ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

学者肌

2010年10月15日 | 通信-文学・美術

 学者肌(がくしゃはだ)とは、「物事を論理的に考えたり研究一筋に生きたりするような、学者に多く見られる気質。」(広辞苑)のこと。
 今年3月某日、埼玉に住む友人KRからメール、及び電話があって、「友だちの井谷さんが沖縄に行くので、相手して貰えないか。」という内容。井谷さん(どうせ写真でその著作を紹介するので、イニシャルにしない)とは、『沖縄の方言札』という本を書いた井谷泰彦氏のこと。『沖縄の方言札』は、方言札について科学的に論証したもの。

 その昔(と言っても私が子供の頃もあったらしいので、さほど昔でもない)、学校で方言を使うと「私は方言を使いました」などと書かれた札を首から下げて、立たされるという罰があった。首から下げるその札のことを方言札と言う。
 ウチナーンチュであり、沖縄の事には興味を持っている私だが、方言札について深く考えようなどと思ったことは無い。「標準語とか共通語とかいうものをちゃんとしゃべれるようにならないと、本土(倭国のこと)へ行った際困るから」という理由で、教育現場で方言を使うことを禁じたものであると私は理解している。そう理解しているつもりだったので、改めて深く考えようとは思わなかったわけだが、井谷氏によると、さほど単純な思考ではないらしい・・・、「らしい」とは、じつは私は『沖縄の方言札』を全文読んでいない。学術的文章を読む元気が、私の脳味噌から消えて久しいので。

 ウチナーンチュであり、沖縄の事には興味を持っている私でさえそんな有様なので、ウチナーンチュであっても、興南高校が夏の甲子園で優勝する事には熱狂するが、沖縄の歴史や文化にはほとんど興味を持たない友人Hのような人が、実はウチナーンチュの大半を占めていると思う。よって、井谷氏の本は沖縄では売れない。ウチナーンチュで無い人々がほとんどである倭国ではなおさら売れない。ということを、氏に伺うと、氏も「それは解っています、売れるとは私も思っていません」とのこと。
 売れない本を出す。売れない研究をする。しかしそれは、興味のある人にとってはとても面白い研究であり、その研究成果を本という形にすることは大きな喜びなのであろう。一つのことに熱心に取り組む、それが金になるかどうかは二の次なのであろう。まさしくそれが学者肌と言えることなのかもしれない。井谷氏は学者肌の人なのである。
          

  「それが金になるかどうかは二の次」で思った。私は、このガジ丸通信やガジ丸HPの記事を書くのに、だいたい週に5、6時間は費やしている。ここ半年ばかりは休んでいるが、ユクレー島物語の絵を描いたり、音楽を作ったりしている時は週に10時間以上は使っていた。まったく金にならないのに何ともお疲れ様なのである。よって、そんな私もまた、学者肌の人とは言えないだろうか?・・・それはたぶん、言えない。
 私は一つのことを深く掘り下げて考えたりしない。テキトーに切り上げる。また、私は多趣味で、研究一筋に生きたりはできない。よって、私は学者肌ではない。 
 8月中旬、学者肌の井谷氏が再びやってきた。沖縄島北部の一泊二日を学者肌でない私が運転手としてお付き合いした。氏の今回の訪問は、「旧慣温存期における沖縄の青年団体」の調査とのこと。学者肌はまた、売れない本を出すつもりのようだ。
          

 記:2010.10.15 島乃ガジ丸


慶良間3座間味島

2010年10月15日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 高校生の頃、私は美術クラブに属していた。その頃の首里高校美術クラブは部員同士の仲が良く、3期上の先輩から3期下の後輩まで交流があった。顧問の先生も生徒から慕われており、先生が先頭に立って、毎年あちこちへ写生旅行へ出かけていた。
 美術クラブは、実際に美術を目指す(美術家だけでなく学校の美術教師も含む)者だけでなく、私のように遊び気分で絵を描く者も多くいて、写生旅行では、その名の通り写生をする者の他、釣りなどに興じる者もいた。私はもちろん後者。
 写生旅行の行き先、私が覚えている限りで言うと、沖縄島最北端の奥と、離島の久米島が高校在学中にあり、渡嘉敷島、座間味島などは卒業後に参加している。OB、OGの参加は普通のことで、卒業後5、6年も経った先輩たちも来ていた。ちなみに、その先輩達に、泡盛は素晴らしい酒であり、その土地土地に地酒があるということを教わった。泡盛は下級な酒と見なされていた頃だ。郷土愛の強い先輩達なのであった。

 奥では小学校の教室が宿泊場所であったが、久米島など離島の場合はキャンプであった。座間味島でもキャンプをしている。キャンプをした記憶はあるが、どんなキャンプ地だったか、何をして過ごしたかは全く覚えていない。その頃、美術クラブ以外でも友人たちと渡嘉敷島や座間味島、阿嘉島などへ行っているので、特別な出来事でも無い限り、誰と行ったのか、どれがいつだったのかが記憶に残っていないのだ。
 このページは座間味島についての話だが、覚えていることがほとんど無いので、想い出話は何も無い。ただ、座間味島を含む慶良間諸島は、沖縄島の高校生、浪人生、大学生にとって人気のあるキャンプ地であったことには間違いない。今でもそうかは不明だが。

  さて、私の記憶が正しければその頃以来、約30年ぶりの座間味島へ先日出かけた。同行者は秋田出身埼玉在のKRと宮崎出身宮崎在のIY、オジサン3人旅だ。
 座間味行きの船は泊港から出る。泊港から阿嘉島へ寄り、そこで降りる人を降ろし、乗る人を乗せ、座間味島へ向かうのだが、我々は阿嘉島で降りた。友人二人は「仕事の疲れを癒しに」が旅の目的であったが、私は「ケラマジカに会う」が目的だったので、ケラマジカの生息する阿嘉島散策が必要なのであった。しかしながら、4時間の散策も目的を果たせぬまま、5時発の高速艇に乗ることとなる。座間味島へは10分程で到着。

  オジサン達はキャンプをする元気は無いので、宿泊は民宿。つい最近外装をリメイクしたみたいで、見た目はきれいな宿、建物自体はまあまあ古い。でもまあ、特に不満のある部屋では無い。無線LANができるだけでも私は大いに満足できた。主人が海人(ウミンチュ:漁師)もやっていて、新鮮な地魚の出る料理自慢の宿と謳っていたが、その夜出た夕食に新鮮な地魚はなかった。風邪でも引いて漁に出られなかったのかもしれない。
 宿の玄関前にベンチとテーブルがあって、夕食後、そこで酒を飲む。宿の玄関にビールの自販機があり、ビールはそこで購入。宿の2軒隣に小さなスーパーがあって、泡盛とつまみはそこで購入。氷と水は宿の人がサービスしてくれた。
     
     

  翌日、朝食を食って、宮崎行きの飛行機の都合で早い時間に帰らなければならないIYを港で見送って、座間味島散策へ。一人でボーっとしているのもつまらないのだろう、仕事と離婚で疲れた体と心を癒しに来たKRもこの日は私に同行した。幸いにも昨夜から涼しい風が吹き始め、この日も風は爽やか。晴れて太陽は出ていたが、道路沿いに木陰の続く場所も多く、さほど汗をかかない気持ちの良い散歩となった。
 座間味島にケラマジカは生息しないと聞いていたので、ケラマジカは期待しない。今まで出会ったことの無い虫や植物を期待しつつ、てくてく歩く。シカはいなかったが、野生のヤギには出会った。放し飼いにされている肉用牛にも出会った。沖縄島では撮ることのできなかったチョウの写真が撮れた。出会ったことの無い花の写真も撮れた。

  「あっ、ヘビがいる」と言って、KRが道端を指さす。長さ40センチ位の茶色いヘビがアスファルトの上を這っていた。近付くと側溝の中に逃げてしまったが、雑草の陰に隠れている姿を写真に撮った。アカマタは赤い、アオダイショウは緑、ガラスヒバァは黒っぽい、頭が三角かどうか確認はできなかったが、「ハブかもしれない」と思った。
 座間味島にハブは生息しないと聞いていたので、「座間味島にハブがいる、これは大発見かもしれないぜ」とKRに語りながらも、「ガラスヒバァの子供かもしれない、子供の頃は色が薄いのかもしれない」とも思っていた。麓に下りて、パーラーでビールを飲みながら、パーラーの主人にその話をする。「ガラスヒバァだよ」とのことであった。
     
     

 座間味島のデータ、座間味村役場のHPから抜粋。

 面積 5.94km2
 人口 646人(平成19年)
 交通 村営フェリーざまみ(446屯定員 380人) 那覇⇔座間味 90分
    村営クイーンざまみ(168屯定員 200人) 那覇⇔座間味 50分
    村内航路たかつき(19.9屯) 座間味⇔阿嘉⇔慶留間 20分
    村内航路かしま(4.8屯) 座間味⇔阿嘉⇔慶留間 15分
 観光 ダイビング、ホエールウォッチングなど
 主要生産物 らっきょう・パパイヤ・じゃがいも、肉用牛、肉用山羊
 主要水産物 モズク
 第二次世界大戦(沖縄戦)米軍上陸第一歩の地
   昭和20年3月26日、米軍最初の上陸地。集団自決者を含む多くの犠牲者が出た。
 その他、詳しいことは座間味村役場HPで。

 集団自決については、ウチナーンチュの私は学校で教わっている。日本軍の強制があったとかなかったとか言っているが、暗黙の強制も含め、私はあったと思う。学校で教わったのは、日本軍が悪いということでは無く、戦争がそうさせるということであった。
  海の中の出来事よりも山の中の出来事に興味のある私はダイビングの経験が無く、これからやってみようという気も無い。それでも、慶良間諸島がダイビング場所としてとても人気があるということは知っている、友人の才色兼備Kさんはダイビングが大好きで、したがって、慶良間も大好きとのことだ。ホエールウォッチングも人気らしいが、私はあまり興味が無い。海の中の生物もクジラも、食い物としては大変興味がある。
 その他、目に着いたものは一匹の犬の像、犬の恋物語などに全く興味の無い私は観ていないが、映画『マリリンに会いたい』の主人公マリリンの像。マリリンが見ている海の向こう岸、阿嘉島にはマリリンと向き合うようにして、恋人シロの像が建っている。

  麓のパーラーで、店のオバサンと、店の客で、ダイビング関係の仕事をしているらしい倭人のお兄さんとしばしユンタクする機会を得た。
 「行きも帰りも高速艇は満席で、しょうがなくフェリーなんですよ。」と私。
 「9月の終わりにしては多い方かもしれないねぇ。」
 「10月上旬までダイビング客の予約は多いよ。」
 「10月下旬になるとぱったりいなくなるねぇ」
 「その頃には、店も閉めるところが多いよ。」

 ふむ、なるほど、座間味を静かに散策したいなら10月下旬が良いってことだな。と私は良い情報を得て、港へ向かった。3時30分、フェリーは座間味港を出た。
     
     

 記:2010.10.9 ガジ丸 →沖縄の生活目次