新元号「令和」は、万葉集5巻の「梅花の歌32首」の序文から採られたとされる。
つまり、
「天平12年正月13日に、師の老の宅にあつまりて宴会をひらく。時に、初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す・・・」
という一節からの造語のようだ。
しかも「令」は、よい、麗しいなどを表し、「和」はやわらぐ、和するなどと、いかにも古き良き時代を象徴するかのような文言として紹介された。
ただ、そのことから、「万葉集」を日本人の心の故郷のように言うのはどうかと思う。
何故なら、かって若者を戦場に駆り出した「海行かば」の歌も、この「万葉集」18巻「賀陸奥国出金詔書を賀す一説」から採られているからである。
海行かば、水漬(ず)くの屍(かばね)
山行かば、草生(む)す屍
大君の辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ
山行かば、草生(む)す屍
大君の辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ
時の施政者の古典を都合よく解釈する「解説」などを心地よく聴いていると、とんでもないところへもって行かれかねない。