古き良き時代の沖縄は、敷地の塀(主に石垣)もそう高いものでは無く、大人の目線からだと中を覗くことができた。門に扉は無く、いつも開放されている。塀沿いの道を歩きながら中を覗いて、家の人の姿が見えて、ちょっとユンタク(おしゃべり)したいなと思ったら誰でも中に入ることができる。開放されているのは門だけでは無く、建物もまた、嵐の日でもない限り戸は開け放たれている。門を入り、庭を通って縁側に向かいながら家の人に声をかける。
「ちゃーびらさい(ごめんください)」と言い、返事を待つことなく縁側に腰掛ける。
「あね、誰かと思ったら純一郎じゃない。しばらく見なかったねぇ。忙しいのねぇ。」
「いやー、『誰が言っているの?お前が言っているんだ!YouSey民営化』がなかなか上手くいかなくてねぇ。忙しくて、帰ってくる暇が無かったさあー。」
などなどと始まり、しばしのユンタクタイムとなるわけである。
縁側にはたいてい、お茶の入った急須と湯飲みが、黒砂糖などのお茶請けと共に用意されている。それらは、友人知人親戚、あるいは近所の人たちのためだけにあるのでは無く、ここを通り、喉が渇き、疲れていて、一時休息したいと願う不特定多数の誰かのためにでもある。
「ちゃーびらさい(ごめんください)」と言い、返事を待つことなく縁側に腰掛けるのは、通りすがりの旅人であってもいいわけだ。
「あら、見かけない顔だけど、旅のお方?」
「そうです。すみませんが少し休ませてもらえませんか」
「はいはい、どうぞどうぞ、どこから来たの?大和からねえ。大変だったねぇ。疲れてるでしょ?黒砂糖でも食べて元気出しなさいね。」などといった光景となる。
旅人が休息した家がたまたま留守の場合もある。その場合でも、中に入り、縁側に腰掛け、しばしの休息を取り、そして、縁側にあるお茶とお菓子は、許可を得ずとも頂いていいことになっている。誰かの幸せのために用意されているのだ。役に立てばお茶もお菓子も本望というもの。
そんなことができたのも、人が人を十分に信頼できる環境にあったからこそ。もしも、旅人が悪い奴で、家のものを盗んでいったとしたら、それはごく珍しい不運であったに違いない。そして、そんな不運は、宝くじの1等に当たるくらいの確率でしか起こらなかったに違いない。
田舎では、今でも縁側にお茶とお菓子が用意されている地域もあると聞くが、そんな素敵な風習、現代の沖縄のほとんどの地域では、もはや廃れてしまっている。家を開けっぴろげなんかしておくと、宝くじの6等に当たるくらいの確立で不運に遭遇してしまう。
「昔は良かった」・・・なんてことは、実は、無い。昔が良かったのはごく一部のことで、生活の大部分は現代の方がずっと良い。洗濯機がある、掃除機がある、テレビ、冷蔵庫があり、パソコンでインターネットができる。飛行機に乗って、その日のうちに東京へ行ける。電車に乗って懐かしの吉祥寺にもその日のうちに行ける。スーパーに食い物は溢れている。コツコツ働いていれば飢え死にすることは無い。こんな便利で楽な生活を捨てて昔の暮らしに戻る?なんてとんでもない。人情よりも食い物が溢れている今の方がずっといい、と私は思う。
とは思うが、「金さえありゃ」という社会に生きている以上、ある日突然、首を絞められ、金を奪われ、海に投げ捨てられるかもしれないというリスクは常に伴っている。いつ交通事故に遭遇するか知れないし、不治の病に冒されるかもしれない。会社が倒産して路頭に迷う状況になるかもしれない。楽な暮らしの裏側にいつも不安を抱えているわけだ。
そんな不安を抱えつつ、少なくとも日常の生活は平和でありたい、と望む。そのためには周りの人たちと仲良くするとか、困っている人がいれば助けてあげるとかすればいいのではないか、そんな宗教家みたいなことを最近考えたりする。見知らぬ誰かのためにお茶とお菓子を用意するなんてことも、実は、平和であることを望む心の表れだったのかもしれない。
幸せになった不特定多数の誰かはきっと、自分を攻撃したりはしない。つまり、敵にはならない。敵がいなければ平和は保てる。平和が何よりと思う人にとって、誰かの幸せのためになることは自分の幸せのためでもある。平和よりも大事なものがあると思っている人も多いので、軽々しくは言えないが、靖国問題。A級の人を別にすれば隣近所も文句を言わないだろう、仲良くしてくれるだろうと私は思うのだが、そう簡単な問題では無いのだろうな。
記:島乃ガジ丸 2005.5.20