ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版063 モテなかった理由

2008年07月11日 | ユクレー瓦版

 いつもの週末、いつものユクレー屋、いつもの、では無いユーナがカウンターの向こうにいる。夏休みで島に帰ってきて、身重マナの代わりにユクレー屋で働いているのだ。そして、いつもの、毎度お馴染みのケダマンが座っている。

 ユーナにビールを注文して、まだぜんぜん普通のケダマンに、
 「やー、何か今日はまともだな。あんまし酔ってないね。」と声をかける。
 「あー、」とケダマンが応えるより先にユーナが、
 「この人も、さっき帰って来たばかりなんだよ。」と言う。
 「帰って来たって、どこに行ってたんだ?」
 「オバーと二人でマナのとこへ行って来たってさ。」と、またもユーナが答える。
 「何しに、」と言って、私はすぐに気付いて、「ウフオバーと一緒ということは、何しに?と訊くまでも無いか。どうだった、マナは元気だった?」
 「おー、元気だったぜ。そろそろ店に戻ろうか、なんて言ってたよ。」
 「そうか、そりゃあ良かった。もう安定期だしな、つわりが治まっているんだったら体は動かした方が良いって言うしな、店で働いた方が良いかもな。」
 「なんだ?つわりが治まったら体調が安定するってか?そうなのかユーナ?」
 「そんなこと私に訊かれても分らないよ。」
 「いや、私も実は、よく分らない。そう聞いた覚えがあるだけだ。」
 ということで、正しく、詳しい話はウフオバーから聞くこととなった。

 「だいたい妊娠16週くらいになると安定期になるって言われているねぇ。安定期になったっていうのは、流産する危険性が少なくなってね、母親の体調も安定するってことさあ。つわりは、誰にでもあるってわけじゃないけど、ある人は、妊娠2ヶ月くらいから始まってね、そして、安定期になると、つわりも治まる人が多いみたいねぇ。」
 とのことであった。で、マナについては、
 「マナは、前に妊娠したときはほとんどつわりが無かったらしいけどね、今回は何かちょっときつかったみたいでね、だから、店も休ませたわけさあ。でも、もう大丈夫みたいだよ、元気だったよ。来週からは店に出られるさあ。」とのこと。

 「どんなんだろうな、お腹に赤ちゃんがいるなんて、幸せなんだろうな。」と、子供を産むなんてまだずっと先、どころか、結婚相手の目処は全く無く、恋人さえもできるかどうか不安な状態にいるユーナが、しみじみと言う。
 「そりゃあ、幸せだろうね。ユーナもそのうちさ。」と私が優しく言うと。
 「バーカ言っちゃいけねぇぜ兄さん。マナには色気があったがな、ユーナには色気なんてこれっぽっちも無いぜ、そんな女が結婚なんて夢のまた夢だぜ。」とケダマンがいつものように憎まれ口を叩く。当然のこと、ユーナは怒る。
 「あっ、こんちくしょう、言いたいこと言いやがって!」と、ユーナはカウンターから手を伸ばしてケダマンの髪の毛を掴んで、耳を自分の口に近づけて
 「そのうち私にもさ、色気ぐらい付くさ。」と大声で叫んだ。
 「アホッ、」と、ケダマンはユーナの手を払って、「鼓膜が破れるわい!第一、そういった口の聞き方や態度がな、色気から遠ざけるんだ。」と続ける。ユーナも、もしかしたらそうかもしれないと思ったのか、手を引っ込めて、大人しげな声になって、
 「じゃあさ、色気ってさ、どうやったら付くのさ?」と訊く。
 「まあ、そうだな。とりあえずはそうやって大人しく、慎ましくしておくんだな。そして、ここぞという時にだな、寄り添ったり、さりげなく顔を近付けたり、じっと見つめたり、そっと手を膝の上に置いたり、甘い声で囁いたりするんだ。」
 「うっ、何でそんな、男が望むような女の振りをしなくちゃいけないのさ!バッカみたい。いいよ私は、そんなことするくらいなら一生独身でも。私は私であり続けるよ。そんな私に惚れてくれる男が一人くらい出てくることを期待するよ。」

  一人ぼっちだったユーナの、生活の面倒をみたのはシバイサー博士だったが、ユーナの遊び相手となって、精神的な成長の面倒をみたのはガジ丸である。「自分の感性を大事にして、自分らしく生きなさい。」と教えたのはきっとガジ丸であろう。
 「それで良いと思うよユーナ。そんなユーナに惚れる男はきっと五万といるさ。未来にはきっと幸せが待っているさ。」と私はユーナを慰めた。ユーナに笑顔が戻る。ところが一方、ケダマンが黙ったままだ。何か考え事をしているみたいである。
 「どうしたんだい、何考え事をしてるんだ?」
 「いや、もしかしたらよ、俺が人間だった頃モテなかったのは、俺が俺の感性ばかり大事にして、相手に好かれようと何ら努力をしなかったせいかなあと思ってな。イイ女だと思ったら、その思いが俺にとっては大事だったんだな。イイ女に向かって次々と突撃したんだが、ことごとく失敗したな。」としみじみ語る。すると、ユーナが判決する。
 「バーカ、あんたの場合はその浮気性がダメなんだよ。」と。
 私もユーナの意見に賛成する。そして、自分の何が悪くて何が良かったかについての認識の甘さも、ケダマンがモテなかった要因として、付け加えておきたい。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2008.7.11


農耕の価値

2008年07月11日 | 通信-環境・自然

 私の住むアパートは2階建て4世帯で、1世帯2DK(約10坪)の小さなアパートだが、敷地は広い。6台は十分停められる駐車場があり、1階の2世帯にはそれぞれ7坪ほどの庭があり、また、店子用にと区分けされた畑も付いている。
 畑は10坪ほどあり、その内の4坪を私が使っている。たったの4坪だが、除草したり耕したり、植え付けしたり、なかなか時間を取られている。そして、たった4坪だが、私の食卓の食糧自給にまあまあの役に立っている。安全で新鮮な野菜を得ている。

 昔、高校を卒業する前のこと、「農業がやりたい」と両親に話したことがある。両親は大反対であった。父は、「農業で生きていけると思ってるのか!百姓なんてのは他に能力の無い者がやるんだ!」とまで言った。父は、定年退職後、家の屋上にプランターを置いて、また、親戚の畑を借りたりして農作業を嬉々としてやっていたので、けして、農業が嫌いというわけではなかったようだ。ただ、息子には、大学に行って、ちゃんとした会社に勤めて、結婚して、マイホームを建てて、などという生活をおくって欲しかったのであろう。そのためには、農夫よりも会社員が近道と思ったのであろう。
 私もまた、農業が好きで「農業がやりたい」と言ったわけでは無い。将来何になりたいという確固とした意志も夢も持たなかった少年は、食い物さえあれば生きていけるという漠然とした考えからそう言っただけで、結局、その後、農業を目指すことも無く、農夫になるための何の努力もしないまま、だらだらと生きてしまう。

  20年ほど前、高校の同級生に自然農法を実践している人がいるということを聞き、弟子入りして、彼女から農業のいろはをちょっと学ぶ。その後、学んだことを生かす機会はしばらく無かったが、14年前に今のアパートに越してから役に立つことになった。
 夏は暑く冬は寒いボロアパートであるが、畑があるというだけで私は大いに満足している。食料自給の思いは若い頃から持っていた。たった4坪では、自給率は千分の一にもならないが、僅かであっても食糧自給への小さな歩みだ。今の仕事が定年、またはリストラになったら、300坪ほどの畑を借りて、農業をやりたいと思っている。
 「概ね粗食ほぼ小食」の生活を始めて7年ほどになる。10個しかないアンパンを一人で5個も6個も食う奴がいるから、1口も食えない人がたくさん出てくる、と私は考えており、これからも粗食小食を続けるつもりである。芋を米の代わりにしてもよい。豆腐を肉の代わりにしても よい。300坪で芋と大豆、その他、季節季節の野菜を育て、粗食小食の人間二人分は生産できるのではないかと机上の計算をしているところだ。
 食い物さえあれば生きていける。生きていける安心感は心に余裕を生む。余裕は平和を生む。それが農耕の価値となる。それで世界が平和になったら農耕の勝ちである。
          
          

 東京の1割の人が1坪の家庭菜園を持つと、合わせておよそ400haとなる。これは、東京ディズニーランド+ディズニーシーの約4倍だ。その広さの農地ができる。東京も多少は住み良い街になるに違いない。採りたて野菜は美味いですぜ。
 今週サミットがあった。地球環境や食料問題などが議題になった。どの国も納得するような妙案は無いと思うが、この先、良い方向へ向かうことを期待する。

 参考(になるか?)写真:新鮮野菜料理
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 記:2008.7.11 島乃ガジ丸