一連の熊本地震で大きな被害を受けた熊本県益城町で、介護福祉士らで作る災害派遣福祉チーム(DCAT(ディーキャット))が奮闘中だ。巡回相談などで、「地域で暮らし続けたい」と願う避難所の高齢者らを支えている。支援が必要な人を受け入れる福祉避難所の課題も見えてきた。
■避難所を巡回
益城町にある指定避難所の一つ、町交流情報センターの一角に「さしより相談処」がある。熊本県の介護福祉士らで作るチームが常駐し、相談に乗っている。「さしより」とは熊本弁で「とりあえず」。気軽に来てもらおうという意味を込めた。
朝9時から午後5時、相談は1日数十件ある。チーム約20人で手分けして、福祉施設以外の避難所11カ所を毎日2回巡回。トイレに手すりをつけるなど困りごとの相談にものっている。
5月半ば、保健師から、避難所にいる男性(83)が転んだと連絡が入った。
チームの介護福祉士、田尻アヤ子さん(39)が駆け付けると、打撲で包帯を巻かれた腕を見て男性は「風呂は諦めるか……」と落ち込んでいた。男性は避難所に来て足腰が弱ってしまった。自衛隊が設置した風呂には縁が高いため入れず、近くの福祉施設の風呂にチームが送迎し週3回通っていた。
田尻さんはすぐに巡回の医師と相談。「風呂は続けて問題ないですよ」と男性に伝えると、ほっとした様子で、「風呂に行くと、殿様んごたる」。
DCATは災害直後に医師らを派遣する災害派遣医療チーム(DMAT(ディーマット))の福祉版だ。行政が創設したものだけでも全国に10カ所、民間の社会福祉法人などが立ち上げたチームもある。
熊本県の取り組みは早く、2012年、高齢者や障害者関連の7団体と協定を結び、約660人が登録。災害発生時にいち早く駆けつけ、避難所では生活が難しい人を判断し、福祉避難所に移送するための訓練をしてきた。
だが、出動要請が出たのは、本震から9日後の4月25日。県内の小規模多機能ホーム理事長で今回のチームのとりまとめ役、川原秀夫さん(66)によると、「被災した益城町などから要請がなかった」という。行政が創設したDCATは被災自治体が各都道府県に要請する仕組みだ。直後は対応に追われ、その余裕はなかったとみられる。
一方、民間のDCATでは、岩手県大船渡市の社会福祉法人、典人会のチームが、南阿蘇村の高齢者施設の窮状をSNSで知り、本震3日後から活動を開始していた。
25日以降、熊本県チーム、岩手県、京都府のチームが相次いで益城町に入った。いずれも今回が創設後初出動だった。指定避難所には配慮が必要な高齢者や障害者が多くいた。体調が悪化し、町外の施設への移動を町から打診されても「家族や地域の友人と離れたくない」と避難所にいることを決めた人も。
岩手、京都チームは5月末までに活動を終え、今は熊本チームが活動中だ。町によると3日現在、15カ所の指定避難所にいる約2千人のうち、配慮が必要な高齢者や障害者らは約120人。川原さんは「福祉避難所以外の避難所にも介護のプロの力が必要なんです」と話す。
■足りない福祉避難所、一般の避難所で高齢者支えるには
益城町では特別養護老人ホームなど5カ所が、災害時に高齢者や障害者など支援が必要な人を受け入れる福祉避難所となる協定を町と結んでいた。だが、今回は混乱した。
協定を結んでいた一つ、障害者支援施設「熊東園(ゆうとうえん)」のスタッフは「地域の方がどんどん避難してきて、あの状況では断れなかった」と話す。5カ所とも同様の状況で、発生後2週間程度は、対象者以外の人も多く避難していた。そのため、町の担当者は「本来受け入れるべき人を受け入れられなかった」と話す。
こうした状況について、同志社大学の立木茂雄教授(福祉防災学)は「益城町で起きたことはどこでも起こりえる。一般の避難所で支援が必要な人にどう対応するのかを考えなくてはならないが、大半の自治体はまだそこまでには至っていない」と指摘する。
取り組みが進むところもある。京都府では一般避難所に福祉避難コーナーを設けるガイドラインを2013年に作り、府内の自治体に配った。避難所運営に関わる市民に研修を受けてもらい「福祉避難サポーター」として養成。これまでに625人が参加した。
避難所で出前相談をするDCATの田尻アヤ子さん
2016年6月6日 朝日新聞