花浄土鹿児島

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上林山防衛庁長官 お国入り 2022/11/11(鹿児島)

2022-11-11 21:42:43 | 思い出
11月11日(金)死刑のはんこ発言の葉梨法務大臣が辞任しました。

法務大臣は「死刑のはんこを押したときぐらいしか話題にならず、金も票も入らない地味な仕事」と発言。過去にも同様の発言がありました。

世間一般から見ると正直な言葉のようですが、法務大臣本人がそれを言ってはいけません。マスコミに大きく取り上げられ、野党だけでなく与党からも批判の声が上がりました。



厳しい社会の声に抗えず、岸田総理は大臣交代を決断、就任後3か月での辞任となりました。昭和の頃、鹿児島でも短期間で大臣を辞めた人がいたような記憶がよみがえりました。

ネットで情報を探すと昭和41年(1966)の上林山栄吉防衛庁長官でしたが、私の記憶違いで辞任はしていませんでした。どんなことがあったのでしょうか、以下振り返ります。



上林山栄吉議員は1904年(明治37)指宿市の生まれ、昭和21年の衆議院議員選挙に初当選(当選同期に二階堂進氏)以後9回当選しています。

1966年第1次佐藤内閣第2次改造内閣にて第22代防衛庁長官として初入閣を果たす。同年9月に航空自衛隊機を使って鹿児島入りし、統合幕僚会議議長と陸海空の三幕僚長を従えながら陸上自衛隊音楽隊を連ねてパレードという公私混同お国入り問題(黒い霧事件)を起こして批判を浴びたが、翌1967年の第31回衆議院議員総選挙ではトップ当選を果たした。1971年8月10日、心不全のため死去。享年66。(ウィキペディアから引用)



武人の国薩摩に生まれ、防衛庁長官就任は元帥になった高揚感だったのでしょうか。当時私は中学生でしたが、多くの車列で県内各地を巡り、新聞やテレビで大きな批判が出たように記憶しています。

世間から大いに叩かれましたが、上林山氏は辞任を免れました。同年10月には荒船運輸大臣が自分の選挙区内の駅に急行停車のダイヤ改正をさせた事件があり、荒船氏は72日で大臣を辞任。同年12月に佐藤総理は衆議院を解散。



昭和41年(1966)はビートルズが来日、大相撲の優勝力士は6場所中5場所は大鵬、1月場所は柏戸、流行歌は「星影のワルツ」千昌夫/「君といつまでも」加山雄三/「骨まで愛して」城卓矢/「夢は夜ひらく」園まり/「霧氷」橋幸夫/「バラが咲いた」マイク真木(フォークソング流行のきっかけ)/「こまっちやうナ」山本リング(はやぶさ宝石箱、1分でわかる激動の昭和史から引用)



今回の発言は不用意なものですが、昭和の政界で繰り広げられた様々な疑惑や事件に比べると桁違いに軽いものに思えます。これほどに厳しいマスコミ報道や世間の反応には少し疑問もあります。

かつて悪夢を現実にした民主党政権の誕生前、マスコミの反自民談合の椿事件があり、「政権交代」の合言葉が世間をうわつかせ、まるで江戸末期の「ええじゃないか、ええじゃないか」を思わせるような雰囲気でした。

最近マスコミに目立つあおり報道には、当時の雰囲気を再現させたいとする願望が透けて見えて嫌な感じがします。
コメント (2)
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