参院予算委員会において立憲民主党の福山哲郎議員が正論を述べた。
質問に立った立民論客の筆頭とも称される福山議員は冒頭で「我々には(物価対策・防衛?)やらなければならないことがたくさんある。疑惑に付き合っている暇はない」と強調したと報じられている。ここまでを見る限り、「流石に松下政経塾出身者。的確に日本の現状を分析しており喫緊の問題点について論陣を張る」かと期待を抱かせるに十分な正論である。
しかしながら、当の福山議員は持ち時間の全てを秋葉賢也復興大臣の疑惑追及に費やし、肝心の物価対策などには触れずじまいであったらしい。
現在、国民が国会と国政に期待する関心事は何だろうか。立憲民主党が総力を挙げる国会議員と旧統一教会の関係を明らかにすることだろうか・はたまた大臣の首狩りだろうか。
自分が会期中の臨時国会に求めるのは、物価・エネルギー対策であり、それにもまして防衛力の質・量を見極めるとともに、必要な財源確保の道筋を定めることであると思っている。確かに、倫理的に汚染された議員からは堅確な結論は得られないとして、先ず閣僚・議員の不祥事を正すことに一片の意義はあるのかもしれないが、それらは、総務・懲罰委員会で議論し、予算委員会はさらに高次元の政策論争・経綸質疑の場として欲しいと願っている。
参院予算委員会では維新が防衛問題に関して建設的に提言し、国民民主は補正予算案に賛成し、これまで集団安保や土地規制等についてブレーキを踏み続けた公明党は敵基地攻撃能力の保有を条件付きながらも容認に転じ、憲法審査会では立民委員以外は国会議員の任期に対する緊急条項の追加に前向きとなっているなど、政党・議員の活動は徐々に変化している。このことは、現在のような退嬰的大衆迎合のために負担の全てを後世に押し付ける政治を続けるならば、近未来の日本が世界から交誼に値しない国とされる危険性と、経済的にはデフォルトに陥る可能性があることを理解し始めたことによるものと考えたい。
あの枝野幸男議員ですら、云訳を付しながらも自身が指導した消費減税要求は政治的に誤りであったと総括している。前線から一時身を引いて考察した時、限時的ではあっても税収減は将来の禍根となることが見えてきたようである。
維新の台頭を契機として、多くの政治家が「政治は短期の政局・政争にのみ終始すべきではない」ことに目覚めつつあるように思えるが、頑迷固陋な守旧政党である立憲民主党のみ色褪せた看板を掲げ続けているように見える。それであっても、新聞・週刊誌の読み聞かせだけは勘弁して欲しいものである。
おっしゃる通り、福山氏の質問は統一教会問題の追求がほとんどでした。
「こんなことに費やしている時間はないのですが・・」
時々そんなことを呟いていましたが、私はテレビのスイッチを切りました。おっしゃる通り、統一教会問題は総務委員会や懲罰委員会でやればいいのです。
正論に敬意を表します。
ご訪問とコメントを有難うございます。
雑用に紛れ遅くなりました。
今国会はテレビ中継を見ないと決めており、福山議員の件も新聞報道で知りました。
それにしても不毛の議論、それもテレビ放映を意識したかの質問選びには、「国民・有権者はこの種の・この程度の問題で満足する」と云う野党の思い上がりと時代錯誤が存するように思えてなりません。