ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

身の程農法

2012年08月24日 | 通信-環境・自然

 もう25年ほども前になるか、農業をやってみたいと思っていたら、高校の同級生であるT子(私は面識無し。私の通っていた高校は1学年14クラス、1クラスだいたい45名ほどの生徒がいたので知らない同級生も多くいる)が無農薬有機で農業やっていると、良く知っている同級生のK子から聞き、T子を紹介して貰って弟子入りした。
 T子のやっている農法は自然農法と言われるものであった。T子からそれがどういうものであるか教わり、そして、本を読み、自分でも勉強した。福岡正信という名をこの時知り、自然農法とは不耕起(耕さないということ)で、肥料も農薬も使わず、除草もしないという農法であることも知った。そして、T子から教わったことは、
 「沖縄は雑草天国なので草は刈る。刈った草は捨てず、土の上に置いておけばそのうち肥料になる。」、「明日雨が降りそうだなという日に種を撒き、水はやらない。根は水を求めて地中深く潜り、丈夫な作物となる。」などといったこと。

 T子の農法は、除草剤も殺虫剤も使わない、水を遣らない、市販の肥料を使わない、という点では自然農法だが、全くの不耕起では無い、ある程度除草をする、自家製の肥料を用いる場合もある、などといった点では福岡正信の自然農法とは違う。
  私がT子の畑に通っていたのは、たぶん半年ほどだったと覚えているが、その間、彼女が殺虫剤を用いるのを見ていない。畑小屋にそれらしきものも無かった。彼女の畑にも病害虫はやってきたであろうが、あまり気にしている様子は無かった。「水をやらなければ根は水を求めて地中深く潜り、丈夫な作物となる」ということが功を奏しているのか、彼女によれば、「丈夫な作物は病害虫にも強い」とのことであった。 
 私が通っていた頃には既にいなかったが、以前は馬を飼っていたと言う。「馬を使って耕していた」とのこと。昔の農村の風景がそこにあったようだ。馬はいなかったが鶏は数羽いた。「玉子を採るためと鶏糞を肥料にするため」とのこと。「肥料をやると作物が大きく育ち、収量も多い」ようだ。確かに、「今回は全くの無肥料で植えてみよう」といって育てたジャガイモを収穫したら、ジャガイモはみな小粒であった。

 彼女はまた、沖縄在来野菜の種を保管していた。「市販の種のほとんどはF1品種というもので、一代限りのものだ。その種を播いても作物はできにくい。それに対し、在来種は種を採取でき、その種を播けば同じ作物が育つ。」とのこと。
  7月から300坪の畑に出勤し、除草やら小屋作りに毎日励んでいるが、家に帰るとパソコンを開いて、どんな畑にするかを考えている。あまり耕さない、あまり除草しない、あまり水をかけない、肥料は畑に生える草で賄うなどとし、「できる分だけができる」という農法。それらは福岡正信の自然農法に少し似て、T子の農法により近い。
 どんな畑にするかを考えている時に「T子の農法に近い」ことに気付き、彼女を想い出し、そして、「在来種は種を採取でき、その種を播けば同じ作物が育つ」も思い出した。芋を収穫したら種芋を残しておき、時期が来たら植える。その他の野菜も同じように種を残しておく。つまり、種、肥料を含め外から何も買わないということだ。その土地にあるものだけで作物を育てることを目指すことにした。私の農法はつまり、「貧乏農法」ということになる。いや、それでは畑が可哀そうなので「身の程農法」としておこう。
          
          

 記:2012.8.17 島乃ガジ丸


島燃ゆ

2012年08月24日 | 沖縄03音楽芸能・美術工芸・文学

 300坪の畑を借り(まだ仮だが)て以来、300坪全面に大いに茂った雑草を刈り取るのと、休憩場所となる畑小屋の製作とで毎日が忙しくなった。そのため無期限延期となっている作業がいくつもある。「加害者としての沖縄」調べもその一つ。
 沖縄戦で多大な被害を蒙り、多くのウチナーンチュが不幸に会ったが、ウチナーンチュもまた戦地へ出征した中にはアジアの人々に酷いことした兵士もいたであろう。日本兵から差別されることのうっぷん晴らしに、より弱い立場にいる朝鮮から徴集された兵隊たちに差別的な言動を取る兵士もいたであろう。被害者としてだけでなく、加害者であったことも書いておかなければ、右寄り教科書に文句は言えないと思ってのこと。
 ウチナーンチュの差別意識はしかし、戦時中における外国人に対してのものを調べるまでも無く、沖縄の中にあった。首里王府のある沖縄島はオキナワである。宮古諸島はミヤコであり、八重山諸島はヤエヤマだ。つまり、それぞれが独特の文化を持った気分的には独立した地域である。それは単なる区別なのだが、王府は差別した。

 宜野湾市立図書館の郷土資料コーナーに気になる本を見つけ、借りた。本は漫画の単行本。題名は『島燃ゆ』。人頭税廃止のために闘った宮古の農民たちを描いている。作者は新里堅進(しんざとけんしん)氏。新里堅進の名は知っている、私の200冊を超えるコミック単行本の中に氏の作品『水筒』がある。画質のしっかり(漫画チックでは無いという意味で)した、真面目に対象を捉える漫画家という認識を私は持っている。

  『島燃ゆ』の題材となっている人頭税、広辞苑の説明では「各個人に対して頭割りに同額を課する租税。納税者の担税能力の差を顧慮しない不公平な税とされる反面、経済的には中立的な税とされる」となるが、『沖縄大百科事典』に沖縄での人頭税(ニントウゼイと読む)が詳しく載っている。大雑把にまとめると「起源は定かでないが、薩摩侵入(1607年)から20年ほど後ではないか、廃止年は1903年。13歳から50歳までの男女に課せられ、個人の能力、土地の能力、天災などを考慮しない税制」となる。
 怪我や病気で動けなくなっても、台風や干ばつで不作であってもお構い無しの過酷な税だ。「そのうえに在地役人のなかには・・・収奪をかさね」たこともあり、宮古では「赤子の圧殺、堕胎などの間引きをはじめ・・・」などとある。元々過酷な税制の上、在地役人(ウチナーンチュだ)に悪い奴らがいて、悲惨なことが起きたのである。
     

 『島燃ゆ』は宮古島での人頭税廃止運動を描いている。那覇人の城間正安と新潟人の中村十作という若者二人がリーダー格となって、地元農民たちと団結し、様々な妨害、困難を乗り越えて、ついに人頭税廃止を勝ち得るまでの物語。
  薩摩藩の琉球侵入以降、薩摩に搾取され、琉球王府も金に困り、しょうが無くかような過酷な税制を課したという言い訳もあるが、王府にとっては宮古・八重山は武力によって征服した属国であり、差別して構わないという気分もあったのであろう。
 『島燃ゆ』には私の知りたかった「加害者としての沖縄」がかように描かれている。ではあるが、作品の主題は「不屈の闘志」と「正義」である。「不屈の闘志」によって「正義」が達成される。「そうだぜ、世の中はこうでなくてはいけない」と不屈の闘志を持たない私(正義感は少々持っている)は、気持ち良く本を閉じたのであった。
     

 記:2012.8.6 ガジ丸 →沖縄の生活目次