2013 紅染月 29日
僕が しばしば ここに
仏教 のことを書くのは
我が家が 浄土真宗だからである
僕が しばしば ここに
神教 のことを書くのは
のりこちゃんの家系が神道だからである
そして
僕が しばしば ここに
キリスト教のことを書くのは
僕とのりこちゃんの出身中学・高校がキリスト教の学校だったからである
母校 関東学院はプロテスタントの学校で
週に3回 礼拝があり
食事の前には 賛美歌を歌い お祈りを奉げた
それでも 中学の修学旅行は
京都奈良に行き神社仏閣を見て回った
高校では 九州を一回り
大浦天主堂とか 隠れキリシタン
の 跡を見て回った
その関東学院の高校 2年生 3年生の担任だった先生に
残暑見舞いを出した
例によって
ヨットで遊びほうけている写真を載せて
この夏休みに
少年 H
という映画を見に行った
このことは たぶんここに書いていないと思う
軽く話題にするのが躊躇われたから
その先生からお返事をいただいた
襟を正さなければ読めないような内容だった
8月と言えば
先生が6歳の時に鹿児島で雨あられと降ってくる焼夷弾の中を
何とか逃げ延びるなか
焼夷弾にあたって死んでいく無残に死んでいく人が脳裏に焼きついている
今 憲法9条を守り抜く必要を感じておられ
結びに
少年 H
を見てください
と書いてありました
僕たちのことだから
本を読め といっても読まないだろうな
と思われたのでしょうか
少年H
は 神戸が舞台で
キリスト教を信じる 少年H 家族の物語です
映画を見終わった後
聖書に時間に海老坪先生が
第二次世界大戦中のキリスト教への迫害
の話を思い出したね
劇中のような事で本当に収まったのだろうか
本当はもっと激しい迫害にあったのでは
と話をしておりました
関東学院は1919年
第一次世界大戦のベルサイユ条約の年に開校した
関東学院でも 陸軍の軍事教練が義務になり
軍隊からその技能の検閲も受け
第二次世界大戦中の関東学院では
今も六角塔の地下にある
コベルホール
に名前を残す
コベル先生は
第一次世界大戦の国際連盟の条約文
即ち 各国の軍縮基調の条約文を額に入れ飾っていたそうだ
しかし 軍部はそれを由とせず
劇中でも出てきた
特高により
コベル先生は関東学院にも日本にもいることができなくなり
フィリピンに行き
そこで 日本軍によって銃殺される直前も
日本の平和を祈ったと云う
戦後アメリカで難を逃れた娘さんは
その時の教職を離れ
日本人の収容所に行き両親の愛した日本人のために生涯を奉げたそうである
関東学院の生徒は
全員がキリスト教徒ではない
キリスト教に改心せよ
と云う強制も 風潮もない
以前ラジオで永六輔さんが
テロリストはイスラム教徒だ
でも
イスラム教徒はテロリストではない
と仰っていましたが
シリアの神経ガス兵器はどうなるのでしょう
作っている工場を 特定しているのでしょうか
住民も ここで作っているみたい
と 知っているのでしょうか
街中の 極普通の工場で作っていて
その工場を爆撃する
となると 一般市民が巻き込まれてしまう
攻撃する前に
何丁目何番地の施設は
軍事工場だ
と市民に教えてから攻撃しても遅くないのでは?
攻撃して 完成したガスが第三者に渡るのも怖いですが
そのガスが攻撃によって漏れ出すのも怖いですよね
少年 H
のお母さんが
キリスト教以外のことを
邪教
と云うと
お父さんは
他の宗教を信じている人から見たら
キリスト教が邪教
と云うことになるのだからそういうことは言ってはいけない
と云うようなやり取りがありました
主人公の家族が礼拝をするところは
立派な教会ではなく
一般家庭の一部屋です
僕が小学生の時に
こういう礼拝に行ったことがあり
戦争中と時代はそんなに変わっていないんだな
とも思いました
その後
近所に チャーチオブゴット教団と云うのが設立され
都岡町内唯一の宗教施設となりました
都岡町内には お寺も神社もないのです
それは 昔の都岡村
が細分化されたときになくなってしまいました
都岡幼稚園
都岡小学校
都岡中学
都岡高校(現旭稜高校)
都岡電電公社(現NTT都岡)
都岡郵便局
都岡地区センター
などがありますが
都岡町内にあるのは
都岡小学校
と
都岡郵便局
だけです
宣教師の先生が自ら建物を建てられた
と聞きました
今は建物が建て替えられましたが
以前の教会には何度も行きました
地下の卓球場にも・・・・
焼夷弾
と云う名前は 父母や小学校の先生からも聞いていた
マッチのような爆弾で
日本の家屋が木と紙で出来ているから
開発された 日本向けの兵器だと
だとすると
一般市民が標的の武器になります
焼夷弾で思い出すのは
小学校4年生の担任だった
山中先生が戦争の話をしてくださった時に
先生のお兄さんが
降り注いだ焼夷弾の一つを手でキャッチし
横の畑に投げたので先生の家は燃えなかった
と
家に帰って父に言うと
そんな事が出来たのか
凄いね
とだけ言った
他にも何人にも言ったが
そりゃ 嘘だ
と 口をそろえる
でも先生は そう言った
その 山中先生も他界し真意は分からない
でも 映画のように 焼夷弾がマッチのよう
と云うより
着弾して 火花を散らして爆発するような物だったら
信管を避けて横から抱きかかえ
そのまま後ろから落ちるように畑に投げ入れたら
ことによると・・・・
とも
不発弾としての処理も大変だし
投げ方によっては爆発するし
大体 空から降ってくる物を
手で受け止められるのか?
でも父は凄いね
としか言わなかった
先生を非難するような言葉は発しなかった
三尺下がって師の影を踏まず
と云うのが身にしみている父でした
今 先生より偉い父母が増え
モンスターペアレンツが生まれた
それでは 子供が先生を馬鹿にし慕わない
やはり ここは先生を立てるべきなのでは?
一般市民を狙う兵器・・・・
原子爆弾も当然そうなります
原子爆弾が投下されたことによって
第二次世界大戦は早期終了した
と云う人もおりますが
戦争が始まって 1年も経たないうちに
軍部の上層部の一部の人たちの見得と死に場所のために
続けられたようにも思われる先の大戦
零戦を作る工作機械は輸入品
それが入らなければ飛行機だって作れない
数年前に流行った?
代替燃料
バイオエタノール
戦争中はこれで飛行機を飛ばしていた歴史があるようです
でも 馬力が出なかったそうです
戦争 すべてが 悪だとは僕は思えません
必要悪 ではないだろうか
でも
この戦争おかしいよ
もう止めよう
と思ったら 皆で声が上げられる社会であって欲しいです
その事で軍部から睨まれたとしても
一人ひとりが ちゃんと声を出せる世の中
憲法であって欲しいと思います
僕が しばしば ここに
仏教 のことを書くのは
我が家が 浄土真宗だからである
僕が しばしば ここに
神教 のことを書くのは
のりこちゃんの家系が神道だからである
そして
僕が しばしば ここに
キリスト教のことを書くのは
僕とのりこちゃんの出身中学・高校がキリスト教の学校だったからである
母校 関東学院はプロテスタントの学校で
週に3回 礼拝があり
食事の前には 賛美歌を歌い お祈りを奉げた
それでも 中学の修学旅行は
京都奈良に行き神社仏閣を見て回った
高校では 九州を一回り
大浦天主堂とか 隠れキリシタン
の 跡を見て回った
その関東学院の高校 2年生 3年生の担任だった先生に
残暑見舞いを出した
例によって
ヨットで遊びほうけている写真を載せて
この夏休みに
少年 H
という映画を見に行った
このことは たぶんここに書いていないと思う
軽く話題にするのが躊躇われたから
その先生からお返事をいただいた
襟を正さなければ読めないような内容だった
8月と言えば
先生が6歳の時に鹿児島で雨あられと降ってくる焼夷弾の中を
何とか逃げ延びるなか
焼夷弾にあたって死んでいく無残に死んでいく人が脳裏に焼きついている
今 憲法9条を守り抜く必要を感じておられ
結びに
少年 H
を見てください
と書いてありました
僕たちのことだから
本を読め といっても読まないだろうな
と思われたのでしょうか
少年H
は 神戸が舞台で
キリスト教を信じる 少年H 家族の物語です
映画を見終わった後
聖書に時間に海老坪先生が
第二次世界大戦中のキリスト教への迫害
の話を思い出したね
劇中のような事で本当に収まったのだろうか
本当はもっと激しい迫害にあったのでは
と話をしておりました
関東学院は1919年
第一次世界大戦のベルサイユ条約の年に開校した
関東学院でも 陸軍の軍事教練が義務になり
軍隊からその技能の検閲も受け
第二次世界大戦中の関東学院では
今も六角塔の地下にある
コベルホール
に名前を残す
コベル先生は
第一次世界大戦の国際連盟の条約文
即ち 各国の軍縮基調の条約文を額に入れ飾っていたそうだ
しかし 軍部はそれを由とせず
劇中でも出てきた
特高により
コベル先生は関東学院にも日本にもいることができなくなり
フィリピンに行き
そこで 日本軍によって銃殺される直前も
日本の平和を祈ったと云う
戦後アメリカで難を逃れた娘さんは
その時の教職を離れ
日本人の収容所に行き両親の愛した日本人のために生涯を奉げたそうである
関東学院の生徒は
全員がキリスト教徒ではない
キリスト教に改心せよ
と云う強制も 風潮もない
以前ラジオで永六輔さんが
テロリストはイスラム教徒だ
でも
イスラム教徒はテロリストではない
と仰っていましたが
シリアの神経ガス兵器はどうなるのでしょう
作っている工場を 特定しているのでしょうか
住民も ここで作っているみたい
と 知っているのでしょうか
街中の 極普通の工場で作っていて
その工場を爆撃する
となると 一般市民が巻き込まれてしまう
攻撃する前に
何丁目何番地の施設は
軍事工場だ
と市民に教えてから攻撃しても遅くないのでは?
攻撃して 完成したガスが第三者に渡るのも怖いですが
そのガスが攻撃によって漏れ出すのも怖いですよね
少年 H
のお母さんが
キリスト教以外のことを
邪教
と云うと
お父さんは
他の宗教を信じている人から見たら
キリスト教が邪教
と云うことになるのだからそういうことは言ってはいけない
と云うようなやり取りがありました
主人公の家族が礼拝をするところは
立派な教会ではなく
一般家庭の一部屋です
僕が小学生の時に
こういう礼拝に行ったことがあり
戦争中と時代はそんなに変わっていないんだな
とも思いました
その後
近所に チャーチオブゴット教団と云うのが設立され
都岡町内唯一の宗教施設となりました
都岡町内には お寺も神社もないのです
それは 昔の都岡村
が細分化されたときになくなってしまいました
都岡幼稚園
都岡小学校
都岡中学
都岡高校(現旭稜高校)
都岡電電公社(現NTT都岡)
都岡郵便局
都岡地区センター
などがありますが
都岡町内にあるのは
都岡小学校
と
都岡郵便局
だけです
宣教師の先生が自ら建物を建てられた
と聞きました
今は建物が建て替えられましたが
以前の教会には何度も行きました
地下の卓球場にも・・・・
焼夷弾
と云う名前は 父母や小学校の先生からも聞いていた
マッチのような爆弾で
日本の家屋が木と紙で出来ているから
開発された 日本向けの兵器だと
だとすると
一般市民が標的の武器になります
焼夷弾で思い出すのは
小学校4年生の担任だった
山中先生が戦争の話をしてくださった時に
先生のお兄さんが
降り注いだ焼夷弾の一つを手でキャッチし
横の畑に投げたので先生の家は燃えなかった
と
家に帰って父に言うと
そんな事が出来たのか
凄いね
とだけ言った
他にも何人にも言ったが
そりゃ 嘘だ
と 口をそろえる
でも先生は そう言った
その 山中先生も他界し真意は分からない
でも 映画のように 焼夷弾がマッチのよう
と云うより
着弾して 火花を散らして爆発するような物だったら
信管を避けて横から抱きかかえ
そのまま後ろから落ちるように畑に投げ入れたら
ことによると・・・・
とも
不発弾としての処理も大変だし
投げ方によっては爆発するし
大体 空から降ってくる物を
手で受け止められるのか?
でも父は凄いね
としか言わなかった
先生を非難するような言葉は発しなかった
三尺下がって師の影を踏まず
と云うのが身にしみている父でした
今 先生より偉い父母が増え
モンスターペアレンツが生まれた
それでは 子供が先生を馬鹿にし慕わない
やはり ここは先生を立てるべきなのでは?
一般市民を狙う兵器・・・・
原子爆弾も当然そうなります
原子爆弾が投下されたことによって
第二次世界大戦は早期終了した
と云う人もおりますが
戦争が始まって 1年も経たないうちに
軍部の上層部の一部の人たちの見得と死に場所のために
続けられたようにも思われる先の大戦
零戦を作る工作機械は輸入品
それが入らなければ飛行機だって作れない
数年前に流行った?
代替燃料
バイオエタノール
戦争中はこれで飛行機を飛ばしていた歴史があるようです
でも 馬力が出なかったそうです
戦争 すべてが 悪だとは僕は思えません
必要悪 ではないだろうか
でも
この戦争おかしいよ
もう止めよう
と思ったら 皆で声が上げられる社会であって欲しいです
その事で軍部から睨まれたとしても
一人ひとりが ちゃんと声を出せる世の中
憲法であって欲しいと思います