ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

時代の流れ

2005年05月13日 | 通信-沖縄関連

 琉球王朝時代の沖縄は、独立国ではあったが親分が三人いた。直接の上司のような小親分、その上にいる中親分、それらとは別途にアジアの大親分とも関わりを持っていた。
 小親分は薩摩藩、直接的に琉球の富を搾取していた。中親分は日本国、琉球を外国と見なし、薩摩藩が管理していることを認めていた。大親分は中国、時々挨拶に来る琉球をカワイイ子分と思っていたようで、10の土産に100のお返しをする、さすがアジアの大親分と言われる鷹揚な国であった。(今も鷹揚であって欲しいが)
 琉球王朝時代が終わり、沖縄が日本国沖縄県となってから80年程が過ぎて、別の親分がやってきて、沖縄を子分にし、土地を奪い、居座った。その親分の力は大親分をはるかに凌ぐものなので、超親分と呼ぶことにしよう。超親分は30年近く沖縄を支配した。
 とぅー ぬ ゆーから やまとぅ ぬ ゆー (唐の世から大和の世)
 やまとぅ ぬ ゆーから アメリカゆー (大和の世からアメリカ世)
 ひるまさ 変わたる くぬ うちなー (不思議なほど変わってしまうこの沖縄)
 これは、(民謡の好きな人にとっては)有名な琉球民謡、『時代の流れ』の一番。この歌を聞くと私は、私の大好きな民謡歌手、数年前に死んでしまったが、嘉手苅林昌(かでかるりんしょう)をすぐに思い出す。無表情な顔をした林昌がボソボソと唄う姿が目に浮かぶ。林昌を思い出すとまた、『時代の流れ』が真っ先に、耳の奥に聞えてくる。
 この歌は8番まであるが、「大和の世からアメリカ世」の後に「アメリカ世からまた大和の世」という歌詞は最後まで出てこない。つまり、沖縄の本土復帰の前に作られた歌だということ。歌詞の中に「パーマネント」、「踵高靴(ハイヒール)」、「タイトスカート」などの言葉が出てくることから、戦後10年から20年過ぎた頃作られたと想像される。作詞したのは林昌。私がそう思うように、世間でもこれは彼の代表作の一つとされている。
 嘉手苅林昌については思うところが多いので、また別の機会に書くことにしよう。
 「アメリカ世からまた大和の世」という歌詞のある歌を佐渡山豊が唄った。彼の代表作『ドゥーチュイムニー(独り言という意)』の中にその歌詞はある。はっきりは覚えていないが、本土復帰直後に発表されたものだと思う。
 沖縄の本土復帰、本土という言葉がいつから使われたのか知らないが、本土イコール日本国という意識は、生まれたときから私の脳の中にあった。が、『時代の流れ』を聴いたりすると、「沖縄の帰るところは本当に日本国なの?沖縄は沖縄に帰ればいいんじゃないの」などと考えたりする。本土復帰は1972年、その頃、沖縄独立党なんてのもあった。
 「また大和の世」になって30余年、その間、少なくとも平和であり続け、戦前よりもアメリカ世よりもずっと豊かにもなった。ほとんどのウチナーンチュが復帰して良かったと思っていることだろう。山が切り崩され、海が汚れ、町には犯罪も増えたなど悪いこともあるが、生活文化の本土化で、沖縄の心が廃れてしまうと心配する人もいるが、何しろ生きているのである。ヌチドゥタカラ(命こそ宝)なのである。のんびりはしているが、なかなかしたたかなウチナーンチュなのである。これから先も、時代がいかように変ろうとも、沖縄の心はきっと無くなるまい。明後日5月15日は本土復帰記念日。

 記:2005.5.13 ガジ丸

 参考文献
 『正調琉球民謡工工四』喜納昌永・滝原康盛著、琉球音楽楽譜研究所発行