「JR八戸線」
「三陸鉄道リアス線」
「長内川」
青森から八戸までは「青い森鉄道」に乗りました。
その日は八戸から久慈まで「JR八戸線」に乗りました。
久慈で途中下車しました。
久慈には民藝の柳宗悦が認めた北限の民窯「小久慈焼」がある、と
情報をキャッチ!窯元まで長内川沿いを往復しました。
家人は湯吞を、私は花入れを見つけました。
久慈と言えば駅弁「うに弁当」が有名です。
私は何でも見たがり食べたがり買いたがりです。
家人は言います。
『夕べ、大間のトロを食べたのだから我慢したら?』
私は言います。『半分ずつ食べる?』
いよいよ「三陸鉄道リアス線」に乗りました。
私たちは久慈から宮古まででした。
一両編成の電車はパス旅仲間がいっぱいでした。
車窓から海は遠く、海岸線沿いには高い立派な堤防が
走っても走ってもどこまでも築かれていました。
「三陸鉄道リアス線」
「長内川」
青森から八戸までは「青い森鉄道」に乗りました。
その日は八戸から久慈まで「JR八戸線」に乗りました。
久慈で途中下車しました。
久慈には民藝の柳宗悦が認めた北限の民窯「小久慈焼」がある、と
情報をキャッチ!窯元まで長内川沿いを往復しました。
家人は湯吞を、私は花入れを見つけました。
久慈と言えば駅弁「うに弁当」が有名です。
私は何でも見たがり食べたがり買いたがりです。
家人は言います。
『夕べ、大間のトロを食べたのだから我慢したら?』
私は言います。『半分ずつ食べる?』
いよいよ「三陸鉄道リアス線」に乗りました。
私たちは久慈から宮古まででした。
一両編成の電車はパス旅仲間がいっぱいでした。
車窓から海は遠く、海岸線沿いには高い立派な堤防が
走っても走ってもどこまでも築かれていました。