goo blog サービス終了のお知らせ 

ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

浮かばれない野生

2014年05月16日 | 通信-環境・自然

 今年(2014年)3月28日、脱サラ農夫の、今は八百屋の売り子をやっている友人Kの店を訪ねた帰り、久々に吉の浦海岸を散策した。吉の浦海岸は陸上競技場や野球場、テニスコートに体育館などを備えた運動公園になっていて駐車場も広い。車を停めるに困ることはない。が、その日、私は駐車場に車を停めず道路沿いに駐車した。私がよく海鳥ウォッチングをするポイントがそこから近いので、しばしばそうしている。
 その日、散策を終えて車に向かって歩いていると、車の後部の車輪傍に1匹の犬が座っているのが見えた。大型犬だが、犬に興味の無い私には何という種類なのか不明。近付くにつれ首輪をしていないことが判った。野良犬のようだ。
  さらに近付いて行くと、犬は立ちあがって車から離れた。その大きさなら戦えば勝つであろうが、吠えもしなければ唸りもせず、威嚇もしない。人に遠慮することを知っている賢い犬。あるいは、そう訓練された犬。元はきっと飼い犬だったのであろう。
 犬に興味は無いが、黙って車から離れたその謙虚さに「ありがとう」と心の中で感謝しつつ、まだ近くにいるであろう彼を振り返って見た。彼は10mほど離れた場所でポツンと立っていた。彼は3本脚でポツンと立っていた、後ろ脚の1本が無かった。
 「厳しい犬生を送ってるんだな、頑張れよ」と心の中で激励し、そんなこと思いながらも私は彼に食い物や飲み物を何一つ与えること無くその場を去った。
          

 それから約ひと月半後の5月11日、私の畑なっぴばるからの帰り、畑からほんの1、2分走った辺りの道端に鳥が死んでいるのに気付いた。大きな鳥だ、車の中からは「サシバか?」と思った。その程度の大きさだった。「空高く飛ぶサシバが交通事故か?」と不思議に思いつつ傍を通ったらサシバとは違うことに気付いた。車を停め、バックさせ、降りて近付いてよく見ると、今まで見たことのない鳥であった。写真を撮る。
  家に帰って沖縄の野鳥を紹介している図鑑を調べる。ミゾゴイという種に似ているが目元が違う。死んだら目元が変化するのかもしれないが、そうと断定はできない。
 「そうだ、野鳥の会に問い合わせてみよう、沖縄支部なんてのもあるはずだ」と、撮った写真を4枚、腹側、背側、顔、メジャーを傍に置いて大きさが判るものをそれぞれサイズを小さくし、メール文を書いて、「さて、野鳥の会沖縄支部のメールアドレスを調べなきゃあ」となる。「もし、珍しい鳥なら実物を見たがるかもな」と、素人オッサンはもうすっかり野鳥の会沖縄支部が興味を示すものと思い込んで、何だか良い気分。実物はしかし、翌12日の夕方には消えていた。誰かが葬ったか、野犬に食われたか。

 13日に友人Oの店へ行ってネットを使わせて貰い、野鳥の会沖縄支部を調べる。沖縄支部は無かったがヤンバル、石垣、西表支部はあった。ところが、いずれもメールアドレスが載っていない。ならばと、日本野鳥の会のHPを開いた。そこなら「こんな鳥がいるけど」といったメールも多いはずなので、アドレスも当然載っているに違いない。ところが、アドレスは無く、「メールは受け付けない」とあった。
 何者か知りたいのであれば、自分で図鑑を開いて調べなさいというようなことが書かれてある。「そういうことか、しょうがない」と諦めたのだが、何者か知られることも無く消えた鳥、彼は浮かばれない。もしも、珍しい鳥だったらと思うと私は残念。
          

 記:2014.5.16 島乃ガジ丸


マエジマアシブトウンカ

2014年05月16日 | 動物:昆虫-カメムシ・セミ

 消えた名前

 5月4日、昼間にシーミー(清明祭)を済ませ、その前後に畑仕事もやって、夜には久々に那覇の街へ出かけた。実家が那覇にあって、那覇で飲み会がある時はそこに車を停めて、そこに泊っていたのだが、実家を売却してからはそういう場所が無い。今住んでいる宜野湾市からバスだと混んでいなくても30分ほどかかり、それより、最終のバスが9時台なので、帰りがタクシーの可能性が高く、タクシーだと2000円以上かかるので、貧乏な私は実家売却後の2月から那覇へ出る機会がなかなかないのである。
 その夜は、埼玉からの友人KRと、宮崎出身のシマナイチャー(島内地人という意、沖縄に住んでいる倭人のこと、沖縄が好きというニュアンスも多少含まれる)KYとで飲み会が那覇市の飲み屋街松山であった。で、久々のバスで、久々の那覇。

 松山を通るバスに乗る予定だったが来なかったので国際通り回りのバスに乗り、国際通り沿いの松尾バス停で降りて、そこから松山まで歩いた。少々遠回りとなったが、それでも徒歩約10分では現場に着く。その途中に久茂地小学校がある、ではなく、あった。建物はあるが、今年度から廃校となり、その名前も消えた。
  繁華街の中にある小学校、生徒数が集まらないとのことである。久茂地小学校は廃校となって、隣(徒歩10~15分)の前島小学校に統合されたとのことである。前島小学校は小学校として残るのだが、しかし、その名前は消えた。私の母校は前島小学校の隣(徒歩10内外)の泊小学校で、3校とも中学の学区は概ね那覇中。なので、私には泊小学校出身だけでなく、久茂地小学校出身や前島小学校出身の友人も何人かいる。
 ということで、久茂地も前島も私にとっては親しい地名である。特に前島は家からも近く、小学校も何度か行っている。前島はまた、ピンクサロンなどが並ぶ大人の遊び場所としても知られていた。その辺りを通る時、若い頃の私はウズウズした。

 今回紹介するマエジマアシブトウンカのマエジマは、前島では無く前縞。前島小学校という名前が消えてしまったということを聞いて、私はマエジマから前島小学校を想い浮かべ、上記の文となった。前島小学校は那覇小学校と名前が改められたとのこと。

 
 マエジマアシブトウンカ(前縞脚太浮塵子):半翅目の昆虫
 アシブトウンカ科 四国以南、南西諸島、東南アジアなどに分布 方言名:不詳
 名前の由来は資料が無く不明。マエジマアシブトの前縞脚太も文献にあったのでは無く私の想像。翅の前部に縞模様があるので前縞、脚が太いので脚太とした。浮塵子はオキナワマルウンカでも書いたが、漢字は広辞苑にあった。それから想像すると、「宙に浮かぶ塵のように小さなもの」となる。ウンカの別名にコヌカムシ(小糠虫)ともあるが、小糠は「表皮の細かく砕けて生ずる粉末」(広辞苑)で、これも「小さなもの」の意。
 ウンカは、「カメムシ目ウンカ科の昆虫の総称・・・イネの大害虫」と広辞苑にあったが、本種の寄主はススキ、サトウキビなどのイネ科植物で、ススキに多く集まるが、沖縄ではサトウキビの害虫になっている。
 体長は8~10ミリ。出現は周年。見た目はハゴロモ類に似ているが別科。

 記:2014.5.7 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行


命がけの野生

2014年05月09日 | 通信-環境・自然

 5月4日、温厚な私が、「今度見つけたら只では置かない、蹴っ飛ばしてやる」と決意する程に腹の立つことがあった。これだけの怒りは何年ぶりかのことだ。
 その日、シーミー(清明祭)があって、我が家の墓へ行く。ここ数年は従姉T夫婦とTの妹である従姉Hと4人でやっていて、今年も同様。
  約束の時間は11時だった。皆が集まる前に掃除をしなければならないので、私は10時半に着いた。ところがその時、「あんた今どこにいるの?」とTから電話、「墓にいるよ」、「何言ってんの?私達はさっきからいて、もう掃除も終わる頃よ」、「今、駐車場だ、すぐに行く」となった。いつもなら11時の約束でも30分くらい遅れてくるのに珍しいこったと思いつつ、墓へ着くと、仰る通り掃除は大方済んでいた。ということで、私は掃除する手間がほとんど省けた。墓の隣に住んでいる自由人は大勢の前だと遠慮するようで、小屋の中にいて姿を見せず、私は彼とのユンタク(おしゃべり)も省けた。彼の話は宗教絡みが多く、宗教嫌いの私は少々退屈を感じていたのである。
 その前日には同級生の昔は美人だったKが友人の女性を連れて畑を訪ねて来てくれた。オバサンと言えど、訪ねて来てくれたのは嬉しかった。その日はまた、従妹の娘、可愛いSから優しいメールもあった。そして翌日のシーミーでは墓掃除も少しで済み、自由人とのユンタクも無く、良いことばかりが続いて気分上々であった。
          

 事件は、それぞれの墓でシーミーの行事を済ませ、皆が私の畑に集まって、シーミーのお供え物を昼ご飯として食べ、3人が帰った後に起きた。
 私は供え物の御馳走を、おにぎりは明日の朝食、餅は昼食、その他のシシカマブク(肉と蒲鉾)などは晩の酒の肴として少々分けて貰い、ビニール袋に詰め、それを畑小屋の中の、買い物袋の中に仕舞っておいた。しかし、家に帰って買い物袋を覗くと、その御馳走が消えている。小屋に置き忘れたのだと思った。家に酒の肴はあるが、翌朝の朝食と昼食となるようなものは無い。その日は買い物袋の中に御馳走があると思っていたからスーパーにも寄っていない。「食うのが無ぇじゃないか!」と間抜けな自分に腹を立てながら小屋に取りに戻った。ところが、くまなく探したが、無い。跡形もない。
  私の御馳走は誰かに奪われたようである。3人が帰る時、畑小屋に御馳走を置いたまま私は道路まで出て3人を見送った。そして小屋に戻った。その間、おそらくたった3分ほどだ。そのたった3分の間に、小屋に忍びこんで、食い物の匂いを嗅ぎ、買い物袋を見つけ、その中に入っていた御馳走の袋を見つけ、持ち去っていった奴がいる。

 犯人の目星はついていた。我々が小屋前のテーブルで食事している時に、ミャーミャーと鳴き声が聞こえ、水タンクの下から顔を覗かせていた奴、2週間ほど前から畑近辺をうろちょろしている三毛猫だ。ずっと身を潜めて、我々が席を離れるのを虎視眈々と狙っていたのだ。そして、一瞬の隙をついて、まんまと獲物を掠め取ったのだ。
 御馳走を奪われたことに怒って「今度見つけたら只では置かない、蹴っ飛ばしてやる」となったのだが、しかし、よく考えると、敵もさる(猫だが)者である。たった3分の間に、見つかったら殺されるかもしれない危険を冒しての犯行。さすが野生だと感心した。命がけで食い物を得なければ生きていけないのだ、彼ら、捨て猫たちは。
          

 記:2014.5.9 島乃ガジ丸


イワサキクサゼミ

2014年05月09日 | 動物:昆虫-カメムシ・セミ

 勢力拡大中?

 小さなセミの不鮮明な写真がある。どんな状況で、どこで撮ったかは記憶している。旧玉城村のつきしろのまち、その日そこで現場仕事があり、昼休みだったかに辺りを散策して、道路沿いのススキが蔓延っている草むらで小さなセミを見つけ写真を数枚撮った。その日は風が強く、草の葉が揺れて数枚の写真全てがボケてしまったのだ。
 いつのことかは日記を調べた。2007年6月19日。梅雨明け間近の暑い日だった。小さなセミの正体は、同僚のTさんが知っていた。イワサキクサゼミ。

 先週の日曜日(4月27日)、畑仕事をしていると、セミの声が聞こえた。今年の初セミだ。時期からして「シーミーグヮーだな」と思った。鳴き声も文献に書かれてある通りのジーーーーと続く声、シーミーグヮーは方言名で、清明(二十四節季の一つ)の頃に鳴き始めるセミということでシーミー(清明)小(グヮー:小さいものという意)、和名ではクロイワニイニイという。4月は清明の頃、「名前通りだな」と思った。
  セミの声は一ヶ所から聞こえ、1匹のようであった。彼は長く鳴き続けていた。その声を聞いている内に、シーミーグヮーとはちょっと違うような気がしてきた。しかも、声が聞こえてくる所に木は無い。バナナとパパイアとサクナがあるだけ、いずれも草本類だ。もしかしたらと思って、声の主を探した。彼はサクナの葉の上にいた。
 クロイワニイニイは同じく2007年6月19日、つきしろのまちで、木の幹にしがみついているところを撮っている。クロイワニイニイも小さいけれど、サクナの葉の上にいたセミはもっとずっと小さい。「こりゃ、イワサキクサゼミではないか!」と驚いた。

 イワサキクサゼミの分布はごく限られている。『沖縄昆虫野外観察図鑑』に「沖縄島南部、宮古諸島、八重山諸島」とあって、沖縄島南部については『沖縄大百科事典』に「(旧)知念村、(旧)玉城村の一部にしか生息しない」と詳しくあった。図鑑の写真も全て(旧)知念村、(旧)玉城村のもの。私の経験でも玉城でしか見たことがなく、鳴き声も玉城でしか聞いていない。そのセミが私の畑にいる。
  私の畑は旧知念村、旧玉城村から与那原町を挟んだ西原町、イワサキクサゼミがその領土を拡大しているということだろうか?旧知念村、旧玉城村の北側や与那原町、その隣の南風原町まで出掛けイワサキクサゼミがいるかどうか調べる必要があるかも。

 畑のイワサキクサゼミ、29日にはパパイアの葉の上にいて、5月3日にはバナナの葉の上に移り、翌日にはいなくなった。寿命が尽きたのであろう。5月1日には彼がいた箇所とは反対の北端のセンダングサの葉の上にもう1匹、見つけた。その翌日には畑の向かいにあるススキの蔓延る森からも1匹の鳴き声が聞こえた。
 イワサキクサゼミの勢力拡大は、なっぴばる(私の畑の名)の周辺で煩いほど多数の声が聞こえてきたら、他所に調べに行くまでも無く、証明できるはず。

 
 イワサキクサゼミ(岩崎草蝉):半翅目の昆虫
 セミ科 沖縄島南部、宮古諸島、八重山諸島などに分布 方言名:ガヤサンサナー
 名前の由来、『沖縄昆虫野外観察図鑑』に「多くのセミ類が樹木の根から吸汁するが、草本から吸汁するためクサゼミの名がある」とあった。イワサキは岩崎卓爾のイワサキ、岩崎卓爾は1899年、石垣島の初代測候所所長となり、八重山の自然、歴史、民俗の研究にも大きな功績を残した。彼が(学術的)発見をし、彼の名のつく動植物はいくつもある。本種もその一つ。岩崎卓爾については、いずれ別項で述べたい。
 寄主はチガヤ、ススキ、サトウキビなどで、方言名のガヤサンサナーのガヤはチガヤのことを指す。サンサナーはクマゼミのことで、セミの代名詞として使われている。
 体長12~17ミリで、日本国で最小のセミ。成虫の出現は4月~7月で、最盛期は5月。ジージージーと鳴き「多発生地では話声が聞こえないほど煩い」とのこと。ジージージーは一匹でも音量は大きい。地中に2~3年いて成虫となる。成虫の寿命は5~13日とのこと。サトウキビの害虫となっている。翅脈が緑色をしていてきれい。
 沖縄の固有種で、外国では台湾南部にもいるとのこと。
 
 横から
 
 交尾

 記:2014.5.5 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行


もう一人の自分

2014年05月02日 | 通信-科学・空想

 2月、ガジ丸HPに載せた『幸せな分身、真迦哉』というタイトルの「お話」、大雑把にいえば、起きている間の自分と寝ている間の自分は別々の人格を持ち、別々の人生を生きているが、心も体も一つで、どちらも「私」の内ということを書いている。
 起きている間の自分は、女性をベッドに寝かせ、ブラのホックを外したり、パンツを脱がしたりすることは滅多にないが、寝ている間の自分は、それが頻繁にある。彼はほとんど躊躇することなく行動する。同じ脳なのに、お互い思考方法が違うみたいである。
 謂わば、寝ている間の自分は脳幹(本能)優位の自分で、起きている間の自分は前頭葉(自我とか理性とか)優位の自分なのかもしれない。本能は理性の箍(たが)を外し、自由気ままに行動するわけだ。理性からは自由であっても、そこにはしかし、別の箍がきっと締められている。だから、夢の中であっても経験したくない事に出会う。

 私が楽しい夢ばかり見ているのは、起きている間の自分が楽な生き方をしているからだと思う。楽しい夢を見るには、現実の自分が「楽な人生」、あるいは「生きていることが楽しい人生」であることが大事ということだ。親もいなければ女房も子供もいない天涯孤独のオッサンは、恋人もいないし、貧乏だし、地位も名誉もないので「生きていることが楽しい人生」とまでは言えないかもしれない。でもしかし、家族も恋人も、地位も名誉も金もとうに諦めているので、「幸せを得るためにはこうしなければならない、こうあらねばならない」といった縛りが無い分、「楽な人生」とは言えるだろう。
 「楽な人生」は、元来の楽観的性格のお陰だと思う。楽観的なので夢も楽しいものを見る。楽観的性格ではない人達が不幸な夢を見やすいのであれば、同情するしかない。アドバイスできることがあるとすれば、「諦めなさい」と言うしかない。楽しくない夢も見ていた若い頃、私はきっと欲望に満ちていたのだと思う。「あーしたい、こーしたい」と思うことがたくさんあって、それらを夢の中で達成しようとしていたのかもしれない。夢の中でも達成する自信が無く、毎夜、大きな不安に襲われていたのかもしれない。

  2月、従妹の娘、可愛いS嬢は、大学受験の最中であった。その頃、何度か彼女の話し相手になり、1度は勉強を教えにも行った。その頃、彼女は「浪人なんてしたくない。でも、大学に受かる自信もない」と不安を漏らしていた。さらに、看護学科を志望しているのだが、看護師という職業が特にやりたいことではなく、「じゃあ、あんたが将来やりたい仕事は?」と自問しても他に見つからず、悩んでいるとも言う。
 そこで、オジサンは「なるようになるさ」と思ったが、それは口にせず、「大学に受かっても受からなくても、看護師になってもならなくても、幸せになる道はいくらでもあるよ」とだけアドバイスした。彼女は笑ってくれた。そして、それから数日後、大学受験が失敗という結果となった後の彼女に会った。彼女は意外に明るかった。「専門学校へ行くことにした」と言い、自分の目指す方向が何となく解ってきたと続けた。

 私の中の「もう一人の自分」は夢の中の真迦哉になるが、若い人にとっての「もう一人の自分」は「将来こうありたい自分」だと思う。S嬢が自分なりにあれこれ考えて描いた「もう一人の自分」、それはきっと、彼女の幸せに繋がると期待している。
          

 記:2014.5.2 島乃ガジ丸