ナツヤと名付けている宜野湾の小さな畑、その近くに住む爺様Hさん、婆様Zさんと仲良くなり、たびたびお宅に伺ってあれこれ教えを乞うている。二人と知り合ったのは今年3月19日、ナツヤで農作業をしている時に散歩途中のZさんに声をかけられた。その日の内に二人の住む家にお邪魔して、昔の話、薬草の話、平和活動の話などあれこれ伺っている。二人は平和運動家であった。その方面の知識が豊富であった。
そんなある日、二人の家でお茶とお菓子を御馳走になりながら、沖縄の祖国復帰運動の頃の話となった。復帰運動が盛んだったのは私が中学から高校にかけてのことで、屋良朝苗、瀬長亀次郎、上原幸助などといった政治家達が奮闘していたのを覚えている。
Hさんはその頃の資料も豊富に持っていて、そのいくつかを私に見せてくれた。その中の一つに、当時中学高校生だった私にも懐かしいものがあった。「固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ」という歌、その楽譜と歌詞があった。中学高校生の頃に聞いたきりだが、歌詞をだいたい覚えており、メロディーはしっかり覚えていた。
しかし、ふと気付いた。復帰運動について上記の政治家と歌以外の記憶が私に無いことを。中学高校の頃の私は「彼女が欲しい、キスしたい、抱きたい、おっぱい揉みたい、セックスしたい」ということが脳味噌の90%を占めていたからだと思う。
復帰運動、及び復帰は沖縄にとって大きな歴史だ、「いずれガジ丸HPで紹介しなくちゃあいけない」と、今や「彼女が欲しい、・・・したい、・・・したい」が脳味噌の数%しか占め無くなったオジサンは、それを頭にインプットした。そのインプットが消え去らない内のある日、宜野湾市立図書館へ行くと、その時代を描いた映画があった。
劇映画『沖縄』、解説がビデオの表紙にある。それを要約すると以下、
この作品は本土復帰前の1969年に製作上映された・・・1968年11月沖縄初の主席選挙で民主統一候補の屋良朝苗氏が当選・・・沖縄県民の本土復帰への願いがここに結実した。それから1年、沖縄の日本復帰は大きな高まりを示した・・・しかし、アメリカの核戦略基地としての日本復帰であるとすれば、それは平和を守る人々の願いを歪め、同時に歴史の歪曲も意味する。ここに沖縄無条件全面復帰運動の意義がある。
後半部分が何を言っているのか私にはよく理解できない。「歴史の歪曲」って何のことな のか私には不明。映画を観終わった後も、「核戦略基地としての日本復帰」、「歴史の歪曲」などといったことは見えてこない。映画はしかし、十分楽しめた。
出演は佐々木愛、地井武男、加藤嘉など。地井武男は沖縄のヤンチャな若者を演じていた。そういう若者、おそらくいたであろうと納得できるようなキャラクター。
加藤嘉は久々に目にしたが、つくづく名優だと思う。彼の演じる人間を映画やテレビドラマでいくつも見てきた。彼は善人も悪人も演じる。彼の演じる善人はいかにも善人で、彼の演じる悪人はいかにも悪人である。この映画で彼は他人を犠牲にしてでも自らの利益を求める普通のウチナーンチュを演じている。「普通の沖縄人」、そう、ウチナーンチュはけして犠牲者とか、素朴とか、善人ばかりでは無いのだ。良い映画でした。
記:2012.8.3 島乃ガジ丸
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
『沖縄の戦争遺跡』沖縄平和資料館編集、沖縄時事出版発行