浪漫飛行への誘(いざな)い

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万博の思い出

2018年11月24日 10時55分11秒 | ニュース
2025年の万博開催地が大阪に決定した。大阪での開催は1970年以来、55年ぶり、国内での開催は2005年愛知万博以来、20年ぶりとなる。ロシアのエカテリンブルクとアゼルバイジャンのバクーと争ったが、結果的には圧勝であった。バクーには行ったことがあるが、まず万博は無理との印象だったので、当然の結果ともいえる。1回目の投票で、85票を集めたが、3分の2以上が得られず、ロシアとの決戦投票で92票を得ての当選であったが、決選投票で、アゼルバイジャンの23票の内、7票しか増えなかったのが気になる。ヨーロッパの結束というかヨーロッパ至上主義の表われであるともいえる。

二つの万博を振り返ると、まず、大阪万博については、1970年という自分にとっても節目の年であった。4月から就職を予定していたが、学園紛争の影響で卒業が遅れ、入社が7月に延期された。万博は3月15日から9月13日まで開催されたが、3月には、沖縄・台湾・香港に約1か月にわたる卒業旅行に出たので、普通なら万博には行くことができない環境にあった。しかし、幸か不幸か入社遅れのおかげで、5月に1週間もかけて大阪万博を満喫することができたのである。

親戚が大阪の十三というところに住んでいたので、そこに1週間泊めてもらい、毎日朝早くから万博会場に出かけた。77か国が参加し、100ちょっとのパビリオンがあったと思うが、1週間でほとんどすべてのパビリオンを見て回った。アポロ12号の「月の石」を展示していたアメリカ館やソユーズの人工衛星が展示されていたソ連館は超人気で入るのに何時間待ちという状態であったので、全部を見て回ることはかなり大変であったと記憶している。

岡本太郎の「太陽の塔」はよく覚えているが、もう48年前のことなので、ほとんどすべてのパビリオンを見て回った以外、正直言って何を見たかあまりよく覚えていない。毎日、開門と同時にお目当てのパビリオンに走って行ったことだけは記憶に残っている。

愛知万博は、2005年3月25日から9月25日まで開催されたが、プライベートと仕事で2回行くチャンスを得た。当時、あるスポーツ連盟に所属していて、国際連盟の理事でもある職場での上司が万博の大使を務めていたこともあって、国際連盟の会長や幹部数人を万博に案内する仕事を担当することになった。

仕事で万博を見て回るということは、どこもVIP特別対応で待ち時間もゼロで、日本館ではなだ万提供の特別懐石料理にもご相伴に預かった。VIP接待用なので、料理もさることながらお皿や飾り付けのすごさにビックリするほどであった。貴重な体験をすることができたので、感謝している。

2025年の万博はどんな万博になるのであろうか?その時まで生きている保証は全くないが、万一行ける環境にあれば行ってみたいと思う。まずは、大阪おめでとう。

写真は、太陽の塔

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