ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

夏農夫の不健康

2012年08月10日 | 通信-その他・雑感

 映画『2001年宇宙の旅』を観たのは確か中学生の頃、今から40年ほども前のことだ。少年は興奮し、すごく感動したことを覚えている。
 主人公の乗った船が宇宙ステーションに向かう。そのシーンで流れた音楽が『美しき青きドナウ』であったこと、猿が道具を使うことを覚えたシーンで流れた音楽が『ツァラトゥストラはかく語りき』であったこと、それらがそういう名の音楽であることは後で知ったのだが、そのメロディーは両者とも私の脳に浸み込まれた。
  その『ツァラトゥストラはかく語りき』が私の目覚めの音楽。古い携帯電話を目覚まし時計代わりにしているが、「これなら間違いなく目が覚める」と判断した音がこれ。そして、その判断は正しかったようで、これを目覚まし音にして以来、その音が聞こえなかったことは無い。音が聞こえると、たいていは1分以内にえいっ!と起きている。
          

 4時半に起きて、飯作って、食って、一服して、糞して、歯を磨き顔を洗い、コーヒーを飲みながら2度目の一服をして、作業着を着て、荷物を持ち、車に乗り、運転して、畑に着く。時刻は、2、3分は速かったり遅かったりするが、概ね午前6時。
 すぐに作業、草刈りに取りかかる。8時前に休憩し、一服する。8時頃から草刈りを再開し、9時前には2度目の休憩、一服する。9時を過ぎると畑の大方は太陽に照らされるので、草刈り作業はここまで。沖縄の夏の太陽、あんまり強烈過ぎてその下での作業はうっかりすると命を縮めることになる。なので、それは避ける。
 9時後は畑小屋設置準備作業となる。設置個所は12時頃まで木陰となっているのでギラギラの太陽からは逃れられる。ただし、土運び、土均しの整地作業、穴掘り、ブロック設置の基礎工作業は力仕事、たっぷり汗をかく。1時間毎に一服する。

 11~12時頃には畑での作業を切り上げて、家に帰って一服してすぐ、屋根のある場所(宜野湾の畑の近く)に行き、畑小屋用の材料の加工作業をする。木材を切ったり、ほぞ穴掘ったり、しゃくりを入れたりの作業、これも手工具を使っての手作業。鋸を引いたり、鑿を打ったりは有酸素運動となる。屋根のある場所と言えど真夏の沖縄、汗が滝のように流れる。熱中症にならぬよう1時間置きに休む。水分を取り一服する。
  材料の加工作業はだいたい午後4時頃まで続く。手作業なので時間がかかるのだ。なぜ機械を使わず手作業なんだ?ということについてここで言い訳しておく。農作業を手作業でしていることも同じような理由になるが、電気の無い所でも家が建てられることの証明のため。畑の場合は、ガソリンで動く耕運機などの機械が無くても畑作業ができることの証明のため。300坪の畑が手道具と体一つで管理できる証明のため。

 朝6時から午後4時まで、ちょくちょく休憩を入れながら(昼休みは無い、私は昼食を摂らない)10時間、体を動かし、たっぷり汗をかいている。そうやって早起きして体を動かして、健康的生活のようにも見えるが、じつは夏農夫、不健康かもしれない。
 家に帰って家事をして、6時半頃には待望のビール(貧乏なので発泡酒)タイム。それは毎日ある。7月に入って休肝日が無くなっている。最低2缶の発泡酒は飲んでいる。そして、上述したように一服タイムが多くなった。煙草の消費が倍以上に増えた。 
          

 記:2012.8.10 島乃ガジ丸


県民総決起大会

2012年08月10日 | 沖縄02歴史文化・戦跡

 2012年8月5日、県民総決起大会の開催が予定されていたが、ちょうどその日に沖縄島に影響を及ぼした台風11号のため、日程未定のまま延期された。そういった抗議活動の類に私は参加した経験が無いのだが、今回は参加しようと決めていた。残念。

 17年前の1995年10月21日にも県民総決起大会が開かれている。同年9月4日に起きた沖縄米兵少女暴行事件、わずか12歳の少女を米兵3人が拉致し、集団強姦したという悲惨な事件、それだけでも怒り心頭なのに、日米地位協定によって犯人3人の身柄が沖縄の警察に引き渡されなかったことが、県民感情を爆発させ、日米地位協定の改正を求めるとともに、基地の縮小・撤廃を求めて県民総決起大会となった。
 どの大会にも参加した経験の無い私はもちろん、その大会にも参加していない。ただ、テレビのニュースでは何度かその様子を観ている。普天間高校の女生徒が壇上に立ち、マイクの前で抗議文を読んでいる姿を覚えている。暴行事件もニュースで知っている。当時の私はそれに腹を立てなかったのだろうか?県民総決起大会にぜひ参加しなきゃあと思わなかったのだろうか?「アメリカは沖縄から出て行く気は無いし、日本政府は絶対出て行って欲しく無いんだから抗議しても無駄だよ」とでも思っていたのだろうか?

  1995年、沖縄米兵少女暴行事件が起きた9月から県民総決起大会が開催された10月にかけて私は何をしていたか?・・・日記を調べる。当時は日記帳への手書き、数日分をまとめて書いてあるみたいで「思い出せない」とだけ書いてある日も多い。
 さて、沖縄米兵少女暴行事件がニュースに流れ、新聞に載ったであろう9月5日からの一週間は、職場が催事に参加していてそれに関わる作業で忙しくしている。事件の事は何一つ書いていない。県民総決起大会の日にいたっては「思い出せない」とあった。
 日記から判明した。私は社会の問題に対する関心が薄い人間だったのだ。テニス、太極拳、キャンプ、酒といった自分の楽しみに時間の多くを割いていたようだ。
     

  他人の不幸などどうでもいいと思っていたらしき不届き者の私の事などはさておいて、あれから17年が過ぎた。沖縄の怒りは日本政府及びアメリカ政府に届き、何ら改善が見られたのか?・・・否である。日米地位協定の改正は僅かに運用の見直しで、アメリカ軍側の「好意的な考慮」という形で、凶悪事件の場合は沖縄側へ犯人の引き渡しもありえるといった程度の改善に過ぎなかった。そして、基地の縮小・撤廃は・・・。
 基地の縮小・撤廃を求め続けたのにも関わらず、少なくとも基地機能はさらに強化されようとしている。今回開催する予定だった大会は、直接的には市民生活のど真ん中にあって世界一危険な基地と言われている普天間基地に、危険な軍用機オスプレイを配備することに対する抗議であり、そしてもちろん、基地の縮小・撤廃も求めている。

 不届き者の私が、何故今回の大会には参加する気になったかと言うと、東村高江や名護市辺野古の基地建設反対運動の人々に会い、彼らが何年も頑張り続け、基地建設を阻止し続けていることに感銘し、「もしかしたら、努力は大山を動かすかもしれない」と思ったからだ。大山はあまりにも大きいけれど、今日1ミリ動かせば、明日には2ミリ動くかもしれない、県民総決起大会にその力はあると思ったからだ。
     

 記:2012.8.6 島乃ガジ丸 →沖縄の生活目次