ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

もう一人の自分

2014年05月02日 | 通信-科学・空想

 2月、ガジ丸HPに載せた『幸せな分身、真迦哉』というタイトルの「お話」、大雑把にいえば、起きている間の自分と寝ている間の自分は別々の人格を持ち、別々の人生を生きているが、心も体も一つで、どちらも「私」の内ということを書いている。
 起きている間の自分は、女性をベッドに寝かせ、ブラのホックを外したり、パンツを脱がしたりすることは滅多にないが、寝ている間の自分は、それが頻繁にある。彼はほとんど躊躇することなく行動する。同じ脳なのに、お互い思考方法が違うみたいである。
 謂わば、寝ている間の自分は脳幹(本能)優位の自分で、起きている間の自分は前頭葉(自我とか理性とか)優位の自分なのかもしれない。本能は理性の箍(たが)を外し、自由気ままに行動するわけだ。理性からは自由であっても、そこにはしかし、別の箍がきっと締められている。だから、夢の中であっても経験したくない事に出会う。

 私が楽しい夢ばかり見ているのは、起きている間の自分が楽な生き方をしているからだと思う。楽しい夢を見るには、現実の自分が「楽な人生」、あるいは「生きていることが楽しい人生」であることが大事ということだ。親もいなければ女房も子供もいない天涯孤独のオッサンは、恋人もいないし、貧乏だし、地位も名誉もないので「生きていることが楽しい人生」とまでは言えないかもしれない。でもしかし、家族も恋人も、地位も名誉も金もとうに諦めているので、「幸せを得るためにはこうしなければならない、こうあらねばならない」といった縛りが無い分、「楽な人生」とは言えるだろう。
 「楽な人生」は、元来の楽観的性格のお陰だと思う。楽観的なので夢も楽しいものを見る。楽観的性格ではない人達が不幸な夢を見やすいのであれば、同情するしかない。アドバイスできることがあるとすれば、「諦めなさい」と言うしかない。楽しくない夢も見ていた若い頃、私はきっと欲望に満ちていたのだと思う。「あーしたい、こーしたい」と思うことがたくさんあって、それらを夢の中で達成しようとしていたのかもしれない。夢の中でも達成する自信が無く、毎夜、大きな不安に襲われていたのかもしれない。

  2月、従妹の娘、可愛いS嬢は、大学受験の最中であった。その頃、何度か彼女の話し相手になり、1度は勉強を教えにも行った。その頃、彼女は「浪人なんてしたくない。でも、大学に受かる自信もない」と不安を漏らしていた。さらに、看護学科を志望しているのだが、看護師という職業が特にやりたいことではなく、「じゃあ、あんたが将来やりたい仕事は?」と自問しても他に見つからず、悩んでいるとも言う。
 そこで、オジサンは「なるようになるさ」と思ったが、それは口にせず、「大学に受かっても受からなくても、看護師になってもならなくても、幸せになる道はいくらでもあるよ」とだけアドバイスした。彼女は笑ってくれた。そして、それから数日後、大学受験が失敗という結果となった後の彼女に会った。彼女は意外に明るかった。「専門学校へ行くことにした」と言い、自分の目指す方向が何となく解ってきたと続けた。

 私の中の「もう一人の自分」は夢の中の真迦哉になるが、若い人にとっての「もう一人の自分」は「将来こうありたい自分」だと思う。S嬢が自分なりにあれこれ考えて描いた「もう一人の自分」、それはきっと、彼女の幸せに繋がると期待している。
          

 記:2014.5.2 島乃ガジ丸


オキナワマルウンカ

2014年05月02日 | 動物:昆虫-カメムシ・セミ

 雲か霞か

 「かーすみーかーくもーかー・・・」と始まる唱歌があった。その続きが、メロディーは出てくるが歌詞がちっとも思い出せない。題名も思い出せない。どんな内容だったか、何を歌ったものだったかもまったく思い出せない。晩酌しながら、ボケた脳味噌をいじくり回してみたが、ダメだった。10分で諦めた。 

  ウンカを広辞苑で引くと、昆虫のウンカ(浮塵子)の前に雲霞が出てきた。この字には見覚えがある。「雲霞の如く」という喩えでよく見て、あるいは聞いている。「数多く、たくさん」といった意味である。字面から考えると「細かなものが大量にごちゃごちゃと集まっている」と捉えることができる。広辞苑によると「人が多く集まっているさまの形容」とのこと。人が細かなものに見えるほど大量ということであろう。
 などという経緯からふと、「かーすみーかーくもーかー・・・」という歌を思い出し、書くのを休止し、泡盛を飲み、タバコに火をつけた。 「なんていう歌だったっけ?」と考えたが、タバコを吸い終える頃には諦めた。思い出したいことを思い出せないとモヤモヤするが、それをネットで調べるということも私はあまりやらない。家にネットを引いていないという理由が大きいが、週に1~2回のネットのできる環境に行っても調べない。その時にはもう思い出したいことが何だったかを忘れているのだ。いずれにせよ、モヤモヤは楽しくないので私はたいていすぐに諦めて、さっぱり忘れることにしている。

 ウンカ、浮塵子という漢字から考えると、雲 霞と似ていて「宙に浮かんだ細かなもの」と捉えることができる。「集団行動する小さなものだな」と想像できる。であるが、本種は集団行動ではないようで、私は3度見ているが、3度とも1個体であった。
 本種はまた、「林や山地の広葉樹の葉上で・・・よく観察される」とあったが、私が見たのは住宅地の中、樹木が生い茂っていない所で2度、唯一森といっていい末吉公園で1度。さらに、「林や山地の広葉樹の葉上でピョンピョン跳ねるのがよく観察される」とあったが、森のある末吉公園の1個体も一人ぼっちでじっとしていた。

 
 オキナワマルウンカ(沖縄丸浮塵子):半翅目の昆虫
 アオバハゴロモ科 沖縄諸島、南大東島に分布 方言名:不詳
 名前の由来、オキナワは「沖縄諸島、南大東島に分布する」からであろう。マルは『沖縄昆虫野外観察図鑑』に「全体的に丸型であるところからその名があり」とあったが、肝心のウンカが不明。漢字表記の浮塵子は広辞苑にあった。その字から想像すると、「宙に浮かぶ塵のように小さなもの」となる。別名にコヌカムシ(小糠虫)ともあるが、小糠は「表皮の細かく砕けて生ずる粉末」(広辞苑)で、これも「小さなもの」の意。
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』に「体、翅の色彩は個体により変異に富み、暗褐色から暗緑色まであり」とあって、私もこれまでに3種の変異を撮っている。
 ウンカは、「カメムシ目ウンカ科の昆虫の総称・・・イネの大害虫」と広辞苑にあったが、本種は広葉樹に寄生し、イネなどにはつかないようだ。害虫でないならば、ウチナーンチュにとってはどうでもよい虫。方言名も文献に記載が無かった。
 体長は5~6ミリ。成虫の出現は3月から11月。雑食性で、寄主は各種の広葉樹。八重山諸島には本種とよく似たヤエヤママルウンカが生息するとのこと。
 
 その2
 
 その3

 記:2014.4.28 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行