やはりと言おうか、サイモン・ラトルとロンドンフィルは来ない!
Kitaraで9月27日に開催される予定だったラトルのコンサートは、コロナの影響で中止となってしまった。
販売解禁日に、苦労してチケットを確保し楽しみにしていただけに、残念無念。
先の北欧旅行と言い、今回のコンサートと言い、年寄りの先の楽しみを奪うコロナ禍である。
命あってのものとは思うが、キャッチのごとく、「私たちには音楽(ラトル)が必要だ!」。イラストは、KitaraのHPからお借りしました。
やはりと言おうか、サイモン・ラトルとロンドンフィルは来ない!
Kitaraで9月27日に開催される予定だったラトルのコンサートは、コロナの影響で中止となってしまった。
販売解禁日に、苦労してチケットを確保し楽しみにしていただけに、残念無念。
先の北欧旅行と言い、今回のコンサートと言い、年寄りの先の楽しみを奪うコロナ禍である。
命あってのものとは思うが、キャッチのごとく、「私たちには音楽(ラトル)が必要だ!」。イラストは、KitaraのHPからお借りしました。
「週刊現代」誌のリレー闘論。
先週発売の同誌6月27日号に登場したジャーナリスト青木理氏の理路整然とした主張に共感する。
曰く、コロナ禍にすらまともに対応できない現政権を中心とした「改憲マニア」に共通するダブルスタンダードのナンセンスさに驚く。
もう、「バカな国民はすぐ忘れる」などと言わせてはいけない、とつくづく思う。
今週発売の「Newsweek」誌6月30日号の巻頭グラビアの1枚。
過日、英国ロンドンで行われた黒人差別に反対するデモで、デモ隊とそれに対抗する極右活動家などが衝突し、昏倒した白人男性を黒人のデモ参加者が救出する姿が目撃され話題になった。
この黒人男性は、「ただそこにある命を守らねば」と、仲間たちとともに白人男性(後に、元警官と判明)を助けたという。
米国ミネアポリスの警官が、黒人男性の首を8分間以上にわたり圧迫して死に至らしめたこととの落差に驚く。写真は同誌から転載しました。
昨秋購入した400枚ほどの中古LPの中の1枚。
昨日、初めて聴いてみたら、これがなかなかすばらしい。
小生はワーグナーの曲はあまり馴染みがないが、こうしたダイジェスト版を聴いただけでも、彼の仕事の偉大さがわかる。
ともすれば、オドロオドロした感じの音楽という印象を持つワーグナーが、このようなメリハリのきいた緻密な音造りをし、且つ、全体の見通しが良いという作風は特筆に値する。
指揮者のホルスト・シュタインは、N響の指揮者としてもお馴染みだ。
ただ、今回のように集中して聴くのははじめてで、その点彼の音楽造りのすばらしさをうかがうことができた。
収録曲
歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲
歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲
歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲
歌劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
演奏
ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団
ホルスト・シュタイン(指揮)
今朝の新聞(朝日)に掲載された時事川柳。
世相を反映した傑作が並んだので、早速ご紹介しよう。
1-2句:丸投げ、と言うより「まる寄りかかり」してたからね。記者会見までさせてね・・・。
4句:久しぶりの外食~解除もこのためだったのでは? 人徳がないとすぐこう言われる?
5句:千葉・茨城県周辺で頻発。首都直下、大丈夫?
とても珍しい1枚。
1986年、オランダフィリップスの制作。
ジェフリ・テイト指揮イギリス室内管弦楽団と共演したこのシリーズは、当時好評で、何枚かはCDで購入して聴いていたもの。
今回改めてアナログで聴いた訳だが、レコードの溝から再生される音楽は、何か行間の埋まった濃厚な文章を読む心地がしてとても良かった。
ちょうど、オーディオ愛好家の来訪もあって、装置の音の確認も含め何度も聴いた。
曲目
モーツアルト ピアノ協奏曲 第20番 K.466
モーツアルト ピアノ協奏曲 第21番 K.467
演奏
イギリス室内管弦楽団
指 揮 ジェフリ・テイト
ピアノ 内田光子
老いは静かに、しかも確実にやって来ている。
それは、特に足腰に出るというので、これをできるだけ回避すべく毎日(2kmくらいだが)散歩を欠かさないようにしている。
ただ、いつの間にか腰に手を添えて歩いている自分を発見してたじろぐ。
いわゆる、典型的な年寄りの歩き方になっているではないか。
たぶん、普通に歩くと前かがみになり歩きにくいから、意識しないまま手が腰に動いてしまっているのだろう。
そこで最近は、できるだけ背を伸ばして(腰に手を添えず)歩くようにしている。
また、歩き始めてから5~600m過ぎると、両足のふくらはぎのあたりが痛くなり、場合によっては歩行が困難になる時もある。
そんな時、道端のベンチに腰をおろし、1~2分で良いのだが膝から下をブラブラさせると、途端に回復して、以後何の不自由もなく歩き続けることができる。
つまり、急な運動の開始によって血行が乱れ、つかの間の休息でこれが正常化するためではないかと思っている。
その意味で、道端に設置されているベンチのありがたさをつくづく感じる今日この頃である。
今週発売の「AERA」誌は、開催が来年に延期された「2020五輪」がどんな条件なら開催可能なのか探っている。
それによると、少なくとも次の4つの条件が整う必要があるとしている。
①選手と競技関係者全員にワクチン接種。
②無観客または、大幅な観客絞り込み。
③日本で流行が抑えられている。
④選手選考が公平に行われる。
どれも実現困難な条件だが、例えば、「②無観客または、大幅な観客絞り込み」ひとつとってみても、当初の観客見込み数は、五輪780万人、パラ230万人とされていたが、これが無観客や内絞り込みを行えば、大幅な収入減と払い戻しの事務手続きの発生やスポンサーへの影響があり、これらをクリアするのは簡単ではないとしている。
現在の新型コロナウイルスの感染状況を見ると、いつ収束するか見通しがたっておらず、WHOが「パンデミックを抑え込まないかぎり開催は不可能」としていることもあり、いずれにしても開催が危ぶまれる状況は変わっていない。以上、同誌の記事を参考にしました。
1963.1~63.6年発表の16編を収容。732頁。
60年に直木賞を受賞した筆者が、勢いにまかせて次々と世に出した短編傑作集。半年間にこれだけの量を連続して発表するというのはすごいことだと思う。
次の16編が収められている。
①奇妙なり八郎・・(幕末暗殺史1)
②伊賀者
③鴨川銭取橋・・・(新選組血風録5)
④花屋町の襲撃・・(幕末暗殺史2)
⑤猿ケ辻の血闘・・(幕末暗殺史3)
⑥虎徹・・・・・・(新選組血風録6)
⑦割って、城を
⑧土佐の夜雨・・・(幕末暗殺史4)
⑨前髪の惣三郎・・(新選組血風録7)
⑩砥園唯子・・・・(幕末暗殺史5)
⑪胡沙笛を吹く武士(新選組血風録8)
⑫上総の剣客
⑬妬の湯・・・・・(幕末暗殺史6)
⑭軍師二人
⑮三条磧乱刃伽・・(新選組血風録9)
⑯千葉周作
連作「幕末暗殺史」は、勤王攘夷を標榜する幕末の志士たちが、あれこれを理由に各界の要人を暗殺して行くあり様を描く。
時代の趨勢とは言え、自らの主義主張のため命を奪うという方法で政敵を闇に葬り去ることに共感は出来ない。
連作「新選組血風録」は、要は、新選組隊内の風紀と結束を維持するため、若干でも動揺したり通敵した組員を容赦なく惨殺した粛清史である。
本書全体を通して話に勢いを感じるものの、こうも暗殺話ばかりでは滅入ってしまうのも事実。お勧めしたい短編集ではない。
先に、HONDAがサイバー攻撃を受け、車の生産に大きな影響が出たとの報道があった。
これは、HONDAの社内システムの根幹を為すサーバーを直接狙ったランサムウエアによる攻撃だったという。
この攻撃によって、社内で使用するあらゆる文書が秘密鍵によって暗号化されてしまい、これを解凍するためには、ハッカーに対し高額な対価を支払う必要があるというものであった。
こんな対価を支払う訳にもいかないから、結局対応に時間がかかり、その間、世界中の11の工場がストップしたというから恐ろしい。
同じようなことは、個人のパソコンでも起こりうる(攻撃の対象となりうる)訳で、日頃から十分な対策が必要だ。
個人攻撃に使用されるランサムウエアは、大抵、メールの添付ファイルとして持ち込まれるから、添付ファイルを伴うメールの扱いは要注意である。
拙宅の場合だと、日頃受信するメールの概ね、3割は、ウイルスメールだと言って過言でない。
最近特に多いのは、やれ「ヤフーのアカウントに問題を生じた」とか「AMAZONのアカウント登録制度が変わった」とか言うもので、これらは生活に密着した事柄故、警戒感なく添付ファイルを開きかねないが、そこで「ちょっと待て、添付ファイルは要注意」としてよく内容を点検することをお勧めする。
拙宅では、こうした送信者からのメールは、サーバーから直接捨てるよう(メールソフトの)設定をしている。
こうして受信時のメールの数と着信数を見ていると、上述の通り、仮に10通の処理をしているとすると、着信は7通のみで、残る3通はウイルスメールとして(自動的にサーバーから)捨てられている。
この他、ネット接続業者が運営する「ジャンクメール」ロボットも稼働していて、ここにも、出所の不確かなメールが捉えられている。
具体的な対策としては、
①ウイルス駆除ソフトを常に稼働させておくこと。
②怪しいメールは、サーバーから直接捨てる設定をすること。
③ジャンクメール対策サービスを受けること。
④それでも受信してしまった「添付ファイル付き」メールは(添付ファイルは開かず)即時削除すること。
などである。