gooblogから送られて来る1年前のブログ記事を観た。
記事は「参院選終わる」と題して、立民泉代表の《「立憲民主党の幅の狭さみたいなものが有権者に「政権を任せるにはまだ至らない」との判断を抱かせた》という敗戦の弁を受けて「泉代表の敗戦の弁は、これまでの地方組織の脆弱性や広報不足を挙げていたことに比べれば、党勢凋落の真因を言外に滲ませたもので公党として半歩の前進」と期待感を滲ませている。
しかしながら、以後の国会審議を観ると相も変らぬ閣僚の首狩り戦術に終始し、更には改憲論議の門前払い等を観る限りでは立民の思考・政策の間口が広がったようには見えない。
本年2月1日には『第2次安倍政権(民主党政権崩壊)以降の政策を検証する「失われた10年政策検証プロジェクトチーム(PT)」を設け、旧民主党政権が掲げた政策がそのまま実現、継続した場合と自公政権下の結果を比較検証する」とした。検証は少子化対策、農家への戸別所得補償制度、選択的夫婦別姓制度、社会保障、エネルギー政策について行い、4月の統一地方選や次期衆院選に向けた支持拡大を狙うとしたが、PTの成果は予算員会等での質疑に活用されたのであろうかと好意的に観ても、現在まで纏まった形で・有権者にアピールする形では発表されていないと思っている。
2月と云えば、未だ武漢コロナは依然として猛威を振るい、ウクライナ事変は長期・泥沼の様相を呈していた時期であるが、喫緊の公衆衛生や防衛についてはPTの埒外としていた。確かに民主党政権下では公衆衛生は問題視されず、防衛問題は「在沖米軍基地を最低でも県外」に揺れていたので下手に検証すれば藪蛇との思惑で除外したものであろうが、真に政権を狙う政党としては物足りないものであった。
立憲民主党のネクスト・キャビネット(次の内閣)に、防衛大臣は置かれていない。立民は防衛は外務大臣の所掌としているが、国防の2本柱である外交と軍事を同一人物が所掌するのは、あり得ないことで先進国にも例がないのではないだろうか。まさに、立民の防衛・軍事音痴の面目躍如の極みに思える。
大東亜戦争末期の東条内閣(末期)に、東条英機氏が首相・外務・陸軍・法務大臣を兼務したことがある。本来、陸軍大臣は戦争の継続と軍事的勝利を使命とし、外務大臣は戦争の外交的解決を本務とし、両者の塩梅は首相が図るべきであるので、相反する二つの要件を一人が担い、更には両者の助言を得て最終決定する首相まで同一人物とするのは考えられない。東条首相が、それぞれの人格(使命)を使い分けられるべくも無く、この戦争指導が最悪の結末を迎えたことは立民や立民支持者も考えて欲しいものである。
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