楊守敬という名前をどこかで見たような記憶があり、ある方の過去のブログを確認してみたところ、清末学者の「年譜」に載っていました。
日本の古辞書である『倭名類聚抄』を刊行するような人ですから、やはり有名な学者だったのですね。更に『明清著名蔵書家・蔵書印』を見てみると、やはりそこにも名がありました。名の知れた蔵書家でもあったようです。
中国の清代の学者がどうして『和名類聚抄』を刊行するに至ったのか知りたくて、楊守敬について調べてみようと思いました。『和名類聚抄』に序文があるので、まずそれを読めばいいのですが、何分にも白文ですので(断句は試みていますが)、誤読を避けるために予備知識(補強材料)を!と思って・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_3.gif)
『楊守敬集』第一冊(主編:謝承仁)の総序によると、湖北省宜都生まれ、原名は開科、字は鵬雲、惺吾と号し、晩年は自ら鄰蘇老人と号した。四歳で父を亡くし、祖父のもとで成長した。歴史地理学家・版本目録學家・金石學家・書法家・蔵書家とのこと。
関係がありそうなところしか読んでいませんが、アメリカ・日本を訪れた際に著名な大学や図書館を訪問しているようです。しかし、『和名類聚抄』に関係するような記事は見当たりません。
「鄰蘇老人年譜」にも残念ながら刊行に関連した記事はありません。
『明清著名蔵書家・蔵書印』の解説に、「中日両国の文化発展に大きな影響をもたらした蔵書家・・・」とありますので、こちらをまず読んでみようと思います。
語学力が怪しいので、じっくりと読んでみようと思います。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
読書百遍義自ずから見る!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/d7/d9264ed1be8618c523563d380ee7ceb4.gif)
日本の古辞書である『倭名類聚抄』を刊行するような人ですから、やはり有名な学者だったのですね。更に『明清著名蔵書家・蔵書印』を見てみると、やはりそこにも名がありました。名の知れた蔵書家でもあったようです。
中国の清代の学者がどうして『和名類聚抄』を刊行するに至ったのか知りたくて、楊守敬について調べてみようと思いました。『和名類聚抄』に序文があるので、まずそれを読めばいいのですが、何分にも白文ですので(断句は試みていますが)、誤読を避けるために予備知識(補強材料)を!と思って・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_3.gif)
『楊守敬集』第一冊(主編:謝承仁)の総序によると、湖北省宜都生まれ、原名は開科、字は鵬雲、惺吾と号し、晩年は自ら鄰蘇老人と号した。四歳で父を亡くし、祖父のもとで成長した。歴史地理学家・版本目録學家・金石學家・書法家・蔵書家とのこと。
関係がありそうなところしか読んでいませんが、アメリカ・日本を訪れた際に著名な大学や図書館を訪問しているようです。しかし、『和名類聚抄』に関係するような記事は見当たりません。
「鄰蘇老人年譜」にも残念ながら刊行に関連した記事はありません。
『明清著名蔵書家・蔵書印』の解説に、「中日両国の文化発展に大きな影響をもたらした蔵書家・・・」とありますので、こちらをまず読んでみようと思います。
語学力が怪しいので、じっくりと読んでみようと思います。
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読書百遍義自ずから見る!
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