昨日、あるテレビ番組で中田英寿が日本サッカーに苦言を呈していた。
「このワールドカップをステップにして次につなげるためにどうすべきかを考えないといけない」
そしてこうも。
「目先の結果にとらわれては日本サッカーに未来はない」とも。
もちろんワールドカップ開幕前の収録で、ポーランド戦のみすぼらしい戦いは知らない時点での発言である。
しつこいがまたサッカーの話。
決勝トーナメントに残ったことばかりを評価して、中田のような視点がないのが現状。
メディアで発言するジャーナリストも、元サッカー選手も、サッカー通を気取る芸能人も脳天気すぎる。
「ルールだから」「結果オーライだから」「決勝トーナメントに進出できたんだから」「もう一試合見られるんだから」
西野朗がとったみすぼらしい作戦(戦術とは言いたくない)が、決勝トーナメント進出という結果を得たとして評価しているが、スタメンの6人替えについての評価は行われていない。
少なくとも、あのみすぼらしい作戦までに失点し得点できなかったという事実を見れば、あれは失敗だった。
決勝トーナメントを見据えて先発陣を休ませたという見方が大勢だが、本来、そんな余裕ある戦いができる実力ではない。
死力を尽くして戦い切り、決勝トーナメントで電池切れ。
それが過去2回の決勝トーナメントだった。
同じ轍は踏むまじとばかりにスタメンを変えるというチャレンジをしたが、案の定機能しなかった。
山口蛍はファウルでフリーキックを与え失点につながった。
槙野もあわやオウンゴールにもなりかねない不安定さだった。
だが、ここで敗退しては6人替えの意味がない。
メディアはこぞって批判するだろう。
「西野、なぜ変えた!」と。
西野朗には何が何でも予選突破という枷がかけられた。
いや西野監督にはハリルから引き継いだ時点ですでに枷がかけらていた。
「予選突破」という枷。
もしかしたら何らかの約束もあったかもしれないね。
次のサッカー協会での地位とか・・・。
「予選突破さえしてくれたら面目が立つ。その暁には・・・」とかね。
コロンビアに勝ち、セネガルと引き分け、西野采配はうなぎのぼりに評価を上げた。
日本中が予選突破を期待した。
日本サッカー協会もこれで監督交代に踏み切ったギャンブルに勝てると安堵しただろう。
西野監督が自らのスタメン替えに失敗したと気づいたとき、残されたのはあのみすぼらしい作戦しかなかった。
あの時点でジョーカー本田圭佑を投入しても間に合わない。
あとはひたすら逃げるだけ。
コロンビア戦、セネガル戦で世界を魅了したことなどもうどうでもよかった。
苦労して勝ち得た評価も失う時は一瞬である。
世界からバッシングを受けようと、侍ブルーの名を貶めようとどうでもよかった。
課せられた命題、「予選突破」さえ達成すれば・・・。
こんな邪推を跳ね返すのは、次のベルギー戦次第。
どう見たって相手は強すぎる。
ポーランド戦の6人替えが正しかったと証明するには、休ませた選手たちが躍動するしかない。
そして美しく戦えば、たとえ負けても世界はあの「みすぼらしい戦い」を忘れてくれるだろう。
もちろん勝ってほしい。
美しく勝ってほしい。
世界のトップクラスがそろったベスト16。
ランキングは低いがロシアは正々堂々勝ち取った。
そこに日本だけが背伸びして入り込んだようなイメージは拭えない。
ルール違反ではないが、「空白の一日」を悪用した江川卓のように。
江川は長くヒールであり続けたが、実力があったから評価もされた。
課せられた汚名は自ら雪ぐしかない。
サムライなら命を惜しまず名を惜しめ。