飯山で観光を考える! 

2010-05-05 01:53:44 | 雑感
今回飯山に行ったことで様々な点で考えさせられることが多くありました。いま東御市では市内観光地の集客力が落ちてきており問題になってきています。海野宿を訪れた環境客もトイレを使うだけで滞在時間はごくわずか。観光地としての魅力度をどう高めるか、滞在時間を延ばすにはどうしたらいいか、消費拡大への取り組みをどうするかなど観光戦略の再構築が求められています。

飯山ではこうしたことにどのように取り組んできたのでしょうか。3つにわたって気がついたことを述べてみます。

第一に、なによりも人づくりに取り組んでいるということです。人形館で見たスタッフの心意気はとても好印象でした。長野県の観光はとかくおもてなしの心に欠けると言われます。信州人の性格からして気軽に人に声をかける、お節介をすることが苦手だと言われます。おもてなしの心はないわけではないけれど、恥ずかしさからそれを表わすことが不得手です。だから思わぬ誤解を受けることも多々あります。

お客様の立場に立って考えることが大切です。例えば人形館ではお客様がどのくらい待つのか知らせるために待ち時間の看板を作っています。退屈しないようにあらかじめ観光チラシを手作りで作って配っていました。じっくり落ち着いて人形を見ていただくために、入場者数を規制するなど細かい気配りを行っていました。

東御市でも先月玩具展示館がオープンしましたが、ハードの整備が中心でおもてなしのソフトの部分への取り組みが行われていません。丸山晩霞記念館などでもソフトは祢津の住民団体に丸投げ、受け付けは本当に入場券の販売だけで展示物の説明などとても対応できない状況にあります。展示物だけそろえるからあとは入館者が考えろというのでは、お客様にリピーターになっていただけません。

飯山では人づくり継続的に行っています。私が勤務していた長野経済研究所では飯山商工会議所の依頼を受け、接遇研修を定期的に行っていました。人づくりについては筋金入りなのですね。

第二に、観光に来ていただいてる皆さんに対し、地域が一体となった取り組みを行っていることです。たとえば人形館を訪れた観光客の皆さんに寺町の「プチさんぽ」を提案、お節介マップと称して、「壁も天井も金ピカの純金トイレ」があるなどその地域の情報をそれとなく提供しています。

それを受け入れる地域の方も観光客に心を開いて対応してくれています。今回ミニ散歩でお会いした洋菓子店の皆さん、遊歩道のかたわらで草取りをしていたお年より、展示試作館・奥信濃でお会いした担当者の方、とてもきさくで親切でした。ひとつ一つの取り組みをそこだけで終わらせるのではなく、相互に関連付けて飯山の多面的な良さを知ってもらおうという取り組みは私たちのまちにおいても参考になるものです。

いただいてきた飯山の観光パンフレットは「日本のふるさと いいやま」をキャッチコピーとして、「あちこち-広がる色とりどりの花と木々の緑」「どんどん-チャレンジ農村の暮らしと遊び」「しみじみ-知識を蓄える寺の町いいやま」という3つのいいやまを提案していました。

ちなみに私は「あちこち」では菜の花祭りに出かけ一面の菜の花を満喫しました。映画「阿弥陀堂だより」の阿弥陀堂からの眺めは素晴らしいものでした。「どんどん」では以前鍋倉山のブナの天然林を見に行ったことがあります。森の家の方に案内していただき、残雪を踏んでブナの芽吹きを体験してきました。そして今回「しみじみ」で寺町を歩いてきました。飯山の3つの楽しみ方を体験することによってより深く飯山を知ることができ、飯山が好きになりました。

第三に、こうした観光プロジェクトを行政主導で行うのではなく市民参加で進めていることです。飯山もこれまでは観光協会がありましたが「信州いいやま観光局」に衣替えし、戦略性と市民参加を明確にして取り組んでいます。

観光がまちの重要な産業であると位置づけ、その発展のためには何が必要か考え、戦略を立て、経営的手法で取り組もうというその姿勢は極めて大切な視点だと思います。これまではややもすると行政の観光への取り組みはハード先行でした。形さえ整えれば客は来てくれる、そんな安易な発想があったと思います。観光客に何を提案するか、そのためにはどんなハード、ソフトが必要なのかという戦略が必要です。それを推し進めているのが「観光局」なのでしょう。

振り返ってみて、わが東御市には観光について明確な戦略、具体的な提案、それを支える人づくりへの取り組みがあるでしょうか。飯山へは人形館を見に出かけたのですが、観光について考える旅になりました。ヒントはどんなところにもころがっているものですね。

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