53年前の7月1日は、社会人になったファーストデーで入社式が行われた。当時、学園紛争で卒業が遅れ、7月入社となった仲間が30人ちょっといた。同期入社の大半は4月にすでに入社していたので、幸先の悪いスタートであった。4月入社組は、入社教育の一環として、過酷な自衛隊への入隊訓練があったが、我々は難を逃れた。入社教育も千葉県の土気に新しくできた研修センターで行われ、初陣の研修となった。
7月入社組は、人数が少ないため、地上職だけでなく、他業種の新人も一緒に研修を受けるという変則的な研修であった。4-5日間の研修の最後に、人事部の人が来て配属先の発表があった。30数人の内、1番最初に名前が呼ばれたのが、自分であった。というのは、配属先は北から南の順に発表されたので、千歳が最初となったもの。寒い僻地への配属は皆嫌がっていたようで、千歳への配属発表の際は、大きな万歳とみられる拍手が起こった。大学時代まで北海道には足を踏み入れたこともなかったので、真っ先に不安がよぎる思いであった。あとで聞いた話であるが、当時の人事部では、九州出身の人は北海道配属とか、新入社員は半ば意図的に出身地意外に配属させていたようである。
日本地図を見ると、札幌は大きい都会のようだが、千歳という文字は小さく載っているだけで、どんな町なのか全く見当がつかなかった。どれほどの田舎町で、ちゃんとしたお店があるのか心配したほどである。先輩たちには、トンカチを持っていけという冗談を聞かされた。あまりにも寒いところなので、冬に外で用を足すとすぐ凍ってしまうので、その氷を叩いて壊すためにトンカチが必需品だというのである。冗談だろうとは思ったが、厳寒の北海道について全く知識がなかったのも事実である。7月は夏季繁忙期に入っているため、ろくな教育も受けないまま現場に出された。4年間過ごした北海道は第2のふるさとになっているが、あれからもう53年というから時の流れを感じる。入社教育を終え、7月12日に、朱里エイコの「ジェット最終便」ではないが、まさに最終便で千歳に向った。機内のBGMが「シバの女王」で、今でも音楽を聴くたびに赴任のフライトを思い出す。北海道各地を回り、その後集めたご当地ソングは、800曲を超える。今でも、時々北海道の歌を聴いて当時を懐かしんでいる。7月1日は、人生の転換期の節目であったことは間違いないところである。
歌で綴る札幌・千歳の思い出: https://youtu.be/dpBghPdSuy8