吉野川の河口近く。
砂地に奇妙な工作物があった。
明らかに誰かが意図的にに組み上げたもの。
アートと言われればアート。
名のある批評家が「coolだ!」と言ったら、それはクールな芸術となるのだろう。
アートってそういうものだと思っている。
創った者と鑑賞する者。
両者の間で生まれる美しき誤解。
バスキアとかキースヘリングとか、落書きがいつの間にかアートになるように。
自閉症児が描く絵が持て囃されることがある。
彼らの頑張りを揶揄するつもりはない。
だが異常に褒め称える傾向には危険も感じている。
幾何学的模様を鮮やかな色彩で塗り分ける。
それだけで、そこに芸術を見出そうとする優しさ。
過剰な優しさは却って傷つけることにもなりかねないと、無邪気な善意者は気がつかない。
骨のような流木を、戯れに砂地に突き刺してみた。
見つけた人が、アートだと誤解してくれるかも知れない。
そう思ってほくそ笑む。
梶井基次郎の「檸檬」を思い出す。
鬱屈した気持ちの主人公は丸善で積み上げられた本の上に黄色い紡錘形の檸檬をそっと置いて店を出てゆく。
まるで爆弾を仕掛けたような気分で。
ホラホラ、これが僕の骨だ・・・これは中原中也の詩の一節。
朝日の中で、ボクの気分はアーティスティック。