アーサー・C・クラーク氏の訃報が伝えられた。享年90歳、長寿であった。
SF界の重鎮である氏の作品は何冊か読んだことがあるので、一時代の終焉というか、感慨を覚える。
氏の作品に初めて触れたのはもう40年も前に読んだ「2001年宇宙の旅」である。
中学生だった自分には、とても難しい内容で理解できなかった思い出がある。
スタンリー・キューブリックが監督をした映画の方はわかりやすいが、後年映画を観て、あの「黒い板は何なのか」
「何が言いたいのか」、友人と話したことがあった。
「神」?「真理」?・・・「わかんない!」
「2001年」よりもずっと以前に発表された「幼年期の終わり」を学生時代に読んだとき、なんとなくだが、
わかりかけてきた。
「宇宙の誕生」「宇宙の進化」「生命の進化」・・そうしたものは、私たちの考えも及ばぬ大きな力に導かれている、
「大きな力」とは「神」なのかもしれないし、「生命の進化の末の姿」なのかもしれない。
氏の主要作品に一貫して自分が感じたのは、「進化」である。
その進化とは、「物質を超えること」である。
人類は絶えず「物」を必要として生き、進化してきた、「物質至上文明」が人類の歴史である。
そして「進化とは物をコントロールしつくすこと、それは宇宙の姿を変える力にもなる」
「でももっと大切なのは、物質(宇宙)にとらわれない精神性なのではないのかな?」と、
一連の主要作品で訴えてきたように思うのだが、みなさんはどう思われるだろうか?
それは、クラーク氏が生活の地をスリランカという、およそ現代の物質文明の最先端とはかけ離れた場所に
移した生き方にも見て取れるように思う。
もっと色々書きたいのだが、訳のわからないことを書いているように思えるので、やめよう。
お薦め作品 「幼年期の終わり」「都市と星」「遙かなる地球の歌」もちろん「2001年」。
きょうは南魚沼とは何の関係もない話でした。恐縮。
SF界の重鎮である氏の作品は何冊か読んだことがあるので、一時代の終焉というか、感慨を覚える。
氏の作品に初めて触れたのはもう40年も前に読んだ「2001年宇宙の旅」である。
中学生だった自分には、とても難しい内容で理解できなかった思い出がある。
スタンリー・キューブリックが監督をした映画の方はわかりやすいが、後年映画を観て、あの「黒い板は何なのか」
「何が言いたいのか」、友人と話したことがあった。
「神」?「真理」?・・・「わかんない!」
「2001年」よりもずっと以前に発表された「幼年期の終わり」を学生時代に読んだとき、なんとなくだが、
わかりかけてきた。
「宇宙の誕生」「宇宙の進化」「生命の進化」・・そうしたものは、私たちの考えも及ばぬ大きな力に導かれている、
「大きな力」とは「神」なのかもしれないし、「生命の進化の末の姿」なのかもしれない。
氏の主要作品に一貫して自分が感じたのは、「進化」である。
その進化とは、「物質を超えること」である。
人類は絶えず「物」を必要として生き、進化してきた、「物質至上文明」が人類の歴史である。
そして「進化とは物をコントロールしつくすこと、それは宇宙の姿を変える力にもなる」
「でももっと大切なのは、物質(宇宙)にとらわれない精神性なのではないのかな?」と、
一連の主要作品で訴えてきたように思うのだが、みなさんはどう思われるだろうか?
それは、クラーク氏が生活の地をスリランカという、およそ現代の物質文明の最先端とはかけ離れた場所に
移した生き方にも見て取れるように思う。
もっと色々書きたいのだが、訳のわからないことを書いているように思えるので、やめよう。
お薦め作品 「幼年期の終わり」「都市と星」「遙かなる地球の歌」もちろん「2001年」。
きょうは南魚沼とは何の関係もない話でした。恐縮。
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