静御前堂

 

年末29日に、奥羽山脈南端の山並みを撮るために歩いた時に、久し振りに前を通りがかった静御前堂。お堂の前の道は、かつてはクルマがすれ違うのはちょっと厄介な凸凹道だったのに、今は片側二車線の立派な道となり、辺りにかつての面影はまったくなくなってしまったが、御前堂だけは昔のままの姿で建っていた。

  

平家が滅亡した後、源頼朝の不興を買い追われた義経は、藤原秀衡を頼り奥州に下る。これを追って今の郡山市まで来た静御前だが、義経は既に平泉に発ったと聞かされ、途方に暮れこの地の池に身を投げる(その池、美女沼が現存する)。これを憐れんだ土地の人がお堂を建てその霊を祭ったと云う伝説がある。このお堂そのものは200年程前に建てられたもののようであるが、傷んでいた屋根が地元有志の尽力により十数年前に葺き替えられ現在に至っている。

 

ちなみに静御前終焉の地と伝えられる場所は、北は北海道乙部町から西は福岡県福津市まで、全国各地に多数存在している。その内の一つが、上に紹介した郡山市の静御前堂である。

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