ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

備瀬フクギ並木

2010年12月31日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

  先月(9月)、鹿児島から友人のNが遊びに来て、一緒にヤンバル(山原と書く、沖縄島北部の通称)ドライブを楽しんだ。恩納村山田にあるホテルでNを拾い、先ずは渡久地港へ向かう。水納島行きの船が発着する港で本日全便欠航(台風後の荒波のため)を確認して、海洋博公園方面へ向かう。世界一とか言われている有名な「美ら海水族館」のある海洋博公園には入らず、公園を過ぎてすぐの場所にある別の観光名所へ行く。
 観光名所とは備瀬フクギ並木。名所とはいっても観光バスが停まるような大々的な名所では無い。大きなレストランとか大きな土産品店なども無い。 舗装されていない駐車場と小さな食堂、小さな土産屋さんがポツンとある程度のもの。観るものは、フクギの並木以外何も無いようなところ。ウチナーンチュの私でさえここを訪れたのは今回が2回目。1回目もオジサンという年齢になってからのことで今から十数年ほど前のこと。

 十数年前、私は昆虫や鳥などにほとんど興味が無かったので、フクギ並木を歩いても、ただ単に「あー、昔の沖縄の風景だぁ」とくらいにしか感じなくて、さーっと通り過ぎただけだが、今回はゆっくりじっくり、景色を眺めながら歩く。木々や石垣の陰 に潜んでいる虫やトカゲやクモはいないかと目も耳もいくらか緊張させながら歩く。
 そうやって歩いているといくつかの動物も発見できたが、縦横にいくつも走るフクギ並木のコーラル(サンゴ石灰岩)敷きの道が、どこもきれいなことにも気付いた。私がもしも家を建てたなら、その庭にはフクギを植えることは無い。フクギは良い雰囲気を持った木であるが、その大きな果実が時期になると地面に落ちて、腐って、臭いのである。掃除をしなければならない。果実はたくさん生るので、その掃除は毎日となり、面倒臭いであろうと思われるのだ。放っておくと、蠅がたかってさらに煩い。
  フクギ並木散策の途中で、道を掃除しているの人を何人も見た。見知らぬ旅人が家の前を無遠慮に歩くのさえ鬱陶しいと思われるのに、彼らは旅人たちのために毎日道を掃除しているのだ。「見知らぬ誰かと一期一会」ということなのかもしれない。少しの時間だったが、とても気持ちの良い散策となった。ここには良い気が流れている。
     
     
     
     

 記:ガジ丸 2006.10.18 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


辺戸岬

2010年12月31日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 先月(9月)鹿児島から友人のNが遊びに来た。その1日は水納島散策を予定していたが、台風の余波で波が高く、水納島への船は全便欠航となり、予定はヤンバル路ドライブに変更となった。本部町備瀬のフクギ並木を散策し、備瀬岬の海を眺め、今帰仁村を横断して、宜野座村根路銘(ぎのざそんねろめと読む。私には普通の名前だが、倭国の人には判りにくいだろうな)の道の駅「おおぎみ」で昼食を取り、国頭村辺戸(くにがみそんへど。これも倭人には難しかろう)へ向かう。

  国頭村辺戸には辺戸岬がある。沖縄島の最北端である。これまで何度か訪れたことはあるが、今回は約20年ぶりのこと。那覇からだと高速を使って名護の入口である許田まで40分。そこから辺戸までは遠い。1時間半はかかる。車の運転が好きで無い私は、そんな遠い道のりをドライブしようなんて、これっぽっちも思わないのである。道の駅「おおぎみ」での昼食の折、私はビールを飲んだ。その後の運転は思惑通りNの役目となった。ちなみに、「飲んだら乗るな」は正しくない。「飲んだら運転するな」と言うべき。
 20年前の辺戸岬がどうであったかを思い出せな いが、それよりさらに10年ほど前のこと、私が高校を卒業してすぐ、免許取立ての同級生の車に乗って辺戸岬へ行ったことがある。その時の辺戸岬は、何も無い辺戸岬であった。今は、観光客用の建物があって、飲み物も食べ物もたさんあり、そして、おそらく夜の灯もあるであろう辺戸岬だが、その時の辺戸岬はホントに何も無い、地面と空と海以外は何も無い場所であった。
 ”暗黒”というものを私はこの時初めて経験したと思う。その時の辺戸岬、灯にいたっては爪の先ほども無かった。新月の夜であった。空が曇っていて星明りも無かった。「一寸先は闇」というのを、私は物理的にこの時体験した。ちょっと恐かったです。
 地図を見ると、沖縄島の最北端は確かに辺戸岬であったが、沖縄県の最北端は別にあった。伊平屋島である。伊平屋島は沖縄島より北にあり、その島の北の端が沖縄県の最北端となるのだ。これはぜひとも、行かねばなるまい。
     
     

 記:ガジ丸 2006.10.10 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


道の駅全般

2010年12月31日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 100円に喜ぶ主夫

 台風13号が近付きつつあった9月のある土曜日、鹿児島から友人のNが遊びにやってきた。嘉手納基地にある台風コントロール機(私の妄想による産物)が今回もまた効果を発揮し、沖縄島はその直撃を免れた。直撃は免れたが強風圏には入り、最接近したその日の夜は風が強く、私の部屋の網戸や、畑の作物にちょっとだけ被害を与えた。
 翌日曜日は、Nと水納島観光の予定であった。朝、Nを拾いに恩納村山田にあるホテルへ行く。Nを待つ間、ホテルの近辺を散歩する。風はまだ少し強かったが、台風一過の空からは陽射しが降り注いでいる。もう少し時間が経てば行楽日和となりそうである。ただし、海は大荒れ。船は当然欠航。水納島散策は断念となる。その後、沖縄島最北端の辺戸岬などを観光する。風はしだいにおさまって、気持ちの良いドライブとなった。
 その日のコースは、恩納村山田→本部町渡久地(水納島への港がある。船が出るかどうか確認のため立ち寄る)→本部町備瀬(フクギ並木散策)→今帰仁村をぐるっと回って、大宜味村根路銘(おおぎみそんねろめ)にある道の駅「おおぎみ」で昼食を取り→辺戸岬(沖縄島最北端)へ行く。そこから奥を通り、ヤンバルの山の道をドライブするつもりであったが、道を間違えて元の西海岸に戻ってしまった。→道の駅「ゆいゆい国頭」へ立ち寄り→国頭村立森林公園を散策→道の駅「許田」で一休みして、那覇へ帰る。

 そういうつもりでは無かったが、結果として、たまたまヤンバルにある3つの道の駅へ立ち寄った。名護市の「許田」は何度も行っているが、「ゆいゆい国頭」は2度目、「おおぎみ」は初めての訪問。それぞれがそれなりに特徴があって面白かった。次に訪れるときは写真も撮って、HPで紹介することにしよう。
  道の駅では無いが、今帰仁村に共同売店のようなものがあって、そこには地元農家が生産した野菜が売られてあった。旬である今帰仁スイカが多く並べられてあったが、他にも一般的なタマネギ、ニンジン、ナスなどがあった。スイカは別にして、そこにあった野菜は安かった。タマネギ大3個、ニンジン大4本、ナス大4本、那覇で買えば400円はするであろう大きなモーウイ1個などなどが、それぞれたったの100円。ここで大量に買って、那覇で商売ができるのではないかと思うほどであった。主夫の私はその安さに喜んで、そのうちのタマネギとモーウイを買った。独り者の私はそれ以上買っても消費できないのである。ちなみに、道の駅「おおぎみ」ではパイナップルが100円だった。
     

 記:ガジ丸 2006.10.6 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


山田温泉

2010年12月31日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 私は、同年代のオジサンたちと比べればよく旅をしている方である。概ね年に2回、出かけている。年2回旅をする習慣はもう10年以上続いている。正確に数えたことは無いが、それまでのも含めると、まあ、ざっと50回ほどの旅を経験している。
 私の旅は概ね国内の旅である。海外への旅は3回しかない。私の旅はまた、概ね一人旅である。一人旅じゃない旅は5、6回しか無い。つまり、私の旅はそのほとんどが、日本のあちこちを一人でブラブラする旅となっている。一人でブラブラの旅は、若い時は粋がって旅館に泊まることも多かったが、オジサンとなってからはほとんどホテル。それも安いビジネスホテル。外で飲んで食って、ホテルは寝るだけの場所なので、そうなる。
 大学生の頃、ツアーの添乗員のバイトをして、ご老人たちを引き連れて温泉旅行へ行ったことがある。添乗員の仕事は大変だったが、その時の経験から温泉と温泉旅館の雰囲気が大好きになった。温泉は大好きになったのだが、しかし以来、温泉宿へ泊まったのは50回ある旅行経験の、200回は超える宿泊経験の中でたった7泊しかない。群馬の草津に2泊、大分の日田、湯布院、静岡の修善寺、石川の山中温泉、山形の上山温泉にそれぞれ1泊ずつである。温泉宿の”ある”ことを私は苦手としている。
 温泉に浸かることも好きなんだが、温泉宿に泊まって女将さんに挨拶されるのも好きなんだが、出される料理も好きなんだが、実は、その料理の量が好きで無い。たいてい、どこの温泉宿の料理も量が多すぎるのである。粗食小食を長年続けている私の胃袋ではとても全部は食えない。食えないけれど、貧乏性の私はできるだけの努力をする。努力をした結果、お腹が苦しくなり、いつも不快な気分で終わってしまう。それが嫌。

  掘削技術が進歩したお陰ということで、ここ何年かで沖縄にも温泉がいくつかできたようである。ただでさえ暑い沖縄に温泉なんてと思うが、意外と人気らしい。ただでさえ暑い沖縄に、じつは昔から温泉はあった。天然温泉では無かったと思うが、いちおう名前は山田温泉となっていた。恩納村山田にあった。
 私が子供の頃、温泉と名の付く宿泊地は、沖縄では山田温泉しかなかったので、その名前は広くウチナーンチュに知れ渡っており、私にとっても憧れの場所であったが、私の両親は温泉嫌いなのかしらないが、一度もそこへ連れて行ってくれたことは無かった。
 先日、その山田温泉を訪れた。山田温泉は今は何とか(名前を思い出せない)ホテルと名を変えて、観光客相手のリゾートとなっている。昔はウチナーンチュ相手の、地味な感じのホテルだったと記憶しているが、今は立派なホテルとなっている。
     

 記:ガジ丸 2006.10.6 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


首里劇場

2010年12月31日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 首里高校男子の大先生

 月曜日から木曜日まで勤めている職場は建設関連会社で、公共工事の増える10月頃から忙しくなる。先生も走るという12月は民間の仕事も増えてさらに忙しくなる。肉体労働者はよって、10月からはずっと年末まで走り続けるということになる。
  そんな急がしい去年の12月、現場に借り出された。現場仕事の時にはたいてい、昼休みになると私は弁当を食った後、現場近辺を散策している。その日の現場は首里桃原にあった。その日もまた、写真を撮りながら近くを散策した。
 いくつかの昆虫と、いくつかの植物の写真を撮る。そろそろ昼休みも終わりに近付いて現場に戻ろうとした時、道端にツワブキの花が咲いているのを見つけた。
 「おー、もうこんな時期か」と時間の流れの速さを感じる。時間は宇宙船よりも速く過ぎていく、などと、しばし感慨にふけっていると、突然、女の、あの時のあえぎ声が聞こえてきた。あまりにも大声なので、まさか本物ではあるまいと辺りを見渡す。その推理は当たっていた。すぐ近くに首里劇場があったのだ。

  首里劇場とは映画館である。首里の静かな住宅街の真っ只中にある、ポルノ映画専門の映画館である。首里高校生であった私も高校の頃、そこで性教育を受けている。首里高校男子生徒にとっては、まさに人生の大先生なのであった。
 映画の斜陽の時期が長く続いて、街の映画館がどんどん潰れていく中、首里劇場は奮闘した。最近は集合型映画館が隆盛で、なんとか踏ん張っていた繁華街の映画館のその多くが店じまいした。それでもなお、首里劇場は踏ん張っている。レンタルのビデオやDVDだけでなく、ネットでもエロ映像はいくらでも手に入る中、それでもなお、首里劇場は生き残っている。そう考えると私は、首里劇場がたまらなく愛おしくなった。
 劇場の維持費もバカにならない額であろう。電気代、水道代、固定資産税などを考えればおそらく赤字経営なのであろう。それでも、ポルノ映画文化の灯が消えぬよう、爺さん(当時の店主、今も健在かは不明)は頑張っているのだ。これは私も、微力ではあっても協力しなければならない。たまには、ポルノ映画も観ようと決意したのであった。
     
     

 記:ガジ丸 2006.7.20 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行