5月4日、温厚な私が、「今度見つけたら只では置かない、蹴っ飛ばしてやる」と決意する程に腹の立つことがあった。これだけの怒りは何年ぶりかのことだ。
その日、シーミー(清明祭)があって、我が家の墓へ行く。ここ数年は従姉T夫婦とTの妹である従姉Hと4人でやっていて、今年も同様。
約束の時間は11時だった。皆が集まる前に掃除をしなければならないので、私は10時半に着いた。ところがその時、「あんた今どこにいるの?」とTから電話、「墓にいるよ」、「何言ってんの?私達はさっきからいて、もう掃除も終わる頃よ」、「今、駐車場だ、すぐに行く」となった。いつもなら11時の約束でも30分くらい遅れてくるのに珍しいこったと思いつつ、墓へ着くと、仰る通り掃除は大方済んでいた。ということで、私は掃除する手間がほとんど省けた。墓の隣に住んでいる自由人は大勢の前だと遠慮するようで、小屋の中にいて姿を見せず、私は彼とのユンタク(おしゃべり)も省けた。彼の話は宗教絡みが多く、宗教嫌いの私は少々退屈を感じていたのである。
その前日には同級生の昔は美人だったKが友人の女性を連れて畑を訪ねて来てくれた。オバサンと言えど、訪ねて来てくれたのは嬉しかった。その日はまた、従妹の娘、可愛いSから優しいメールもあった。そして翌日のシーミーでは墓掃除も少しで済み、自由人とのユンタクも無く、良いことばかりが続いて気分上々であった。
事件は、それぞれの墓でシーミーの行事を済ませ、皆が私の畑に集まって、シーミーのお供え物を昼ご飯として食べ、3人が帰った後に起きた。
私は供え物の御馳走を、おにぎりは明日の朝食、餅は昼食、その他のシシカマブク(肉と蒲鉾)などは晩の酒の肴として少々分けて貰い、ビニール袋に詰め、それを畑小屋の中の、買い物袋の中に仕舞っておいた。しかし、家に帰って買い物袋を覗くと、その御馳走が消えている。小屋に置き忘れたのだと思った。家に酒の肴はあるが、翌朝の朝食と昼食となるようなものは無い。その日は買い物袋の中に御馳走があると思っていたからスーパーにも寄っていない。「食うのが無ぇじゃないか!」と間抜けな自分に腹を立てながら小屋に取りに戻った。ところが、くまなく探したが、無い。跡形もない。
私の御馳走は誰かに奪われたようである。3人が帰る時、畑小屋に御馳走を置いたまま私は道路まで出て3人を見送った。そして小屋に戻った。その間、おそらくたった3分ほどだ。そのたった3分の間に、小屋に忍びこんで、食い物の匂いを嗅ぎ、買い物袋を見つけ、その中に入っていた御馳走の袋を見つけ、持ち去っていった奴がいる。
犯人の目星はついていた。我々が小屋前のテーブルで食事している時に、ミャーミャーと鳴き声が聞こえ、水タンクの下から顔を覗かせていた奴、2週間ほど前から畑近辺をうろちょろしている三毛猫だ。ずっと身を潜めて、我々が席を離れるのを虎視眈々と狙っていたのだ。そして、一瞬の隙をついて、まんまと獲物を掠め取ったのだ。
御馳走を奪われたことに怒って「今度見つけたら只では置かない、蹴っ飛ばしてやる」となったのだが、しかし、よく考えると、敵もさる(猫だが)者である。たった3分の間に、見つかったら殺されるかもしれない危険を冒しての犯行。さすが野生だと感心した。命がけで食い物を得なければ生きていけないのだ、彼ら、捨て猫たちは。
記:2014.5.9 島乃ガジ丸