルギッシュで、やんちゃで、向こう見ずで、およそ懲りないちっちゃなオス犬ルイ(写真=上)にぼくも家人も振りまわされっぱなしの三週間でもあった。怒り切れない家人など、まだ生まれて三か月になるやならずの仔犬にすっかり見透かされてしまい、手、腕、足を噛まれて傷だらけになっている。傷は、ほぼ毎日増えて、古い傷の癒えるのが追いつかないありさまである。

 ぼくが会社へ出かけて姿が見えないときのルイは、トイレもちゃんとシーツの上でやっているというのに、夜、ぼくが帰ってくると、興奮するせいか、気を引くためか、それともほかの理由からか、ケージ内とはいえシーツの外でオシッコをしてしまう。その上を動きまわり、耳を伏せ、抱いてほしいとケージの中でジャンプする。
 
 着替えるや否や、ぼくはルイの足を洗って水気を拭き取り、オシッコがかかっているであろうお腹も拭いてからケージの中を丁寧に掃除する。その間、ルイはバスルームで待たせる。
 ルイのオシッコ騒ぎが終わって、風呂場から出したルイをきれいになったケージに入れてやり、ぼくが洗面所で手を洗って帰ってくると、ケージの床には大きいほうの排泄物が転がっていたりするのも珍しくない。
 ときには、踏んづけてしまってケージの床のあちこちにルイの汚れた足跡が散りばめられているなんて日もある。

☆とりあえずはぼくがボス 



 同じコーギーでも死んだむぎのパピィ時代には、こんな手間をかけさせなかった。パピィのときのシェラのほうは、ケージの外で遊ぶのに夢中になり、リビングの床におもらしをしてソファーの下に隠れてしまったりしてはいたが、ルイほどに手こずらされた記憶はない。
 
 ルイの生来の性格もあるだろうが、オス犬ならではの強さ、タフネスぶりを痛感する。
 とりわけ、シェラやむぎで経験してこなかったのがルイの持っている闘争心である。ぼくに向けられたオス同士としての優位性をめぐる闘いはすでにはじまっているように思えてならない。 
 
 ルイは、何度かぼくと壮絶に闘って(?)完膚なきまでに敗退し、いまは潔くぼくへの従服の態度を崩していない。遊んでいて、ぼくの手や足をついはずみで噛んでしまうこともあるが、家人と違い、血を流すまでには至っていない。

 とりあえず、ぼくはルイのボスとして君臨できているが、シェラは家人並みに舐められっぱなしである。大きなシェラが、もう、すっかり凌駕されて威嚇の声も情けない響きである。すぐに吠えるので、最初から負けている。
 遊んでいるチビ助のルイに大きなシェラがいいように翻弄され、あしらわれ、揶揄されている図は情けないほどである。

☆悲しみが紛れても…… 

 「おかげで、むぎのいない悲しみが紛れるわね」
 つい、一週間前にはそんなのんきな感想を述べていた家人だったが、いまや、「会いたい、むぎに……」と涙ぐんでいる余裕さえないほどルイに圧倒されてしまっている。

 ぼくのほうは、むしろ、むぎを偲ぶ機会が増えた。比較してはいけないと自分に言い聞かせつつ、「むぎよ、ルイはおまえの代わりにやってきた天使だと思っていたけど、あいつは悪魔かもしれないぞ」と語りかけている。
 
 昨日のエントリーの写真に、今日の昼、むぎの写真を加えた。
 写真を眺めているうちに、一気にむぎへの思いがほとばしり、胸がわしづかみされたように痛んだ。
 哀しみの質が、すっかり変わっている。
 
 もう一度、むぎを抱きたい。おとなしく抱かれているむぎをこの腕に感じたい。
 どんなに可愛い小悪魔のルイがいようとも、やっぱりむぎへの哀惜は一朝一夕に遠ざかってくれるわけではないらしい。
 情けないほどの未練がましさだが、なぜかぼくはそれが恥とは思わない。
 

穏やかさと賑やかさの融合の先

2011-10-20 23:35:25 | シェラの日々
☆いつもわんこたちが大喜びで迎えてくれた 


 実家では中学生のときからずっと犬を飼っていたが、自分で所帯を持ってはじめて犬を飼ったのは50歳のときだった。それが上の写真のシェラである。
 犬を飼えて本当に嬉しかった。会社から帰ると全身で喜びを見せて迎えてくれるシェラが見せる犬の可愛さは無上の喜びでもあった。ぼくが帰ってきたのを知って、家の階段を走って昇り降りする姿を目を細めて眺めていたものだった。

 犬が階段を昇るのは得意でも、降りるのが不得手と知っていたから転げ落ちはしないかと内心でヒヤヒヤしていた。そんなぼくの心配をよそに、転げ落ちもせず、シェラは木の階段を全力で昇り降りしていた。新築の家の階段はまたたく間にシェラの爪で傷だらけになったが、ぼくは頓着しなかった。

 やがてむぎ(写真=中)が家族に加わり、いつのころからかぼくが帰った物音でシェラが玄関まで飛んでくることはなくなった。ぼくの記憶に鮮明なのは、いつも玄関の近くでむぎが見張りをしていて、ぼくが鍵を開ける音で吠えはじめ、ぼくの姿を確認すると、跳びついてくるのではなく、シェラに知らせるために奥へ駆け込んでいくうしろ姿である。

☆変わったのは形だけのこと 


 やさしくゆっくりとぼくの顔を舐めるシェラの出迎えのセレモニーが終わるまで、むぎはぼくを見上げて吠えていた。シェラの出迎えを切り上げ、両手を差し出すと、むぎははじめてその手に跳びつき、乱暴なまでに激しくぼくの口を舐めるのである。シェラとは対照的な情熱に満ちた「お帰りなさい」」の儀式だった。

 むぎが天国へ旅発って、何が寂しかったかといえば、家に帰り着いてドアをあけたとき出迎えてくれる存在の不在だった。静まり返ったままの廊下を通り、リビングルームへ入って、たいてい寝たままでいるシェラに声をかける。
 耳が聞こえていないからびっくりして起き上がり、以前よりもさらにゆっくりとぼくの口を舐めてくれる。もう、尾は振れていないが、舐めている時間は変わらない。いい加減なところでぼくが端折ると吠えて、「もっと!」と追いすがる。

 そんな生活に馴染みはじめてきたときにやってきたのがルイ(写真=下)だった。会社から帰ってきたぼくの迎え方はまだ定まっていないけど、ルイがいて、シェラがいる「お帰りなさい!」の形が少しずつ確立しつつある。
 家に帰ったぼくを待っていてくれたわんこたちの興奮に触れるのはやっぱり幸せである。

☆どんな明日が待っているのだろうか


 最近は、玄関のすぐそばの、かつてむぎがぼくを待っていてくれた場所にシェラが寝ている(冒頭の写真)日が増えた。ほんとうにぼくを待ってくれているのか、それともケージの中のルイが鬱陶しくて、玄関の近くまで避難してきているだけなのか、いまひとつ判然としないけど、ドアを開けた瞬間、シェラの寝顔がぼくの目に飛び込んでくると思わず笑みがこぼれてしまう。
 
 カバンを放り出し、「シェラ、ただいま。いい子にしてたか?」と声をかけながらゆっくりとシェラの全身を撫でてやる。身体のあちこちに腫瘍ができている。大きくなっているものもあるし、全身に増えているのがわかる。
 「大丈夫か? 痛くないか?」
 撫でるのも、ソフトタッチでしかやってやれない。もしかしたら、痛みを我慢しているだけかもしれないからだ。 
 
 廊下の先からルイの鳴き声が響いてきて、わが家に淀んでいた喪失感、虚脱感を追い払えたことを知る。シェラとふたりだけのこんな穏やかなひとときもいいけれど、最近、その先に待っているルイとのにぎやかなひとときもまた楽しい。
 このふたつのひとときが渾然一体となって新たな楽しいひとときを創出してくれる日の到来を、いまは心待ちにしているところである。


おかげで老いぼれてるヒマがない!

2011-10-19 23:43:39 | シェラとルイの日々


☆毎日変わるシェラのコンディション

 今年になってからのシェラの急激な衰え方には息を呑むことがある。春の終わりまではゆっくりした歩みだった老化の進行が突然加速した。加速しながら、その速度が鈍ったり、あるいは元気を取り戻したりと、老化がまっしぐらに進んでいるわけではない。

 シェラの自覚も痛いほど感じる。散歩に出かけて歩き出すとその日のシェラの体調が奈辺にあるかをぼくも知ることができる。どちらの方角へどれほど歩くかであらかたのコンディションがわかる。
 
 ひとつだけ変わらないのは、散歩ルートの片道をシェラは決して長く歩こうとしないことだ。体調がよくて、もっと周囲のにおい嗅ぎで情報収集しようとするときも、マンションのエントランスを中心に東西それそぞれにせいぜい100メートル以内から出ない距離である。
 
 この距離であれば、もし、シェラに異変が生じて……たとえば、先日のように、突然、倒れてしまったとしても、なんとかぼくなりに対処できる。
 夕方、家人が散歩に連れていっているときだったとしたら……。そのときどきの状況に応じて彼女が対処すればいい。そのためには、やっぱりルイは連れていないほうがいい。

☆どうやって二匹を散歩させようか

 問題は、11月から解禁されるルイの散歩デビュー以後、どうやって二匹を連れ出すかである。当面、シェラと一緒の散歩が無理なのはよくわかった。もしかするとずっとダメかもしれない。

 朝は、ぼくがいつもより早めに起きてシェラとルイを別々に散歩に連れていく。シェラは従来どおりの散歩にする。次のルイは、時間がないから距離を短くして運動量で稼ぐしかない。つまり、ジョギングがてらの散歩になる。ぼくの健康のためにもいいだろう。
 
 あとは、ぼくの体力がどこまで耐えられるかにかかっている。まだ、半年や1年はなんとかなるが、ぼく自身の老いのほうも足早に進んでいる。そんな散歩を長くは続けることに自信がない。それだけに、成長したルイが勝手な動きをしないように躾けなくてはなるまい。
 
 もっとも、ぼくの衰えよりもはるかに速くシェラの老いが進み、シェラとぼくとの散歩の様子も変わってくるだろう。動作が鈍る分、散歩の時間はいまよりも余計にかかってしまうかもしれない。当然、若いルイと一緒はとても無理である。
 そうしたら、家人が連れていくルイの夕方はトイレ散歩程度ですませておき、夜、会社から戻って夕飯後にぼくが本格的な散歩に連れていくという方法もある。去年の春のころはむぎのダイエットのために夜の散歩をやっていたのを思い出す。

☆悩んでいる余裕はない

 ただでさえ運動させなくてはならない若いコーギーに、もう、運動とは縁遠くなりつつある老犬の散歩はどだい最初から困難だった。そんなことを考えずに、むぎを喪った悲しみに目が曇ってこんな簡単な予測さえできなかった。
 
 しかし、もう遅い。すでにルイはわが家の子になってすくすくと育っている。あとは、老犬シェラを守ることにひたすら腐心して行動し、若いルイに可能なかぎりつきあってやることだ。これを書いている足許をルイが疾走している。シェラはだいぶ前に寝室に引っ込み、おとなしく寝ている。
 
 かくのごとく悩みは深いが、ぼく自身も自分の身に迫った老いに追われているという紛れもない事実は無視できないはずだ。しかし、老犬と幼犬の間でなかなか難しい舵取りを迫られて、ぼくはうかうか老いぼれてなんかいるヒマはない。

 これも天国のむぎのおかげだ。むぎ、ありがとう!


長生きさえしてくれるのなら……

2011-10-18 22:50:25 | がんばれ、シェラ!


☆7歳にして痛めた脚 

 「どうしたの? シェラ。また足が痛いの?」
 今朝、散歩から帰り、朝食をすませて、ぼくが出勤のしたくをしていると、家人がシェラに声をかけた。テーブルの下から出てきたシェラが右の前脚を引きずっていた。散歩のときはなんでもなかったのに……。
 だが、それもまもなく普通の歩き方に戻っていた。
 
 シェラの老化の前触れは、7歳を迎えたころに右の後脚を痛めたのがそのはじまりだったろう。市内の公園の傾斜地を登り降りしているうちに、まともに歩けなくなった。
 休日の午後、いきつけの病院はやっておらず、当時、つきあいのあった名古屋在住のわんこBBS仲間のひとりから、「イヌにはよくあることだから様子を見たほうがいい」といわれ、それに従った。
 
 だが、2、3日経っても一向に癒える様子がなく、近所にある動物病院へ連れていった。引っ越して間もないころで、その病院の評判の悪さを知らずにいた。
 若い獣医師は診断の結果についてなんの説明もできず、ぼくたちが納得できる治療を施せなかった。仕方なく、歩いてはいかれないものの、クルマなら5分ほどの距離にある別の病院へ連れていった。
 ここは前の獣医師の親たちの病院である。彼の母親の獣医師が診てくれたが、息子と似たり寄ったりの結果だった。



☆もう二度と治らないはずのシェラの脚 

 次に頼ったのは、家からクルマでゆうに30分はかかる、横浜市の外れにある、まだ開業したばかりの動物医療センターだった。
 レントゲン撮影などののち、いかにも自信に溢れた女性の獣医師の診たては鮮やかだった。 
 脚の腱が切れており、元どおりに治ることはない。痛みなく歩けるようになってからも以前のように走ったりはできないし、歩行にかなりの不自由を強いられるのも覚悟しておいたほうがいい。元々、身体の大きさに対して脚が細過ぎるのだ……と。

 ぼくは絶望で目の前が真っ暗になった。走ることが大好きで、他にわんこがいないような広い場所だとむぎを相手に複雑なステップを刻んで遊ぶ姿(写真)を見せてくれた。あのなんともカッコいいシェラの姿をもう見ることができないのか。山登りももう一緒にはできないだろうし、大好きな川遊びや、湖水での泳ぎも無理かもしれない。
 ぼくは自分の迂闊さを呪った。そして、あの公園の傾斜地を恨んだ。

 シェラが脚を痛めて二週間ほど経っていた。
 もう以前おのような正常な脚には戻れないとの非情なご託宣があったにもかかわらず、その日を境にシェラの脚は目に見えて回復していった。治療の効果というより、回復の時期を迎えていたのだろう。



☆どんな苦労にも立ち向かおう 
 
 そのあとも、毎年のように、足を痛めては回復を繰り返してきた。 
 キャンプ地で近所の様子を偵察にいって帰ってきたぼくを迎えに走り寄り、草に隠れた穴に足を取られてやっぱり痛めてしまったり(これは地元のペット病院のお世話になってすぐに回復した)、暴れて痛めるのではなく、何かの拍子に痛めてしまうケースが大半だった。いわば、時限爆弾と化したシェラの脚だった。

 最近も、動物病院での検査で戻ってきたら足を引きずっていた。翌日には治っていたが、このところやっぱり頻度が増えている。年齢のせいだと思わざるをえない。だが、こんな程度のことは老化のほんの入口に過ぎないはずだ。
 近所にいる高齢のわんこたちの多くがなんらかの障害を抱えており、飼主たちはその世話に追われる日々である。
 
 散歩に出てもほとんど歩けず、飼主とともに家の前でじっとたたずんでいる子もいたし、まっすぐに歩けず、歩くとくるくると円を描いてしまう子、家の中を徘徊してあちこりにぶつかってしまい、怪我の絶えない子もいた。
 悲惨だったのは、徘徊しながら家じゅうで垂れ流しをして、飼主はその始末に一日追われているという子もいた。

 これからまだまだ老いの障害がシェラを襲うだろう。いかなる苦労であれ、ぼくたちは弱音を吐かずにつきあっていきたい。老犬ゆえの世話に忙殺されようと、それでもシェラに長生きしてほしいと切に思う。

 ほかの飼主の方々同様、ぼくたちにとってこの子は至宝なのである。


この世はデジタルデータに似て

2011-10-17 23:59:52 | 残されて


☆シェラのパピィ写真がない

 いま、「欲しいな」と思うのは、シェラが子供のころの写真である。
 ルイを見ていると、幼犬のころのシェラに重なる。忘れていたシェラの姿がよみがえる。あの当時のシェラに写真でいいからもう一度逢いたい。いまのシェラからは想像もできないような、ちっちゃな目、それも極端に垂れ目で、お世辞にも美形とは言い難い……あきらかに不細工な顔で、クマの子のような真黒な毛のコロコロしたブサ可愛いかったころのシェラに……。
 
 当時、カメラを持っていなかったわけではないが、まだ、デジタルカメラの時代ではなく、普通のフィルムカメラだった。あまり熱心に写真を撮っていなかったし、写しても面倒がってなかなかDPEに出していなかったりする。
 もし、いまのようなデジタルカメラがあったなら、三匹のネコたちとの笑い転げるような楽しい日々の思い出のいくつかを記録することができただろう。

 ぼくがデジタルカメラをはじめて手に入れて、そろそろ10年になるだろうか。デジタルカメラを持ったからといって熱心にシェラやむぎの写真を撮ってきたわけではない。いまにして思えば、もっとたくさんの写真を撮っておけばよかったと思う。
 近年になって、ようやく数だけは揃い、シェラとむぎの写真だけでも数千枚はあるだろうが、それでもまったく足りない。この二倍、三倍あってもじゅうぶんではない。



☆もっとシェラの写真を撮っておこう

 だれのための写真かというと、まったくぼく自身のための写真である。
 すでにむぎはいなくなってしまった。シェラに残された時間はわずかである。ぼくの時間もさして長くはないが、たぶん、シェラよりも長いだろう。
 むぎやシェラのいないぼくだけの時間を慰めてくれるのは彼らとの思い出である。それを補強してくれるのが彼らの写真だ。
 
 これからはルイが加わるが、はたしてルイがぼくより先に逝くとは限らない。さしあたって必要なのはシェラとむぎの写真である。すでに、むぎの写真を新たに加えるのは不可能となってしまった。せめて、まさにいまの、シェラの晩年の写真だけはたくさん欲しい。
 ぼくにとってのシェラの顔は、遠い過去のものではなく、老犬になって穏やかさに包まれた顔だからである。手元にいつもカメラを置き、ことあるごとにシェラの表情を撮りためておきたいと思う。

 ぼくの死後、わんこたちの写真のデータなど消えてしまっても一向にかまわない。わんこたちの写真ばかりじゃなく、数は少ないが、ぼく自身の写真だってなくなったほうがいい。
 写真なんてしょせんは幻影、必要なときだけ再現できればそれで事足りる。だから、デジタルの時代になって、消えやすいデータ写真は理想的だとぼくは思っている。
 
 ぼくにせよ、わんこたちにせよ、かつてこの世に在(あ)ったという痕跡を残す必要などなにもない。この世の現象など、すべてはデジタルデータにも似たはかない幻影でしかないとぼくには思えてならない。
 喜びも悲しみも過ぎてしまえばどこにも見当たらないのだから。