青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

世界一美しい“タージマハール”より驚いたもの!

2021-10-10 | 地球を歩く

インドで忘れられないのは、やはりタージマハールの美しさです。デリーから南へ200キロ。高速道路を使って車で4時間かけても、十分見に行く価値のある建造物。

途中高速では、牛の隊列が道路を横断することもあり、その時は車が待ちます。インドでは牛は神聖な動物であり、そのため野良牛が街中でもいます。ラクダが道路の端を歩いていたり、フェンスが無いから普通の道のようでもある。でも、1番驚くのは逆走する車が多いこと!特に軍関係の車両が多く、日本ではあり得ないことです。

タージマハールは、ムガール帝国5代皇帝の王妃の墓です。タージマハールの東門をくぐると目の前にドーンと、高さ67メートルの白大理石の建物が圧倒して来ます。

でも、もっと美しいのは夜ホテルのレストランから見た、月の光でぼんやり白く暗闇に浮かぶタージマハールでした。

しかし、タージマハールが吹き飛ぶほど驚いたのは、インドのカーストです。法律で禁止されていても、今も厳然と残っています。ヒンドゥー教では、与えられたカースト(職業)を全うする=神の考えに従うという考えのためです。また、カーストを守る=職業保障にもなるからです。

インドではクラクションを鳴らす車ばかりでうるさい。バックミラーをたたんでいる車が多いし、後ろを見ないで運転するので、お互いにぶつからないようにクラクションを鳴らすからです。渋滞したりで車が止まると、物乞いの子供たちが寄って来る。子供たちは親に操られて物乞いをしていて、貰ったお金は親に行きます。物乞いの子供には手首から先が無い子供がいて、両手共そうなっている子供も。

物乞いをするには憐れみを得やすい方が良いので、親が切り落とすケースが多く、そういう子は生涯物乞いをするしか生きる道はありません。このことを見聞したことが、インドでの1番のショックでした。

ホテルでも安いホテルに泊まると、不思議と腹痛で医者のお世話になることが多い。これはいつの間にか下剤を入れられるからで、ホテルと医者がグルになっているそうです。


その場で「お持ち帰り」できる自動車!

2021-10-04 | 地球を歩く

アメリカに来れば、いろいろな驚きがあります。文化の違いと言ってしまえば一言で終わってしまいますが、人によって驚く内容と、その大きさは千差万別。ぜひ1人でも多くの人にアメリカに来て、できれば観光でお決まりのコースに行くのではなく、生活に密着してアメリカを見てほしい!

お母さんなら、子供の育児の日米の差について驚くでしょうし、学生なら自分の日々を恥じるくらいのショックを受けます。コロナ禍が終わり、以前のように海外を自由に行き来出来る時間が、早く戻って来て欲しいと願うばかりです。

さて、僕がもう随分前に驚いたことは、アル・パチーノ主演の映画「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」(原題: Scent of a Woman / 1992)の中でも見ることができる光景です。

それはディーラーでの、自動車の購入です。その昔、僕は自動車会社から社会人のスタートを切ったので、アメリカでも販売ディーラーを見に行きました。英文科でアーサー・ミラーの「セールスマンの死」という作品に触れていた・・ということも、ディーラーに足を運んだ理由の1つでした。

日本では、自動車ディーラーの社会的地位は低い。営業マンは米搗きバッタのようにペコペコして、自動車を買って下さいという姿勢です。ところが、アメリカでは違う。まるで弁護士のように威張っている。「私から買えば、事故の時も安心ですよ。全て私が面倒を見てあげますから」という調子で、日米ではディーラーの地位が真逆だったのです。帰国してから誇りを持って仕事をすると、成績も一変し、お客様からも感謝されるようになりました。

日本だと新車を買う時は、普通ディーラーに行き、見積もりを取り、車種や色を決定し、オプションを選んでオーダー。登録書類にサインや捺印をして、数日経って納車となります。

ところが・・・アメリカではディーラーに行って、気に入った車がそこにあれば、その日に支払を済ませて、その足で「お持ち帰り」、いや、乗って帰ることができます。ナンバープレートなんかありません。フロントガラスに登録の紙を貼るだけ。冗談のようですが本当です。そして、後日ナンバープレートが自宅に送られてくるので、自分でそれを取り付けます。日本のように封印も何もありません。

だから景気のいい時は、衝動買いする人もいますし、簡単に乗り替えもできます。そもそも日本と違ってアメリカでは、自動車は1人に1台の足です。日本人のように自動車を財産のように考えて、変な意味で飾り物のように大切にしません。細かいキズ1つを気にして乗るのではなく、使ってなんぼの完全な消耗品なのです。

ご主人の車に傷をつけて怒られた子供たちや奥様は、ぜひアメリカ人の友人を作って、ご主人のその行いを話してみましょう。その友人が、ご主人に何たる愚行であるかを説明し、車より家族を大切にするよう説教をしてくれますよ。(笑)


あり得ない「ATM」

2021-09-29 | 地球を歩く

今では僕も見慣れましたが、初めて見る人は驚くだろうな・・と思うものが、アメリカにはいくらでもあります。

もちろんアメリカ人が日本に来て、驚くものもいくらでもあります。アメリカでは、電車が走っている街が少ないので、日本の鉄道網や整然とホームに並ぶ人々を見て驚く・・これは有名です。でも、本当に海外から来た外国人が日本に来て、驚くものランキングをつければ、まず間違いなく1位になるものは何だと思います?数年前まで、これは間違いなく「マスクをした人が多い!」でした。コロナ禍の前までは。これが世界中で当たり前の光景になったのは、本当に悲しいことです。

さて僕が、アメリカに来て驚いたもの、それはアメリカの銀行のATMです。普通のATMではなく、ドライブスルーのATMがあるのです。

大都市にあるものは、このようにまるでガソリン・スタンド。間違って給油に入ったこともあります。やや郊外になると、30坪くらいの敷地のド真ん中に、1台だけATMがあったりします。それを先に見つけたのですが、「あれ何?」と思わず聞いたほど、インパクトがありました。こんなものに土地を使って採算が合うのか?そう思ったわけです。

ショッピングセンターの中や、コンビニのようなお店の中にあるのは理解できますが、ポツンと1台だけATMがあるのは、校庭のド真ん中に、郵便ポストがポツンとあるのと同じくらいの強いインパクトです。

もっと驚いたのは、そのATMの使い方でした。預金する時、お金をいれたら金額が表示され、「確認」ボタンを押すと思うでしょう?その時は違いました。お金を封筒に入れて、金額を表書きで明記します。そしてそれをATMに、車の窓から入れる。ATMはお金を数えてくれません。大丈夫なのか、銀行で尋ねると、「ATMでは預金しない方がいい」って。(笑)引き出しはATM。預金は銀行の窓口でしましょう!

そんないい加減なと思うでしょうが、そもそも貯金通帳が無く、ネットで全部管理ですから、これはもう文化の差としか言いようがありませんね。


インド・デリー 羊のカレー

2021-09-20 | 地球を歩く

インド。中国から撤退し、インドを目指そうと企業が考えた頃。2000年代中盤手前の頃でした。デリーに行き、最初の昼食に「タージマハール」という、どこにでもある名前の普通の店に案内され、現地のカレーを食べました。勿論水はミネラルウォーターを持参、お店の物は飲んでいません。それでも料理には現地の「水」が普通に使われていますので、翌日から多少お腹は緩くなります。

駐在員にお任せで出て来たカレーは、ちょっと脂っこいカレー。みんなは美味しいと食べていましたが、僕の口にはちょっと合わない。

これが何と、羊の脳みそのカレー

街のお肉屋さんの店頭では、脳みそが見えるような形で羊の頭部が並んでいました。

若い人達の中には、アジア諸国でお腹が緩くなってしまう人が多いのですが、僕は比較的そういう目に遭ったことがありません。抗菌グッズに関係の無い昭和30年代に、落ちたものでも払って食べたり、雑菌まみれで育って来たからかも知れません。(笑)


日本にも大勢いた水上生活者 ~香港

2021-09-13 | 地球を歩く
香港~僕が行った当時は、まだ中国へ返還前でした。「中国なら行かないけれど、イギリス領だから行く」と、仕方なく出掛けたことを覚えています。
 
 
映画「慕情」の舞台となったビクトリアピークからの夜景は覚えていますが、それよりも覚えているのは、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」にも写っている「蛋民(たんみん)」と呼ばれる水上生活者です。
 
僕が子供の時には日本にも水上生活者はいて、この目で見ました。昭和30年代には東京湾に水上生活者が1万人。全国では10万人もいました。水上生活者というのは、船の上で生活している人のことです。船が家なので、水道・ガスは無い。(電気だけは引く人もいた。)河川法で禁じられているので、艀の中にはトイレが無く、用を足す時は直接・・ということになるので、異臭の元となっていました。そんな生活をなぜ大勢がしているかと思う人もいるでしょうが、家賃ゼロと聞けば、なるほどと思う方もいると思います。
 
全寮制の水上学校もあったし、水上警察というものも50年ほど前の日本にはあったのです。
 
 
高層ビルが立ち並ぶ、世界でも屈指の大都市に、超貧民が船上で暮らしている。現在は埋め立てや政策で、香港に蛋民はいないと聞きますが、僕はその最後を見ました。綺麗な景色を見て、非日常を楽しむどころか、日本から消えた超貧民の景色を見て、一発で観光気分が失せたことを覚えています。
 
この時から、アジアの国はどこに行っても「水」で嫌な思いをしました。その走りが香港でした。まともな店では英語が通じるのですが、英語を話す娼婦との値段交渉を会社の重役に頼まれたり・・普段会社で見る人間の嫌な部分を沢山1週間の間に見せつけられ、レベルが低いというか、人の抑えることが出来ない欲望というものの片りんを学びました。
 
「お金」と「性」で嫌な光景を目にしなかったことは、アジアの国々では一度としてありませんでした。なぜ日本人は、アジアの当時の貧しい国の人々に優越感(?)を持てたのか?一方では白人に対してペコペコと丁寧な対応をする。僕は当時、不思議で仕方がありませんでした。