11月8日(火)いちき串木野市の史跡、田の神様3か所を巡りました。
鹿児島では親しみを込めて田の神様を、「たのかんさあ」と呼んでいます。
河内公民館横の空地に車を止め・・・たのかんさあは、どけ、おいやんどかい(田の神様は、どこに、いらっしゃるでしょうか)と草刈りの人に尋ね、場所を教えてもらいました。
河内の田の神様 以下の画像は11月8日に撮影
国道3号の串木野IC入口交差点から広域農道を東に進み、高速道路(南九州道)をくぐり200mほど先の左手です。グーグルマップに表示はありますが、ストリートビューでは見当たりませんでした。
東側から写す
道路沿いの電柱近くにあり周囲は耕作されておらず、全体が夏草に隠れていたようです。江戸時代末期、1860年に建てられたものですが、石材の形が墓石のようで彫も現代的に見えて、あまり古さを感じませんでした。
東側を写す 一石双体
田の神様は旧薩摩藩内の鹿児島県、宮崎県西部(えびの、小林、都城など)に多く残っています。小型のものでは盗まれたり、農地整備、耕作休止などで所在不明になったものが多いと思われます。
時代は令和、昭和も遠くなり農村部の過疎高齢化は深刻さを増し、史跡価値のあるものを除き、殆どの田の神様が忘れ去られようとしています。
一つの石に2体彫られた田の神様は珍しく、いちき串木野市と薩摩川内市に集中しているとのこと。
道沿いの小高い位置に石碑が多数
河内から東に進むと自動車工場横、阿根ケ滝入り口の200mほど手前の道路北側(左手)に多くの石碑が建っていました。大小ありますが、殆どは水神様のようでした。
道路、耕地整備でこの地に移されたようで、きれいに柴が供えられていました。地域の方々が今も大事に守っておられることを、同郷の鹿児島県民としてうれしく感じました。
福薗の田の神様 二つの鳥居横は民家
河内の田の神様から東へおよそ1.5km、広域農道を冠嶽方向に左折して100mほど左側の南方神社鳥居前にあります。車は神社手前の空地に止められます。
二つの鳥居と鈴なりの柿
南方神社へ向かう坂の途中左手には冠嶽八十八ケ所第73番、釈迦如来堂があり、雲一つない青空に朱色の柿が見事でした。
石の形に趣がある
こちらは田の神様らしい形ですが、建てられたのは河内の田の神と同年代の1862年です。
五反田川沿いを歩く
およその見当を付けて南方神社前から歩きました。耕作放棄地では草が生い茂って、これも秋景色。
生野の田の神様
少し遠回りになりましたが、コインランドリー横から川の方向へ30mほど入った場所でした。民家に囲まれてわずかに残った小さな水田内にありました。
後ろ側 民家のすぐ近くにある
周囲の宅地化が進んで取り残されたようですが、近くには彼岸花の濃い緑葉が伸びていました。彼岸花の季節には収穫前の稲と良い組み合わせかもしれません。
だいぶ風化が進んでいる
石材の性質か、だいぶ風化が進んでいる感じがしました。
3か所の田の神様を並べてみると
石材と姿形には神像型、仏像型などそれぞれ特徴があり素晴らしいです。これからも大事に守られていくことでしょうが、多くの人が自然を大切にし、神仏のご加護を信じる心を持ってほしいものです。
この後、冠嶽神社にも立ち寄りました。ごく一部を除き紅葉には程遠く、3週間ほど雨なしで緑葉にも精彩が乏しい感じでした。
<追記 2022/11/16 鏑楠(てきなん)の田の神様>
竹藪脇の田の神様 一石並立の田の神像 11月16日
広域農道を東側から、いちき串木野市生福方向に向かう上り坂をヤブサメファーム(地鶏放し飼い牧場)方向へ左折、狭い道を500mほど進みます。養鶏所売店手前の竹藪横に田の神像がありました。
大規模養鶏所のため車の出入りが多く、撮影していた数分間でも4台。珍しい田の神様ですが、道は狭く離合箇所は限られますので運転にはご用心を。
案内標柱には一石並立、説明版には一石双体と書かれた珍しい男女の田の神様です。風化が少なく、表情が判りやすく、苔むした雰囲気が良く、なぜか竹藪脇にあり、かなり異質に感じました。
竹藪内の道は狭く車は通らないようですが、下の方には水田があります。ここに移したのか、今は竹藪だが昔は水田だったのか不思議なところです。
鹿児島では親しみを込めて田の神様を、「たのかんさあ」と呼んでいます。
河内公民館横の空地に車を止め・・・たのかんさあは、どけ、おいやんどかい(田の神様は、どこに、いらっしゃるでしょうか)と草刈りの人に尋ね、場所を教えてもらいました。
河内の田の神様 以下の画像は11月8日に撮影
国道3号の串木野IC入口交差点から広域農道を東に進み、高速道路(南九州道)をくぐり200mほど先の左手です。グーグルマップに表示はありますが、ストリートビューでは見当たりませんでした。
東側から写す
道路沿いの電柱近くにあり周囲は耕作されておらず、全体が夏草に隠れていたようです。江戸時代末期、1860年に建てられたものですが、石材の形が墓石のようで彫も現代的に見えて、あまり古さを感じませんでした。
東側を写す 一石双体
田の神様は旧薩摩藩内の鹿児島県、宮崎県西部(えびの、小林、都城など)に多く残っています。小型のものでは盗まれたり、農地整備、耕作休止などで所在不明になったものが多いと思われます。
時代は令和、昭和も遠くなり農村部の過疎高齢化は深刻さを増し、史跡価値のあるものを除き、殆どの田の神様が忘れ去られようとしています。
一つの石に2体彫られた田の神様は珍しく、いちき串木野市と薩摩川内市に集中しているとのこと。
道沿いの小高い位置に石碑が多数
河内から東に進むと自動車工場横、阿根ケ滝入り口の200mほど手前の道路北側(左手)に多くの石碑が建っていました。大小ありますが、殆どは水神様のようでした。
道路、耕地整備でこの地に移されたようで、きれいに柴が供えられていました。地域の方々が今も大事に守っておられることを、同郷の鹿児島県民としてうれしく感じました。
福薗の田の神様 二つの鳥居横は民家
河内の田の神様から東へおよそ1.5km、広域農道を冠嶽方向に左折して100mほど左側の南方神社鳥居前にあります。車は神社手前の空地に止められます。
二つの鳥居と鈴なりの柿
南方神社へ向かう坂の途中左手には冠嶽八十八ケ所第73番、釈迦如来堂があり、雲一つない青空に朱色の柿が見事でした。
石の形に趣がある
こちらは田の神様らしい形ですが、建てられたのは河内の田の神と同年代の1862年です。
五反田川沿いを歩く
およその見当を付けて南方神社前から歩きました。耕作放棄地では草が生い茂って、これも秋景色。
生野の田の神様
少し遠回りになりましたが、コインランドリー横から川の方向へ30mほど入った場所でした。民家に囲まれてわずかに残った小さな水田内にありました。
後ろ側 民家のすぐ近くにある
周囲の宅地化が進んで取り残されたようですが、近くには彼岸花の濃い緑葉が伸びていました。彼岸花の季節には収穫前の稲と良い組み合わせかもしれません。
だいぶ風化が進んでいる
石材の性質か、だいぶ風化が進んでいる感じがしました。
3か所の田の神様を並べてみると
石材と姿形には神像型、仏像型などそれぞれ特徴があり素晴らしいです。これからも大事に守られていくことでしょうが、多くの人が自然を大切にし、神仏のご加護を信じる心を持ってほしいものです。
この後、冠嶽神社にも立ち寄りました。ごく一部を除き紅葉には程遠く、3週間ほど雨なしで緑葉にも精彩が乏しい感じでした。
<追記 2022/11/16 鏑楠(てきなん)の田の神様>
竹藪脇の田の神様 一石並立の田の神像 11月16日
広域農道を東側から、いちき串木野市生福方向に向かう上り坂をヤブサメファーム(地鶏放し飼い牧場)方向へ左折、狭い道を500mほど進みます。養鶏所売店手前の竹藪横に田の神像がありました。
大規模養鶏所のため車の出入りが多く、撮影していた数分間でも4台。珍しい田の神様ですが、道は狭く離合箇所は限られますので運転にはご用心を。
案内標柱には一石並立、説明版には一石双体と書かれた珍しい男女の田の神様です。風化が少なく、表情が判りやすく、苔むした雰囲気が良く、なぜか竹藪脇にあり、かなり異質に感じました。
竹藪内の道は狭く車は通らないようですが、下の方には水田があります。ここに移したのか、今は竹藪だが昔は水田だったのか不思議なところです。