私の住むアパートは2階建て4世帯で、1世帯2DK(約10坪)の小さなアパートだが、敷地は広い。6台は十分停められる駐車場があり、1階の2世帯にはそれぞれ7坪ほどの庭があり、また、店子用にと区分けされた畑も付いている。
畑は10坪ほどあり、その内の4坪を私が使っている。たったの4坪だが、除草したり耕したり、植え付けしたり、なかなか時間を取られている。そして、たった4坪だが、私の食卓の食糧自給にまあまあの役に立っている。安全で新鮮な野菜を得ている。
昔、高校を卒業する前のこと、「農業がやりたい」と両親に話したことがある。両親は大反対であった。父は、「農業で生きていけると思ってるのか!百姓なんてのは他に能力の無い者がやるんだ!」とまで言った。父は、定年退職後、家の屋上にプランターを置いて、また、親戚の畑を借りたりして農作業を嬉々としてやっていたので、けして、農業が嫌いというわけではなかったようだ。ただ、息子には、大学に行って、ちゃんとした会社に勤めて、結婚して、マイホームを建てて、などという生活をおくって欲しかったのであろう。そのためには、農夫よりも会社員が近道と思ったのであろう。
私もまた、農業が好きで「農業がやりたい」と言ったわけでは無い。将来何になりたいという確固とした意志も夢も持たなかった少年は、食い物さえあれば生きていけるという漠然とした考えからそう言っただけで、結局、その後、農業を目指すことも無く、農夫になるための何の努力もしないまま、だらだらと生きてしまう。
20年ほど前、高校の同級生に自然農法を実践している人がいるということを聞き、弟子入りして、彼女から農業のいろはをちょっと学ぶ。その後、学んだことを生かす機会はしばらく無かったが、14年前に今のアパートに越してから役に立つことになった。
夏は暑く冬は寒いボロアパートであるが、畑があるというだけで私は大いに満足している。食料自給の思いは若い頃から持っていた。たった4坪では、自給率は千分の一にもならないが、僅かであっても食糧自給への小さな歩みだ。今の仕事が定年、またはリストラになったら、300坪ほどの畑を借りて、農業をやりたいと思っている。
「概ね粗食ほぼ小食」の生活を始めて7年ほどになる。10個しかないアンパンを一人で5個も6個も食う奴がいるから、1口も食えない人がたくさん出てくる、と私は考えており、これからも粗食小食を続けるつもりである。芋を米の代わりにしてもよい。豆腐を肉の代わりにしても よい。300坪で芋と大豆、その他、季節季節の野菜を育て、粗食小食の人間二人分は生産できるのではないかと机上の計算をしているところだ。
食い物さえあれば生きていける。生きていける安心感は心に余裕を生む。余裕は平和を生む。それが農耕の価値となる。それで世界が平和になったら農耕の勝ちである。
東京の1割の人が1坪の家庭菜園を持つと、合わせておよそ400haとなる。これは、東京ディズニーランド+ディズニーシーの約4倍だ。その広さの農地ができる。東京も多少は住み良い街になるに違いない。採りたて野菜は美味いですぜ。
今週サミットがあった。地球環境や食料問題などが議題になった。どの国も納得するような妙案は無いと思うが、この先、良い方向へ向かうことを期待する。
参考(になるか?)写真:新鮮野菜料理
記:2008.7.11 島乃ガジ丸