ひどく寒い2・26だったかな?昔の東京は雪だったようだが、今年は暖かい。
昨日2月26日は蘇生記念日です。
正確には昨年の25日に心臓が止まったのだから、蘇生術で心臓が動き出した25日が蘇生した日です。
が、意識が遠のいて次に意識が戻った26日が感覚的には生き返った日になります。
「もうあくる日ですよ」という看護婦さんの声で目覚めた時が生き返りの瞬間です。
「もうあくる日ですよ」漠然とではあっても自分の置かれた状況が全て分かる上手い言葉です。
意識が無くなってから何があったかは分かりませんが、危ない峠を越えたんだろうと理解できました。
目覚めた枕元に妻がいて、妹や姪の顔が見える。
この時、二度とないだろう絶対の安心感と幸福感の中にいました。
皆には、驚かして思いっきりの心配をかけてしまいました。感謝しきれません。
救命に携わっていただいた医師・看護士の方々にも感謝しきれない恩をいただきました。
どこかで、誰かに返せたらと思います。
次郎長のその後
明治17年ごろは博徒取締り法があり、博徒は裁判にかけることなく警察の裁量で懲罰・過料金が科せられたそうです。
次郎長は懲罰7年・過料金400円の行政処分があり下獄しています。
但し明治18年11月に一年九ヶ月ぶりで仮釈放になっています。
没年明治26年。74才。畳の上での大往生だそうです。
唐突に、写真は拡大撮影したハコベです。
昨日2月26日は蘇生記念日です。
正確には昨年の25日に心臓が止まったのだから、蘇生術で心臓が動き出した25日が蘇生した日です。
が、意識が遠のいて次に意識が戻った26日が感覚的には生き返った日になります。
「もうあくる日ですよ」という看護婦さんの声で目覚めた時が生き返りの瞬間です。
「もうあくる日ですよ」漠然とではあっても自分の置かれた状況が全て分かる上手い言葉です。
意識が無くなってから何があったかは分かりませんが、危ない峠を越えたんだろうと理解できました。
目覚めた枕元に妻がいて、妹や姪の顔が見える。
この時、二度とないだろう絶対の安心感と幸福感の中にいました。
皆には、驚かして思いっきりの心配をかけてしまいました。感謝しきれません。
救命に携わっていただいた医師・看護士の方々にも感謝しきれない恩をいただきました。
どこかで、誰かに返せたらと思います。
次郎長のその後
明治17年ごろは博徒取締り法があり、博徒は裁判にかけることなく警察の裁量で懲罰・過料金が科せられたそうです。
次郎長は懲罰7年・過料金400円の行政処分があり下獄しています。
但し明治18年11月に一年九ヶ月ぶりで仮釈放になっています。
没年明治26年。74才。畳の上での大往生だそうです。
唐突に、写真は拡大撮影したハコベです。