いまでは知らぬ人のない「千の風になって」が、新井満さんによって訳詞、作曲されたのが2001年のことでした。当初、新井さんは私家版として30枚のCDをプレスし、知人に配布していたのだそうです。この曲が新聞コラムに紹介されて、少しずつ話題になり、やがて秋川雅史さんの歌唱などで多くの人に親しまれる歌になっていきました。
さて、「千の風になって」が生まれる6年前、この作者未詳の詩は翻訳され、美しい写真を添えて小さな本が出版されました。『あとに残されたひとへ 1000の風』(南風椎訳 三五館 1995年)です。
この詩のどこか仏教的なところと、各節に配された写真の美しさに魅了されたのが、心理学者の河合隼雄さんでした。サンフランシスコで開かれた国際箱庭療法学会のワークショップで講演の締めくくりに、河合さんはこの詩を紹介しています。
ワークショップが終わり、サンフランシスコ湾を臨む友人の夫妻宅に泊まった河合さんは、『1000の風』を画家である夫君にプレゼントして大いによろこばれます。ところが翌朝、思いもかけず夫君の弟の訃報に接することになるのです。そのときの様子を河合さんは次のように記しています。
三人(ブラッドウェイ夫妻と河合さんー引用者注)で居間に集まったが、それまでなかなか連絡がつかなかったブラッドウェイ氏の妹さんより電話があり、彼はそちらのほうに行った。残された私と夫人とは、アメリカの葬儀の話となり (中略) 私が日本には密葬などという習慣もあると説明していると、彼女の手が、つとのびて、私の話を制した。
すると、夫君が妹さんに対して、電話口で「1000の風」の詩を読み聞かせているのが聞こえてきた。「私の墓石の前に立って/涙を流さないで下さい」。私たちは黙って耳を傾けた。
しばらくして夫君の声が途切れ、続かなくなった。夫人はそっと立ち上がり、電話のところに行き、詩の続きを読みはじめた。
「夜は星になり、/私は、そっと光っています」。夫人の声を聞きながら、私は身じろぎもせずサンフランシスコの夕暮の景色に見入っていた。夕暮の一瞬、すべてが紫色がかって見え、美しすぎるほどの景色であった。私はこの日の光景を一生忘れないだろう。
(初出「サンフランシスコの風」文藝春秋1996年 『出会いの不思議』創元こころ文庫所収)
すべてが紫色に染まってゆくサンフランシスコの夕暮れどきに、兄妹そして夫婦が風になった弟のことを詠っています。その光景は死別の哀れを誘うのではなく、美しすぎるものとして河合さんの目に映ったのです。
このエッセイは、「1000の風」による救いが日本語で記された、おそらく最初の文章だと思います。