青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

ライオネル・リッチー13年ぶりの来日!

2009-11-12 | 素晴らしかった興行・イベント

僕が現在コンサルで入っている某外資企業。ここには映画・音楽会社のジェネオン・ユニバーサルも含まれています。いつも通りに仕事をするべくウロウロしていると、どこかで見たような顔にお目にかかりました。

「誰だったかな?よく似ているけど、誰に似ているのかな~?」と考えていると、そんなに僕は見つめていたのか、向こうから「Hello !」と声をかけてくれました。「ハロー?あ!ライオネル・リッチー??」訊くと本物ではないですか!(笑)彼も既に60歳です。80年代にはロス五輪の閉会式でパフォーマンスを行い、「We Are the World」では現場を事実上仕切った男。(メイキングを見れば一目瞭然)マイケル・ジャクソンと双璧をなす人気を誇っていました。

しかしその後は、コンスタントにアルバムを発表するもヒットに恵まれず、90年代後半になると、甘く親しみやすいバラードを得意とするライオネルの作風は、「もはや黒人音楽ではない」と批判めいた評価を受けることに。こうして活動の場をアメリカから根強い人気を誇るヨーロッパに彼は移しました。ヨーロッパでのライブは、アメリカのiTunesで購入して聴きましたが、なかなか素晴らしいステージです。

さて彼がどうして来日したのか訊いてみると、マイケル・ジャクソンの最期のコンサート「THIS IS IT」。そのリハーサル映像により構成された映画「THIS IS IT」のジャパン・プレミアにゲストとして招かれていたのです。プラス、ライオネル・リッチーの日本独自企画ベスト盤『セイ・ユー、セイ・ミー~ライオネル・リッチー・ベスト・コレクション』が11月4日にリリースされることから、そのプロモーションのためにも来日したと。



そしてこの日11月2日、都内でファン・イベントがあると言う。11月2日は24年前に初めて「セイ・ユー、セイ・ミー」がラジオでオンエアされた日だとも教えてくれました。「そのイベントに出たいのですが、無理ですか?」というと、何とかしてくれると言うではないですか!車中で僕が、これまでにこういうスター達に、お会いすることが出来ましたと話すと、彼は大いに驚いた様子でした。

着いたのは東京・有楽町のザ・ペニンシュラ東京。ここには招待された限定75組150人のファンが集まっていました。「マイケルは地球に舞い降りた天使だった。時間がやってきて、また戻っていったのでは」と、今年6月に急死したマイケル・ジャクソンの早過ぎる死を惜しみました。マイケルと共作した名曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」について「半日くらいでできた」「お互い口ずさんでハミングでつくった。マジカルな経験だった」と思い出も明かしたリッチー。

この日は「セイ・ユー、セイ・ミー」をはじめ6曲をパフォーマンス。日本では87年の後楽園公演以来、22年ぶりとなる生歌。これらの曲はライオネル・リッチーのオフィシャルサイトで予めファンによる人気投票を行なって決定した上位曲。1000通を超える投票の結果、栄えある1位を獲得したのはやはり「セイ・ユー、セイ・ミー」であり、ライオネルのソロ・シングルとしても最大のヒットとなった作品が一番人気であることを証明して見せました。


<ファン投票の上位5曲>
1位 Say You, Say Me/セイ・ユー、セイ・ミー
2位 All Night Long(All Night)/オール・ナイト・ロング
3位 Hello/ハロー
4位 Dancing On The Ceiling/ダンシン・オン・ザ・シーリング
5位 Easy/イージー(コモドアーズ)

本年2009年は、コモドアーズ~ソロ時代に在籍していたモータウンが50周年を迎え、本人も60歳の還暦を迎えた節目の年。さらにはレーベル・メイト(モータウン)であり85年の大ヒット・チャリティ・ソング「ウィ・アー・ザ・ワールド」の共作者であったマイケル・ジャクソンが急逝したこともあり、ライオネルにとってはまさしく忘れられない特別な年になったことでしょうね。