青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

“モンド映画” ~ グレート・ハンティング

2020-07-08 | 青春・名画劇場

映画の名作、音楽の名曲。時代が変われば評価が変わり、知らない間に記憶が書き換えられてしまうことは、僕自身にも起きることです。「2001年宇宙の旅」「スターウォーズ」等の有名作品でも、封切り当時に映画館で観た人と最近DVDで観た人とでは、思い入れも評価も違うのは当たり前です。だから、昔は良かったと古いものほど評価が高かったり、逆に最新のものこそ評価が上がり、昔のものは時代遅れだと言われることもあるのです。アマゾンでのDVDの星評価など、世代ギャップがあり過ぎで、投稿者の年齢を明記してもらわないと困るほどです。

僕はここでは、「当時の空気」や「時代」を伝えながら、それを経験した人に懐かしんでもらい、知らない方には、「だから評価が高いんだ」というような新発見があることを願いながら、色褪せない思いを綴りたいと考えています。

ドキュメント映画、僕らが子供の頃は全盛期でした。

「ヤコペッテイの世界残酷物語」(イタリア映画)のシリーズが、その代表格です。美しい名曲「モア」に過激な映像、時には「ヤラセ」を重ねて大ヒットしました。事故や災害の光景、死刑囚の処刑シーン、犬肉レストラン、人体破壊のシーン等を美しい音楽と共に紹介する「モンド映画」(残酷ドキュメント)というジャンルが、1960年代には確立され、それが大ヒットしていました。そんないかがわしい映画を、家族揃って観に行くのが奇妙でも何でも無かった時代が、昭和には確かにあったのです。

残酷ドキュメントが再ブレイクした、70年代の決定版とも言うべき作品が「グレートハンティング」。「地上最後の残酷!映画史上2度と実現しない最大・最後の衝撃ドキュメント!ヨーロッパ全土を震えあがらせ遂にそのベールを脱ぐ」と煽り、「サファリパークのライオンが人を襲う!」というシーンが、公開前から大きな話題になりました。

成人指定にすべきという自治体と、「これはただの残酷映画ではなく、高度な文明批判だ」という配給会社が対立し、未成年者は保護者同伴に落ち着いたものの、僕らは友人と連れ立って映画館に行き、映画館も黙って僕らを受け入れる。(笑)そもそも家族連れで、ワクワクしながら足を運ぶ人々が多い時代でしたので、良識派が「けしからん!」と更に激怒する。そういう時代でした。

で、この作品の中身ですが、猿を飲み込む大蛇、精子を地中に射精するアフリカのある民族、成金となって狩りを忘れたエスキモー、アマゾン奥地で白人が原住民の頭の皮を剥ぎ首を切り落とすシーン等が続き、クライマックスが話題を呼んだ、サファリパークでバスから降りてライオンを撮影していた観光客が、背後からライオンに襲われ家族の目の前で食い殺されるシーンでした。

大阪・北野劇場に映画仲間と観に行った(1976年3月)僕の感想は・・・・ヤラセというよりもタレントの寸劇や学芸会のレベルでした!(笑)どう見てもマネキン人形!(ツタヤなら、レンタルDVDを置いている所は多いと思います。)

この映画は今でこそ、僕が今日書いたように笑い話になっていますが、日本での配給収入は18億円で、1976年の外国映画・興行収入2位だったのです!続編も作られたし、同じスタッフによる「残酷を超えた驚愕ドキュメント・カランバ」なんて作品が、80年代になっても公開されました。そうそう、「ポールポジション」(1978年)というF1レースの映画も試写会で観ましたが、これも何と、死傷事故を中心とした残酷ドキュメントに仕上がっていました。そういう残酷ドキュメントが流行したのが、70年代という時代でした。



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