本日は艦内での「挨拶」に関するあれこれである。
ここ1週間のうちに2回、病院待合室(患者待機所)で数時間過ごすことを余儀なくされたが、看護師さんの患者呼び込みに対して1度で応じる人が少ないことに気が付いた。殆どの看護師さんが名前を2度呼ぶので、それを1度とカウントしての上である。さらに、返事をする患者に至っては、1度の呼び込みで対応する人の2~3割であるように感じた。
勿論、診察を俟つ患者は何らかの疾病・症状を抱えており、即座に対応できない人や返事をするのも億劫な人も多いだろうが、それにしても少な過ぎるように感じた。
海上自衛隊に入隊または初めて乗艦した隊員がまず教えられるのは、呼びかけに返事をすることと相互に挨拶を交わすことであるように思う。
海上自衛隊には独特の挨拶があり、上陸等で艦を離れる場合には当直者や後事を託す者に対して「お願いします」と挨拶し、帰艦した場合には「有難うございました」と挨拶するのを例としている。階級・職責に開きがある場合や親しい間柄では、「願います(頼む)」や「有難う」に短縮される場合もあるが、鬼のような艦長でも出艦する場合は当直士官に「願います」の一言を残す。
かっての映画で、吉田善吾提督から山本五十六提督への連合艦隊司令長官申し継ぎの場面で、吉田提督が「願います」という場面が描かれているし、特攻機で出撃する搭乗員が見送りの上官・同輩に「お願いします」と挨拶したことは知られているが、これらも特別なことを依頼する意味ではなく、万感の意を込めつつも一般的な挨拶の形である。
一方、「返事をしない」ことは、自衛隊・一般社会を問わず相手を無視若しくは相手に不服従を示すもので、「返事をする」ことは艦内生活は勿論のこと一般社会でも人間関係を円滑・正常に保つ基本的なマナーであるのではないだろうか。
軍隊組織における挨拶の1形態と看做される敬礼については、自衛艦旗掲揚時(0800)以降は、幹部に対してや舷門通過等の場合を除いて、曹士間の敬礼は省略するとされているが、言葉による挨拶には強制規定もない代わりに省略規定もない。しかしながら、人間関係なかんずく団体生活を円滑に保つ必須アイテムであることから、社会が如何様に変化しても艦内での挨拶の美風が廃れることは無いと思っている。
待合室の固い長椅子に座りながら、通常の立ち振る舞い可能と見受けられる紳士然とした同年配老人が、2度3度の呼びかけに無言で応じる姿を見て、「この人は如何様の人生・社会生活を送ってきたのだろうか?」と疑問に思える事態を散見して、老人は現役世代に対する感謝と労りの心を忘れるべきでないと思った。
私などは、名前が呼ばれたらすぐに手を上げて「はい」と返事をして笑顔で看護婦さんに必ず話しかけます。特に若くて可愛い看護婦さんに対しては心ときめき、二十歳のころに戻ったみたいです。
私がちょうど20代の時見た森重久弥氏の喜劇映画の1シーン(記憶を辿って書いています)で「最近の看護婦はお尻を触られると『このエロ親父!』と怒鳴って手をねじ上げるけど、昔は『お爺ちゃん、お悪戯はだめよ』微笑ながら手を払ってくれた」と言って寂しい顔をしていたのを思い出しました。
若いときは「老いる」とは、若木が枯れ木になり朽ちていくことだぐらいしか思っていませんでしたが、年を取ると「心」と「体」は違った年を取って行くみたいです。同年配の方の「体」の老化の違いは精々10歳ぐらいでしょうか?。でも「心」は「体」とは性格が全然違うみたいです。
ローマン派文学の「レ・ミゼラブル(ああ無情)」のジャンバル・ジャンは天使が迎えに来て幸せな最後を迎えます。また、「フランダースの犬」のパトラッシュとネロは教会で大好きなルーベンスの絵を見て神に召されます。
私は人生の最後には、この様な「心」になりたいものです。
結論の出ない取り留めの無いことを書きました。申し訳ありません。
でも、年を取っても森重久弥氏の映画のシーンを真似をしてはいけません。すぐ警察に捕まります。
心臓の悪い人、高血圧の人は、若くて可愛い看護婦さんに心ときめいてはいけません。容態が悪化します。
若い看護婦さんに微笑む時は顔を見ながら微笑んでください。絶対に足の先から頭まで舐めるように見てはいけません。絶対にです!!
貴意「年を取ると「心」と「体」は違った年を取って行く」は、まさしく自分の現状に当て嵌まるものと感じ入っておるます。
部品にガタのきた昨今、心のときめかし方に対する、ご教示を実践してまいります。
当方の愚息も一佐として現職勤務中ですが、今でも私が出掛ける時に家に居れば「行ってらっしゃい」
帰宅時に在宅していれば、玄関先まで出迎えて「お帰りなさい」
と言います。不思議に感じていましたが理解できた気がします。
数日間ブログを離れざるを得ない仕儀の日、安倍元総理へのテロが起きました。18歳から3年間在職しただけとは言え、もと海自隊員との報道に暗澹たる思いであります。
わずかの期間では、人格の陶冶や矯正は難しく、火器に対するハードルを下げただけかとも思えば無念の思いです。