ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

やる気が元気

2019年06月21日 | 通信-科学・空想

 梅雨の晴れ間の5月30日、薬草研究家のH爺様と朝から6時間ほどのドライブ及びあちこち散策をご一緒した。当初の目的はある薬草の調査のためだったが、その場所は沖縄島南部にあったので、「ついでに南部戦跡を回りましょうか?」となり、戦跡である摩文仁の丘や姫百合の塔を訪問した。平和運動家でもあるHさんであるが、70代で運転免許返上して、家から遠い南部戦跡はもう何年も行ってないとのことだった。
 摩文仁の平和祈念公園に着いて、「膝が少し悪いんだよ」というHさんのことを考慮して、「駐車場」と標識のある駐車場ではなく、なるべく平和祈念堂や平和の礎の近くに車を停めようとその辺りを探す。「いかにも駐車場」の形は呈していないが、何台もの車が停められてある一角に車を停め、「正規の駐車場では無いのでは?」と思ったので、近くにある売店のオバサンに「ここ停めてもいい所ですか?」と念のために訊く。
 「大丈夫よ、何時間でも停めたらいいさぁ。」とオバサンは笑って答える。いかにも沖縄のオバサン、テーゲー(大概:適当という意)でいいさぁといった笑顔。

 「膝が少し悪いんだよ」というHさんだが、ゆっくりではあるがよく歩く。日頃から良く歩いているからそのための筋肉がしっかりしているのかもしれない。摩文仁の平和祈念公園は広い。その中をトコトコ歩く。平和の礎の刻銘を確かめながら歩く。
 平和の礎には沖縄戦での戦没者の名前が刻まれている。戦没者はウチナーンチュだけではなく、ヤマトゥー(倭人)もアメリカーも、朝鮮人もその他の国の人も、民間人も軍人も等しく刻まれている。ウチナーが悪いのではない、アメリカーが悪いのではない、軍人が悪いのではない、戦争という行為が悪いのであるという気分に満ちている。
     

 さて、たっぷり歩き回って12時を過ぎていた。車に戻る。車を停めた傍の、あのいかにも沖縄のオバサン(70代半ばくらい)の店に入る。中は売店でもあったが、食堂も兼ねていた。で、そこで昼食となる。Hさんは沖縄ソバ、普段は昼飯を食わない私は天麩羅にする、イモ天麩羅2個、野菜かき揚げ2個を頼む。1個50円なので小さかろうと予想していたのだが出てきてビックリ、イモも野菜も私の予想の倍以上あった。
 私の予想通りだったのは店主のオバサン、いかにもウチナーンチュのオバサンはフランクで明るく、よくしゃべった。楽しい賑やかな昼食時間となった。Hさんも元気だがこのオバサンも元気。食べ終わった食器をカウンターに返しながら
 「ごちそうさま、天ぷら大きいですね」と、中のオバサンへ声を掛ける。
 「揚げ物はこれが今日の最後だから、大サービスしたさぁ。」とのこと。
 「大きいだけじゃなく、とても美味しかったですよ。」と私、これはお世辞じゃない。ホントに美味しい天麩羅だった。揚げ方が上手なのだと思った。
 「1人でやっているんですか?」とさらに訊く。
 「姪が手伝ってくれてるけど、1人のことが多いよ。」
 「後継ぎがいるのなら、この天麩羅の味も受け継がれますね。」
 「天麩羅はねぇ、難しいからね、教えてないさぁ、死ぬまで私がやるさぁ。」
 オバサマは生涯現役の心づもりのようである。見上げた精神、そのやる気が元気の源だと思われた。そうか、Hさんも生涯現役の気持ちだから元気なんだ、と気付いた。
     

 記:2019.6.21 島乃ガジ丸

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


オオシワアリ

2019年06月19日 | 動物:昆虫-膜翅目(ハチ他)

 多皺有り

 同級生の女性にあった時、相手が久しぶりの人である場合は当然ながら、頻繁に会っている人であっても、その相手に言ってはいけない禁句がいくつもある。それらの禁句は、40歳くらいまでの禁句で、それ以降は男も女も関係無く素直に言えるものだと、私は思っていた。40歳過ぎたら、あるいは遅くとも50歳過ぎたら女性は肉体的に女性であることを卒業し、「色恋は遠くなりにけり」になるであろうと思っていた。
 ところが、NO!であった。
 「私、太ったでしょう?」と久しぶりに会った昔の美女に訊かれ、
 「太ったね、年取るとそれもしょうがないよね」と答えた。これが失敗。
 まあまあ仲の良かった美少女だったが、以降、会うどころか音信も途絶えた。

 「太ったね」も駄目だが、別の昔美女が、
 「もうおばあさんよ、化粧しないとシミが目立つし、皺も増えたし。」と言うのに、その時は私も前回の失敗を踏まえ、「そんなことないよ」と答えたのだが、その昔美女は幸せな人妻なので、そう言ったからといって、私とはその後何の進展も無い。

 「多皺有り」なんて、女性に絶対言ってはいけない名前の虫がいる。彼は概ねの女性から嫌われている。名前が「多皺有り」だからというわけでは無く、虫というだけで嫌われている。虫であることもオオシワアリという名前も彼の責任ではないのに、可哀想な奴。

 
 オオシワアリ(大皺蟻):膜翅目の昆虫
 アリ科 体長:働きアリ4ミリ内外 方言名:アイ、アイコー
 名前の由来は『沖縄昆虫野外観察図鑑』に「頭部の幅は胸部のそれよりも広く、縦皺があり、和名はそれに由来する」とある。私の写真では1個体が小さすぎて頭部の縦皺は不明瞭だが、「体は淡黄褐色で、腹部は黒色を帯び」から本種であると判断。
 本種の特徴は他に「後胸後縁に後胸刺が1対あり、その腹方にさらに1本の刺がある」などともあるが、それも私の写真では不明瞭。
 サトウキビ畑や野原、林などあちらこちらに生息し、動物の死骸や甘いものに集まる普通種であり、サトウキビの葉梢内に巣を作り、各種害虫を捕食する、サトウキビの害虫に対し天敵となっているが、コナカイガラムシを伝播する2次害虫でもあるとのこと。
 体長は働きアリ4ミリ内外、出現は周年。
 
 餌に群れるオオシワアリ

 記:2019.6.11 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行
 『学研生物図鑑』本間三郎編、株式会社学習研究社発行
 『昆虫の図鑑 採集と標本の作り方』福田春夫、他著、株式会社南方新社社発行
 『琉球列島の鳴く虫たち』大城安弘著、鳴く虫会発行
 『沖縄の生きものたち』沖縄生物教育研究会編著、発行


ナスのニンニク炒め

2019年06月17日 | 飲食:食べ物(料理)

 薬草の勉強をなおも続けているが、目の痛み、頭痛、肩、首の凝りを避けるため、1日8~9時間だったパソコン作業を1日4~5時間に減らした。4月中旬のことである。その他、肩甲骨のストレッチ、薬草摂取などということもやって目の痛み、頭痛、肩凝りはだいぶ良くなったのだが、首の痛みはまだ残っており、腰は相変わらず痛い。
 腰が痛いと「この先、肉体労働ができない」という思いに至って気分も沈む。気分が沈むと肉体労働ではないパソコン作業にも影響が出る。やる気がなくなる。パソコン作業だけでなく生活の概ねに元気が出なくなる。楽しいのは寝る前と、スーパー行って今宵の肴を何にするか考えながら食材を買い、家に戻ってその食材を料理して、できた肴をテーブルに並べ、先ずは1缶の発泡酒を飲み、今宵の肴に合わせた酒を飲む、のが楽しい位。一杯あるじゃねぇーかと思われるかもしれないが、腰痛前はもっと一杯あった。

 やる気が出ないので「薬草冊子その2」作りも滞っていた、そんな5月のある日、しばらくなかったニンニク料理を食うかと思い立つ。3月から沖縄もニンニクの収穫時期となる。スーパーに並んでいたのを何度か買い、元気を求め焼きニンニクなどにして食っていた。普通に美味しいニンニクだった。5月下旬になってもニンニクはスーパーや八百屋い多く並んでいたが、何度食べても元気にならないのでいつか食う気を失くしていた。
 そんな5月下旬のある日、八百屋でナスに目が行く。今宵は焼きナスにするかとカゴにいれる。ナスの真後ろの棚にニンニクがあった。「そうだ、今日は久々にニンニクを食うかと予定していたんだ」と思い出し、ニンニクをカゴに入れナスを元に戻す。その時ふと思い付いた。「そうだ、ナスのニンニク炒め」と、で、再びナスをカゴに入れる。

 ナスのニンニク炒めは、実は想い出の料理で、コンロが汚れるのを嫌がって油を使う料理の減ったここ10年は少なくなっているが、それまでは年に1~2回は作っていたと覚えている。母の料理であり、母の作るそれはとても美味しかった。
 ニンニクという強い味が加わるので塩加減さえ間違えなければ、ナスのニンニク炒めは誰が作ってもまあまあ美味しい。母の味には及ばない(何故だか不明)が、私が作ったのもまあまあ美味しい。まあまあ美味しく、母を想い出し、食べると元気になる。ニンニクの力で元気になっているのかどうかは今のところ判断できない。
     
 ナス(茄子):野菜
 ナス科の一年生草本 インド原産(推定) 方言名:ナシビ
 高温性の野菜で、30度内外が発芽適温。春蒔き夏収穫、夏蒔き冬収穫などの品種があり、沖縄ではほぼ一年中、栽培ができる。乾燥に弱い。

 記:2019.6.16 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


好きに死なせて

2019年06月14日 | 通信-その他・雑感

 1ヶ月ほど前だったか、ラジオの番組で樹木希林さんの本が話題になっていた。私は樹木希林のファンだったので、「だった」ではないか、亡くなった今でもファンだ。ということで、ラジオから聞こえる樹木希林という言葉に耳が反応したのである。
 見た目が美しいというのでは無い、存在そのものが美しいと私は感じていた。私が子供の頃テレビドラマに出ていた樹木希林さん(当時は悠木千帆という芸名)は、その頃からオバサン役だった。その後、樹木希林となってからもオバサン役で、婆さん役もやっていた。だから、当時の私にとっては彼女は恋の相手ではなかった。女としての魅力はちっとも感じていなかった。であるが、私も老いて、色恋とは違う魅力を感じるようになってから樹木希林の魅力に引かれていった。「関わりたい人、一緒にいたい人」であった。

 ラジオで話題になっていた本は2冊あって、その中の1冊は希林さんの残した言葉を集めたものらしい(ラジオから聞こえてくる情報なので正確なことは不詳)。数ある言葉の中で、「死ぬときくらい好きにさせてよ」という言葉が私の耳に残った。
 「生きている間は好きに生きてこれなかったのだから」ということなのか、「神に定められた死期が来たんだから邪魔しないでね」ということなのか、「一人静かに、山奥深い場所で誰に知られることなく」なのか、「自宅の畳の上で、夫や子供孫たちに見守れながら」なのか、どっちだ?と「死ぬときくらい好きに」をあれこれ考えてしまった。
 その数日後、川崎市での刃物男による殺傷事件が起きた。「どうせ自殺するんだったら他人に迷惑かけることなく、静かにひっそり死んだらいいのに」と思った。ネットを見ると、世間でもあれこれ意見があるようだが、私と同じような意見が多いように感じた。でも、何故、彼は一人で静かに死ねなかったのか、も考える必要があろうとも感じた。
     

 ところが、「考える必要があろうとも感じ」てから翌日にはそのことを忘れる。社会とあまり関わらない生活をしているせいで脳の衰えが進んでいるのか、あれこれいろんなことを忘れる。最近、曜日を間違えるし、買い物なんか、買うのを忘れることはよくあり、同じ日、2件の店で買い物をして、同じものをそれぞれの店で買ってしまうなんてこともある。先日、ブログの相互読者である「くりまんじゅう」さんのブログに樹木希林さんの本のことがあって、希林さんの残した「好きに死なせて」を私はやっと思い出した。 
 川崎市での刃物男は引き籠りだったようである。社会に出ないで家に籠って何を考えていたんだろう。引き籠りとまでは言えないだろうが、私も家にいる時間は長い。家にいて腰の痛みが強い時はやはり気が滅入る。気は滅入るけどそれで「死にたい」とか思ったりはしない。譬え「死にたい」と思っても、「ついでに他人を巻き添えに」などとはちっとも思わない。自分で自分を殺すことさえ面倒なことだと思う。自然に死にたい。
 「自然に死ぬ」とはどういうことか?とさらに考える。「神に定められた死期に延命治療などせず静かに死んでいく」と私は考える。そして、私にその時期が来たらそこまで達観できるかと考えた。おそらく、できない。何しろ私は、今、過去を振り返っただけでも後悔することが山のようにある。我が人生に満足して笑って死ぬことはできそうもない、と考えて気付いた。樹木希林さんの「好きに死なせて」は「与えられた人生を十分楽しみました」という達成感から来ているのではないだろうか、と想像した。
     

 記:2019.6.14 島乃ガジ丸