2両の旧型客車に揺られ、
翌日限りとなる熱塩駅へ。
車内は鉄チャンで混雑していた。
1984.3.30
日中線 熱塩駅
ほぼ、乗ってきた客がそのまま折り返しで喜多方へ。
こんなに人がいるなら、
駅寝も心細いこともないだろうと思っていた。
しかし、彼らのほとんどは接続する新潟行きに
乗り換えて行ってしまった。
そう、翌日は「赤谷線」の廃止の日でもあったのだ。
わずかばかりの鉄チャンを待合室に残し、
その彼らも会津若松行きで行ってしまった。
ぽつんと取り残された私。
まだまだ真冬の3月。寒い。
もしやと思い、駅前のホテルに
空室をあたってみたが、
当然!満室・・・。
仮に空室だとしても、
こんな貧乏そうな小僧を一人で泊められるかっ!
磐越西線の最終列車が行ってしまうと、
待合室のストーブも消され、
いよいよ寒さとの闘い。
・・・やめときゃよかった。
翌日限りとなる熱塩駅へ。
車内は鉄チャンで混雑していた。
1984.3.30
日中線 熱塩駅
ほぼ、乗ってきた客がそのまま折り返しで喜多方へ。
こんなに人がいるなら、
駅寝も心細いこともないだろうと思っていた。
しかし、彼らのほとんどは接続する新潟行きに
乗り換えて行ってしまった。
そう、翌日は「赤谷線」の廃止の日でもあったのだ。
わずかばかりの鉄チャンを待合室に残し、
その彼らも会津若松行きで行ってしまった。
ぽつんと取り残された私。
まだまだ真冬の3月。寒い。
もしやと思い、駅前のホテルに
空室をあたってみたが、
当然!満室・・・。
仮に空室だとしても、
こんな貧乏そうな小僧を一人で泊められるかっ!
磐越西線の最終列車が行ってしまうと、
待合室のストーブも消され、
いよいよ寒さとの闘い。
・・・やめときゃよかった。