私の住むアパートの近くにある公園の風景から。
5歳くらいのやんちゃな男の子が1人、おとなしそうなもう一人の子供と、ブランコをぶつけながら自慢話をしていた。
「wii持ってる?」
「持ってるよ。家なんか、DSもマリオも××も皆持ってるよ!」
××は聞き取れなかった・・・。
「○○チャンの家は、○×△、ソフトも棚いっぱいにあるよ!」
「家は無いよ・・。」
「へーお前んち貧乏だな!!」
こんなやり取りをしていた。たわいも無い子供のやり取りだが、貧乏扱いされた子供が、はたして本当にそうなのだろうか。
我が家は、wiiもDSもPSPも無い。もちろん貧乏だ。
たかが、ゲーム。やってる事は、擬似戦争であり、疑似体験だ。そんな子供が大人になり、物を持つ事に優越感を覚え、子供の頃に体験した擬似戦争を繰り返すのだ。
自分は手を下さず、部下に指示してやらせる。同じ事だ。擬似戦争の舞台が、ゲーム機から
飛び出し、企業戦争、派閥争い、最終的には、武力戦争へと導かれる。
被害を被るのは、おとなしい人々だ。平和を愛し、静かな暮らしを求める人々が消えて行く。
私も子供の頃にも、同じようなやりとりはあった。しかし、対象は、メンコかこまか、せいぜい良く飛ぶ紙飛行機だった。
他人の持ち物をうらやみ、自分よりいいものを持っているとわかると、蹴落としにかかるか奪いにかかる。
私も子供の頃いじめられて、買って欲しかったが、家が貧しく我慢した思い出がよみがえった。それは、当時流行だしたTVゲームである。裕福な親戚の家は持っていたので、遊ばして頂いたが、ほんの一蹴の満足感に過ぎない事を覚えている。
その一瞬の満足感の為に、今の子供たちの世界では、いじめや優越感の種が確実に育っている。いつの時代も同じかもしれないが。
私の子供の頃はそれでも、何とか出来た。なぜなら、対象が手作りできたからだ。
良く弾くメンコを作ったり、遠くまで飛ぶ紙飛行機を工夫したり・・・。長く回る様にこまを改良したりと・・・。
今はどうだろう?wiiやDSを手作りする事は不可能だ。
そして、操作の仕方は覚えるが、今自分の身の回りにある道具や、素材を工夫する「発見」や、素材を与えてくれる存在に対しての「思いやり」や「感謝」の微塵も感じない。
その子供たちが来ると、毎回のように公園にお菓子の袋が散乱する。
罪のかけらも無いように捨ててゆく。それが当たり前の事のように。
5歳くらいのやんちゃな男の子が1人、おとなしそうなもう一人の子供と、ブランコをぶつけながら自慢話をしていた。
「wii持ってる?」
「持ってるよ。家なんか、DSもマリオも××も皆持ってるよ!」
××は聞き取れなかった・・・。
「○○チャンの家は、○×△、ソフトも棚いっぱいにあるよ!」
「家は無いよ・・。」
「へーお前んち貧乏だな!!」
こんなやり取りをしていた。たわいも無い子供のやり取りだが、貧乏扱いされた子供が、はたして本当にそうなのだろうか。
我が家は、wiiもDSもPSPも無い。もちろん貧乏だ。
たかが、ゲーム。やってる事は、擬似戦争であり、疑似体験だ。そんな子供が大人になり、物を持つ事に優越感を覚え、子供の頃に体験した擬似戦争を繰り返すのだ。
自分は手を下さず、部下に指示してやらせる。同じ事だ。擬似戦争の舞台が、ゲーム機から
飛び出し、企業戦争、派閥争い、最終的には、武力戦争へと導かれる。
被害を被るのは、おとなしい人々だ。平和を愛し、静かな暮らしを求める人々が消えて行く。
私も子供の頃にも、同じようなやりとりはあった。しかし、対象は、メンコかこまか、せいぜい良く飛ぶ紙飛行機だった。
他人の持ち物をうらやみ、自分よりいいものを持っているとわかると、蹴落としにかかるか奪いにかかる。
私も子供の頃いじめられて、買って欲しかったが、家が貧しく我慢した思い出がよみがえった。それは、当時流行だしたTVゲームである。裕福な親戚の家は持っていたので、遊ばして頂いたが、ほんの一蹴の満足感に過ぎない事を覚えている。
その一瞬の満足感の為に、今の子供たちの世界では、いじめや優越感の種が確実に育っている。いつの時代も同じかもしれないが。
私の子供の頃はそれでも、何とか出来た。なぜなら、対象が手作りできたからだ。
良く弾くメンコを作ったり、遠くまで飛ぶ紙飛行機を工夫したり・・・。長く回る様にこまを改良したりと・・・。
今はどうだろう?wiiやDSを手作りする事は不可能だ。
そして、操作の仕方は覚えるが、今自分の身の回りにある道具や、素材を工夫する「発見」や、素材を与えてくれる存在に対しての「思いやり」や「感謝」の微塵も感じない。
その子供たちが来ると、毎回のように公園にお菓子の袋が散乱する。
罪のかけらも無いように捨ててゆく。それが当たり前の事のように。