女子の体操種目にある段違い平行棒を想像していただきたい。その段違いの棒は高いのと低いのとの2本で構成されているが、それが何本も、たとえば10本とか20本とかの段違いで並んでいると想像していただきたい。棒はどれも同じように細く、そして長い。
それぞれの棒の上を、何人もの人々が歩いていると想像していただきたい。低い段の棒の上を歩く人がいて、中くらいの高さの棒の上を歩く人がいて、高い段の棒の上を歩く人がいる。細い棒の上を歩いているのであるが、それはそれぞれが、自分の環境と同程度の高さで、それぞれの人生を歩いているのと同様であると考えていただきたい。高い段であればあるほど、そこの環境は、美味しいものや大きな家や、きれいな服が手に入るものであると想定しておいていただきたい。
日本人の多くが上位の段にある棒の上を歩いている。白金の奥様たちの中には、合計数百万もする衣類、装飾品を身につけて歩いてらっしゃるのもいる。私なんか、今の格好を金額にするとパンツ、靴下まで入れて1万少し超えるくらい。時計や装飾品を身につける習慣がないので、いつもそんな程度。でも、そんな私でも、世界的に見れば、上位の段にある棒の上を歩いていることになる。白金マダムからは遥かに下だが。
さて、そこで、バブルが弾けて、不況が続いたところで、日本国民がこのさい、一斉に今、自分の歩いている段から1段下がった生活レベルにしたらどうだろうか。
「あら、別に何百万もする指輪をしなくたっていいのね。十万の指輪でも、周りの人たちは私を羨んでくれるのね。そしたら、1段下がったっていいわよ。」といった具合。
先日、フジテレビの朝の情報番組で少子化の問題を話題にしていた。日本の人口が今の半分になれば、日本の国土に余裕ができるではないか、日本の大地が無理せずに十分な食糧を生産できるではないか、住宅地にも余裕ができて庭付きの家に住める人々が増えるじゃないか、などと、私は単純に考えていたのだが、少子化の及ぼす影響はそんな甘いものでは無く、日本国民の生活に深刻な問題をあれこれ起こすらしいのである。
少子化の原因をテレビでいくつか挙げて、その中にはお金の問題も含まれていた。子供を育てるのはお金がかかるから産みたくない、ということなのである。私は、「それは違うだろう。昔はもっと貧乏だったのに、子供は多かった。しかも、りっぱに育てた。昔に比べれば今は、お金に限って言えば余裕があるじゃないか。」と思ったのである。
ところが、生活レベルの問題なのである。今のレベルを維持しようとすると、子供が産めないのである。既に高い方の段の上を歩いている人たちにとっては、クリスチャンディオールもプラダもエルメスも生きていく上では欠かせないものなのである。それらを犠牲にしてまで子供を産むことはできないのである。下の段を歩いているお父さんだって、晩酌のビールを犠牲にしてまで、「もう1人子供」なんて考えにくいのである。
繰り返すことになるが、日本国民が一斉に1段下がった生活レベルにしたらどうか。子供の1人や2人増えたとしても、十分に生活することができるようになると思うのだが。 1段下がった生活レベルにすれば、「なーんだ、500円のTシャツでもいいわけね。」などと心にも余裕が生まれるような気がするのだが、しかし、まあ、それは無理というものだろう。私だって、もう1段下がって、その日暮らしになるのは嫌なのである。
記:2005.8.5 ガジ丸