もう25年ほども前になるか、農業をやってみたいと思っていたら、高校の同級生であるT子(私は面識無し。私の通っていた高校は1学年14クラス、1クラスだいたい45名ほどの生徒がいたので知らない同級生も多くいる)が無農薬有機で農業やっていると、良く知っている同級生のK子から聞き、T子を紹介して貰って弟子入りした。
T子のやっている農法は自然農法と言われるものであった。T子からそれがどういうものであるか教わり、そして、本を読み、自分でも勉強した。福岡正信という名をこの時知り、自然農法とは不耕起(耕さないということ)で、肥料も農薬も使わず、除草もしないという農法であることも知った。そして、T子から教わったことは、
「沖縄は雑草天国なので草は刈る。刈った草は捨てず、土の上に置いておけばそのうち肥料になる。」、「明日雨が降りそうだなという日に種を撒き、水はやらない。根は水を求めて地中深く潜り、丈夫な作物となる。」などといったこと。
T子の農法は、除草剤も殺虫剤も使わない、水を遣らない、市販の肥料を使わない、という点では自然農法だが、全くの不耕起では無い、ある程度除草をする、自家製の肥料を用いる場合もある、などといった点では福岡正信の自然農法とは違う。
私がT子の畑に通っていたのは、たぶん半年ほどだったと覚えているが、その間、彼女が殺虫剤を用いるのを見ていない。畑小屋にそれらしきものも無かった。彼女の畑にも病害虫はやってきたであろうが、あまり気にしている様子は無かった。「水をやらなければ根は水を求めて地中深く潜り、丈夫な作物となる」ということが功を奏しているのか、彼女によれば、「丈夫な作物は病害虫にも強い」とのことであった。
私が通っていた頃には既にいなかったが、以前は馬を飼っていたと言う。「馬を使って耕していた」とのこと。昔の農村の風景がそこにあったようだ。馬はいなかったが鶏は数羽いた。「玉子を採るためと鶏糞を肥料にするため」とのこと。「肥料をやると作物が大きく育ち、収量も多い」ようだ。確かに、「今回は全くの無肥料で植えてみよう」といって育てたジャガイモを収穫したら、ジャガイモはみな小粒であった。
彼女はまた、沖縄在来野菜の種を保管していた。「市販の種のほとんどはF1品種というもので、一代限りのものだ。その種を播いても作物はできにくい。それに対し、在来種は種を採取でき、その種を播けば同じ作物が育つ。」とのこと。
7月から300坪の畑に出勤し、除草やら小屋作りに毎日励んでいるが、家に帰るとパソコンを開いて、どんな畑にするかを考えている。あまり耕さない、あまり除草しない、あまり水をかけない、肥料は畑に生える草で賄うなどとし、「できる分だけができる」という農法。それらは福岡正信の自然農法に少し似て、T子の農法により近い。
どんな畑にするかを考えている時に「T子の農法に近い」ことに気付き、彼女を想い出し、そして、「在来種は種を採取でき、その種を播けば同じ作物が育つ」も思い出した。芋を収穫したら種芋を残しておき、時期が来たら植える。その他の野菜も同じように種を残しておく。つまり、種、肥料を含め外から何も買わないということだ。その土地にあるものだけで作物を育てることを目指すことにした。私の農法はつまり、「貧乏農法」ということになる。いや、それでは畑が可哀そうなので「身の程農法」としておこう。
記:2012.8.17 島乃ガジ丸