ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

食っていける一式

2012年08月17日 | 通信-社会・生活

 便所座りという言葉はもう死語であろうか、和式の便所に座る格好のことだが、コンビニ前で不良たちが煙草を吸う時の格好でもある。ウチナーグチ(沖縄口)ではトゥンタッチーと言う。トゥンは「鶏の」、タッチーは「立ち方」という意味。
  なっぴばると名付けた仮に借りている300坪の畑は、放置されて半年以上が経っており、地面が見えない程に雑草が茂っていた。それをトゥンタッチーして、鎌を使ってコツコツと手作業で刈り取っている。経験のある方はご存知だと思うが、トゥンタッチーは腰への負担が大きい。1時間もその格好でいた後、立ち上がって腰を伸ばした時には思わず「痛っ!」と声が、あるいは「うー」とうめき声が出るほどの痛みが腰に走る。
 300坪に蔓延った雑草の刈り取り作業を本格的に始めたのは7月16日なので、昨日で丸一ヶ月が過ぎたことになる。その間、一日(アルバイトがあった)を除いて毎日出勤している。その内、三日間(台風や小屋材料運びなど)を除いては朝6時出勤している。我ながら頑張っていると思う。暑さと腰の痛さによー耐えていると思う。

  300坪の草刈りは今週火曜日(14日)で一通り終わった。延べにして約90時間を費やした。草刈り機を使えばおそらく2~3日、時間にして10時間ほどで済んだのではないかと思われる。知人のGさんや元同僚のMからも「草刈り機あるよ、貸すよ、300坪を手作業では大変さぁ」と有難い申し出があったが、お断わりした。
 「機械を使わず手作業」には理由がある。当初の草の繁った状態でも前の小作人が植えた背の高いグヮバ、パパイア、アセローラなどが外から見え、中に入ると、ウコン、パッションフルーツ、甘藷などが見え、草を掻き分けるとバジル、ニガナ、ニラ、シマラッキョウ、サクナ、ゴーヤーなどが顔を出し、甘藷はあちらこちらに植えられていた。機械だとそれらも一緒に刈り取ってしまう恐れがあったからだ。
          
          

 300坪を一人で手作業は草刈りだけでなく、草刈り後の耕す作業も耕運機を使わず鍬を使っての手作業の予定である。「機械を使わない」は機械の賃料を使わない、燃料代も使わない、つまり「お金を使わない」ということになる。
 「手作業で」の他にも「こういうやり方で行こう」と決めていることがある。肥料は購入せず、畑に勝手に生える雑草を土の上に被せ、勝手に腐らせて肥料にする。大宜味村の有機農家から教えて貰った堆肥作りも、そのために必要な材料を購入せず、さっき述べたように畑に勝手に生える雑草を用いるだけ。「お金を使わない」ため。
 「既にある作物を刈り取ってしまわないように」と「お金を使わない」といった理由で手作業をしているのだが、もう一つ、「これができたら、ひょっとしてこうなるのでは」という理由もある。それは、大それた理由といってもいいのだが。

 「鍬と鎌と、芋の数個と野菜の種があれば体一つで作物を得ることができる」ということは、世界のどこか、農地として役に立つ土壌があり作物の育つ気候であれば、世界のどこでもその一式があれば、体一つで食っていけることになる。
 さらに言えば、「鎌と鍬と、芋の数個と野菜の種」を飢えに苦しんでいる国の人々に送れば、彼らは食物を得ることができるのではないか、と、これが大それた理由。
          

 記:2012.8.17 島乃ガジ丸


海のチンボーラー

2012年08月17日 | 沖縄03音楽芸能・美術工芸・文学

 私の創作、あまり人気が無いのでアクセスも少なかったサイト『ユクレー島物語』は長いことお休みしている。人気が無いからお休みでは無く、話を考えたり、絵を描いたりするのに時間がかかり、畑を始めるようになってその時間が惜しくなったからだ。
 『ユクレー島物語』には挿入歌なんてのもある。それも私の創作、作詞作曲編曲だ。そして、それもまた1曲完成させるには時間がかかる。話も絵も歌もアイデアはいくつもあるが、どれも仕上げる時間的余裕が無く、2010年1月29日の博士の発明『自信発生装置』という話と絵をアップして以来、ご無沙汰となってしまっている。

 今年(2012年)3月、『ユクレー島物語』には関係無く歌ができた。『今のチンボーラー』という題。その少し前、宜野湾の私の畑の近くに住む平和運動家の爺様Hさん、婆様Zさんと知り合い、彼らの話を聞いている内にできたもの。
 『今のチンボーラー』は、有名な沖縄民謡『海ぬチンボーラー』をもじっている。歌詞の一部を借用してもいるが、歌詞の主旨、メロディーは全く違うもの。

 有名な民謡『海のチンボーラー』、軽快なメロディーで私の好きな民謡の一つ。特に嘉手苅林昌の歌い方はあっさりしていて耳に心地よい。その踊りを何度か見ていて私はてっきり舞踊曲だと思っていたが、沖縄大百科事典に記載があった。それには『海のちんぼうら』と表記され、「沖縄本島で愛唱されている酒盛歌」、「元歌は伊江島の〈前海スィンボーラ〉」、「いつのまにか遊郭でうたわれるようになり、エロチックなものに変化した。」などと説明されている。『正調琉球民謡工工四第二巻』にその歌詞がある。 

 海ぬチンボーラー小(グヮー) 逆なやい立てぃば
 足(ヒサ)ぬ先々(サチザチ) 危なさや

 チンボーラーはニシの一種、ニシとは螺と書き、「巻貝の一群の総称」(広辞苑)のこと。ほら貝の形をしていて、ごく小さな貝。
 ほら貝の形を思い浮かべれば、「逆さに槍立てて」は解ると思う。「チンボーラーが逆さに槍立てて(刃が上向き)いるので、歩く先々が危ないよ」といった意味。
 この後、囃子のような歌詞が続く。

 支度ぬ悪っさや 側なりなり
 サー 浮世(ウチユ)ぬ真ん中
 ジサジサ ジッサイ 島ぬヘイヘイ ヘヘイ

  沖縄語辞典を頼って訳してみると、支度の悪い(準備の遅いという意だと思われる)者は側に退かして(放っておいて)、さぁ、浮世の真ん中へ(遊郭の事だと思われる)といった意味。ジッサイは実際(まったく、ほんとうに)、ヘイは呼びかけ。
 沖縄大百科事典の記事「遊郭でうたわれるようになり、エロチックなものに変化」は、2番以降から何となく匂ってきて、5番では「辻(遊郭の街)のえんどう豆を食べてみたか若者よ、食べてみたけど味は覚えていない」という歌詞となる。
     

 さて、私の創作『今のチンボーラー』の歌詞は以下、平和運動家の影響がある。

 春カジ吹ちゅるクル シマぬ道々アッチーネー
 (春風の吹く頃 村の道々を歩けば)
 チチジ花ぬシダカジャよ 平和でぃアンシヌフクラサよ
 (ツツジ花の清々しい匂いよ 平和であることが喜ばしいよ)

 [ヌンディウムイルスバから (なんて思っている側から)]

 メーニチぬクトゥヤシガ ミンカーナルウカウトゥ立ててぃ
 (毎日の事だけど つんぼになるほど音立てて)
 金網ぬアガタから チブルぬイーウティイチムドゥイ
 (金網の向こうから 頭上で行ったり来たり)

 戦ぬウワティヂートゥラリ 島やアッタニアメリカユ
 (戦が終わって土地を取られ 島は突然アメリカ世)
 ヨーサルムンチャースバなりなり
 (弱い者達は側へ退け退け)
 ウチ世ぬ真ん中 街ぬ真ん中 ジサジサ実際 島ぬ塀々 へ塀

 ユーガバナ咲ちゅるクル 浜にウリやいアッチーネー
 (百合の花が咲く頃 浜に下りて 歩けば)
 ナミカジやナダヤッサン 平和でぃアンシヌフクラサよ
 (波風は穏やかである 平和であることが喜ばしいよ)

 [ヌンディウムイルスバから (なんて思っている側から)]

 ウミバタぬ道なりに金網張らりイリララン
 (海岸の道なりに金網張られて入れない)
 ナマぬチンボーラー フェンスぬミグイや危なさん
 (今のチンボーラー フェンスの周りは危ない)

 ヤマトゥぬユーなてぃ幾十年 ジンぬカワイに基地ヌクチ
 (倭国の世になって幾十年 お金の代わりに基地を残し)
 ヒンスームンチャースバなりなり
 (貧乏人達は側へ退け退け)
 ウチ世ぬ真ん中 街ぬ真ん中 ジサジサ実際 島ぬ塀々 へ塀

 ウチナー生まりてぃナマぬユまでぃ ユぬ中ありくり変わたしが
 (沖縄が誕生して今の世まで 世の中あれこれ変わったけど)
 ナマンチンボーラー 逆なりなり
 (今もチンボーラーは逆さならならで)
 モータイ歌たい カナサンスンドー
 (踊ったり歌ったり 愛することもするよ)
 ジサジサ実際 島ぬ塀々 へ塀
     

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 記:2012.8.9 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社発行
 『正調琉球民謡工工四第二巻』