気まぐれロンリー 人生リボーン!

旅好き酒好きオヤジのロンリーライフ。
風に吹かれて何処をさすらう。
明日はいずこの草枕。

男の矜持

2018-03-12 14:20:59 | 日記

男は1957年11月6日、福島県平市(現在のいわき市)で生まれた。
現在60歳。

中学3年で父親を亡くし、東京都内の中学に転校。
九段高校に進学する。
当時の都立高校は学校群制度。
九段高校は第一学区11群
日比谷、三田と共に、学区のトップグループにあった。

ウィキペディアによると高校進学時には3人の兄が学費を負担してくれたとある。
兄たちの年齢や学歴、職業などは分からないが、どうやら末っ子でありながら一家の期待のだったのではと推察される。

男は東京大学に進学。
1982年に経済学部を卒業し、大蔵省(現在の財務省)に入省した。
片山さつきと同期入省だという。
年齢は片山が2つ下だから、男は2年何処かでダブっていることになる。
ここでも兄たちの援助があっただろうということは想像に難くない。

その後、近畿財務局理財部長、財務大臣秘書官、財務省主計局主計官等を歴任。
2016年理財局長となる。

あの、問題の理財局長である。

男の名前は佐川宣寿。
一家の期待を背負った男は、東大、大蔵省と絵に描いたようなエリートコースを駆け上った。

そんな男が森友問題で職を辞すこととなった。
その辞任会見。
男は手に持った紙片に視線を落としながら、ポツリポツリと言葉を吐く。
書かれたメモと齟齬がないように慎重に・・・。

エリート官僚にとって、辞任の挨拶など容易いこと。
メモを見る必要など更々ない。
ならば何故、彼はメモを読まざるを得なかったのか。
誰が打ったとも知れぬパソコンの文章を、まるで素人役者のような棒読みで。

兄たちの援助を受けながら、高校、大学で学び、官僚となった彼は、自らのキャリアの終焉がこんな形となることを微塵も想像しなかっただろう。
彼が出世の階段を上り見たかったのはどんな景色だったのか。

こうして呆気なく階段から転げ落ちることも、ましてや、敵愾心と不信感を露わにした記者たちに囲まれることも、無機質なカメラのレンズや突き出されたマイクにえぐられることも彼の未来図にはなかっただろう。

何故、こんなことになってしまったのか。

自分はなぜ階段を滑り落ちるのか。
釈然としない現実を彼はどうやって受け入れるのだろう。

決裁文書の改ざん
とても役人だけでできるレベルのことではない。
財務省の局長よりも、事務次官よりも上の存在が取り沙汰されている。

もちろんそれは政治家である。
しかも小物ではない。
それはあり得ない。

学歴が全てではないことは承知で敢えて言えば、政権の中枢は成蹊大であり学習院であり法政大である。

天下の東大卒エリートが死んでも死にきれないと思えば、真実が浮かび上がってくるかも知れない。

決して恵まれていなかった家庭環境から、兄弟の援助に護られながら這い上がった男の矜持をボクは密かに期待している。

ぶちまけろ・・・全てを。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする