ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

アルコール性肩凝り

2010年10月08日 | 通信-科学・空想

 10年ほど前まで私はひどい肩凝りだった。友人の整体師Sに治療して貰っても、一時的には軽くなるが、一日経つとまた元に戻る。Sの意見は、「目の疲れからくる肩凝りだぜ、パソコンをやっている限りは、治らないだろうな。」とのことであった。その頃の私は職場や家で、ほとんど毎日平均9時間以上は、パソコンを注視していた。
 Sは腕の良い整体師で、私も信頼はしている。しかし、「パソコンをやっている限り、治らないだろうな」は少々違っていた。その後、「粗食少食」に食生活を変えたところ、肩凝りがほぼ消えたのだ。もっとも、粗食少食はSの勧めるものでもあった。
          

  先週のガジ丸コラムで、「肩凝りがしている。(中略)火曜日には心臓が痛くなった。心筋梗塞の兆候だ。火曜水曜を休肝日にして肩凝りが引いた。」と書いたが、それで安心して木曜金曜と晩酌し、土曜はGさんに誘われて飲みに行った。そして、翌日曜日、
 沖縄地方は9月24日に秋風が吹き、おそらくその日から、暑くて寝られないという夜はほとんど無いと思うが、土曜の夜ベッドに入ってからずっと寝苦しくて、朝までそれが続いた。そして、目を覚ますと酷い肩凝りがして、胸が痛かった。
 思い返せば、夜寝苦しいというのは秋風が吹いて以降何日もあった。その何日は、酒を飲んだ夜であった。そうはっきり判ったのは、休肝日であった先週の火曜水曜はぐっすり睡眠であったのに、飲んだ木曜からは寝苦しい夜になっていたからだ。

 酒を飲むと、血がドロドロになって、血流が悪くなり、心臓近くの血管に不具合が起こり、心臓に多大な負担をかけ、夜寝ながらジョギングをしているみたいになり、体が熱くなって、寝苦しくなる。という図式ではないかと私は推理した。
 多大な負担をかけられた心臓は心筋梗塞になり、その症状が日曜日の朝に現れたというわけだ。胸の痛みは喩えると、打撲のような痛み。「酔っている時に胸を強打したのかもしれない」と本気で思うほどで、最初は、胸をくまなく触診して、外傷的痛みのあるところはないかと探したくらいだ。探しても何も無く、痛みは心臓だと確信する。
 仰向けに寝ていると痛みは引いて行く。横向きやうつ伏せでは痛みが増していく。ただどんな格好でも、心臓よりは肩が酷い。肩は凝っているというより痛いのである。

  その日の昼、Gさんが訪ねて来てくれたが、「これから畑仕事です」と言って、帰って貰う。予定は確かにそうであったが、肩の痛みが取れないので、結果的には畑仕事はやらず、寝ていた。夕方、友人から酒の誘いがあったが、それも断り、ひたすら寝た。
 夜になってやっと、肩の痛みが軽くなった。心臓の痛みは既に無い。で、実験。アルコールは本当に肩凝りに悪いのかという実験。泡盛の水割りを1杯飲む。飲み干してすぐに肩の痛みがぶり返した。今回の肩凝りはやはり、アルコール性肩凝りのようである。
 休肝日明けの水曜日は快調、で、再び実験。夜、水割り4杯を飲む。翌朝、変化無し。その夜(昨日)も同量飲む。今朝も特に変化無し。私の水割りはごく薄い、4杯でも原酒にして1合に満たない。「そうか、量の問題か」と思う。飲み過ぎるとアルコール分解で肝臓が過労となり、心臓にも悪影響を与え、肩凝りとして症状に現れる、という図式。昔から言われている通り「飲み過ぎはダメ」なのだ。気をつけましょう、御同輩。
          

 記:2010.10.8 島乃ガジ丸


用有りオジー

2010年10月01日 | 通信-その他・雑感

 最近、友人Hの店に頻繁に通うようになった。Hの店の近くに浦添大公園があり、そこを私は時々散策していて、数年前までは、そのついでにHの店に寄っていた。ところが最近は、散歩は抜きでHの店に通うことが多い。Hの店のインターネットを利用するために私自らの都合で行くことが多いのだが、稀には、H、またはHの女房E子に呼ばれて行くこともある。彼らの用件は概ねパソコンSOSだ。
 9月の初めの木曜日、「プロバイダーをヤフーに代えたらアウトルックでメールができない」とのことで呼ばれる。で、行って、使えるようにする。
 翌金曜日、「昨日はできたけど、今日メールをしたら、できない」と電話があり、出かける。異常は見当たらなかった。どうやらE子の操作ミスだったようだ。
 翌土曜日、Hの不調だったパソコンを直してHの店に持って行くが、誰もいない。で、そのまま持ち帰った。夕方、E子から電話がある。「さっき行ったんだぜ」、「みんなでソバを食べに行っていたさあ。ところで、98パソコンでインターネットができなくなっているんだけど、直せない?」と訊く、もう夕方だ、私は肴を準備しつつあり、もうすぐビールの時間だ。「明日にしてくれ」と言って、電話を切る。
 翌日曜日、朝10時前にE子から電話、「何時に来れる、今からでもいいんだけど」と言う。急いでいるようだ。しかし、E子が昼寝したり、ソバを食いに行ったりしている時間、私は相続手続き書類の準備をしたり、水道工事会社社長Gさんのパソコンのセッティングに行ったり、ガジ丸HPの記事を書いたり、古いLPレコードをパソコンデータとして取り込んだり、部屋の掃除をしたりして、昼寝する暇も、飯食いに行く暇も、寝そべってテレビを観る暇も無く、バタバタと動き回っている。時間に余裕の無い私が、余裕のあるE子に行動を合わせる義理は無い。「午後2時頃行くよ」と言って、電話を切る。
          

 「時間に余裕の無い私が、余裕のあるE子に行動を合わせる義理は無い。」ことは正当な言い分だと思うが、そう思いながら実は、「頼られる」ということは人として幸せな事ではないかとも思った。E子が私に「関わって」くれているのである。「関わり」は生きる上で大事、「関わり」が無いと、生きている意味が無いとも思うくらいだ。
 忙しいからという理由で、人の頼みを聞かないなんていう生き方をしていると、そのうち私は、用無し人となってしまう。誰にも相手をされないオジーになってしまう。そうなっても私は生きていけると思うが、楽しくない人生となるであろう。楽しくない人生は楽しくない。楽しくなければ生きている意味が無い。パソコンの扱いに難渋している知人のGさんも含め、頼まれたらできるだけ助けてあげようと思ったのであった。

 先週、大学時代の友人である埼玉在のKR、宮崎在のIYが沖縄に遊びに来て、宮崎出身(IYとは高校まで一緒)だが、大学卒業後沖縄に住み着いているKYと4人で飲みに行った。IYは2年ぶり、KRは5年ぶり、KYは私の住まいから車で30分とかからない場所に居を構えているが、もっと久しぶり、7年ぶりであった。
 KRもIYも私を頼って来てくれた。それだけでも嬉しいこと。KYからは「またバンドをやろう」との誘いがあった。これもまた嬉しい。年寄になっても誰かが訪ねて来てくれる。誰かが誘ってくれる。私はそんな用有りオジーでありたい。生きていればね。
          

 記:2010.10.1 島乃ガジ丸