ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

職場での障害者のサポート人材を育成

2017年04月05日 03時42分23秒 | 障害者の自立

『職場内障害者サポーター事業』都内企業の募集開始

[株式会社パソナグループ]

企業の”自立した障害者支援体制構築“ を支援、昨年度は300人超が参加

株式会社パソナグループの特例子会社 株式会社パソナハートフル(本社:東京都千代田区、代表取締役社長 深澤旬子)は、公益財団法人東京しごと財団からの受託により、障害者の定着化・戦力化を目指す都内企業を対象に、職場内で障害のある社員のフォローや支援を行う人材を育成する『職場内障害者サポーター事業』の参加企業の募集を4月3日(月)より開始いたします。


2016年の東京都内での就労障害者数は173,570人と10年前の約1.7倍となり、障害者を雇用する企業数・就労障害者数は増加しています。一方で、多くの企業が職場内での障害者への支援体制・環境が十分に整わず、支援できる知識やノウハウを持つ人材がいないという課題を抱えています。
そこで本事業では、障害者の雇用管理方法や障害特性・配慮事項等に関する知識・ノウハウの習得をはじめ、実際の支援現場の見学や、雇用事例を用いたグループワークを通じ、実践的な障害者雇用支援のスキルを身に付ける養成講座を実施します。養成講座終了後には半年間、専門スキルを備えた支援員が定期的に事業所を訪問しフォローを行うとともに、ケースワークを通じたフォローアップ研修を実施します。


■ 『職場内障害者サポーター事業』概要 
受託期間: 2017年4月1日~2018年3月31日
対象: 障害者を雇用(雇用予定含む)している都内企業・事業所
内容:
1. 養成講座(4時間×3日間) ※ 年間20回開催予定、各回定員25人
雇用管理・指導方法や障害者特性・配慮事項に関する知識・ノウハウの習得、実際の障害者雇用現場の見学や、受講企業同士の意見交換による事例共有など
2. サポーター活動支援(養成講座終了後、6ヶ月間)
<定期訪問> 専門スキルを備えた支援員が、定期的に事業所訪問し雇用管理を助言
< 研 修 > グループワークによる事例検討等、実践的なフォローアップ研修を実施
3. 奨励金の支給 ※以下の支給要件を全て満たした場合のみ
養成講座修了後、職場内障害者サポーターとしての6ヶ月の支援活動実績、フォローアップ研修の修了、障害者の職場定着実績
参加費: 無料
主催: 東京都と公益財団法人東京しごと財団が連携して実施し、事務局をパソナハートフルが運営
URL: www.shougaisya-support.jp
問合せ先: 株式会社パソナハートフル Tel 03-6734-1093


【参考】 2016年度の実績 / 都内企業の300名超が養成講座を受講 
パソナハートフルは、2016年度も「職場内障害者サポーター事業」を受託し、事務局を運営しました。2016年度は、都内企業において障害者雇用に携わる300名超の方々が養成講座を受講し、講座で得た ノウハウを自社の障害者雇用の支援体制や環境づくりに活かしました。

● 養成講座の様子

▲ 受講企業同士の意見交換会
▲ 障害者雇用現場の見学

● 養成講座 受講者の声
・障害者雇用について基礎から教えてもらい、勉強になりました
・グループワークで、障害特性に合わせた指導上のポイントを学べたのが良かったです
・現場見学で、障害への理解が深まりました
・現場で雇用している障害者に対する配慮事例は、実践的で参考になりました
・業務の作業工程の分析法を初めて知り、指導方法のヒントになりそうです

● サポーター支援活動 参加者の声
・フォローアップ研修で他社の支援状況を聞くことができ、参考になりました
・支援員からのアドバイスを実践した結果、社員のモチベーションが上がり業務効率も向上しました
・社内に障害者雇用に関して相談できる人がいなかったため、支援員に相談にのってもらいながら、障害のある社員をサポートできたのが心強かったです

企業プレスリリース詳細へ (2017/04/03-15:13)


障害者の自立、人工呼吸器使用の日常描く

2017年04月05日 03時34分19秒 | 障害者の自立

上田の市民団体CIL、実行委員会の参加者募集 /長野

 障害者支援に取り組む市民団体「CIL上田Groping」(上田市)が、人工呼吸器を必要とする障害と向き合いながら生きる人たちの姿を描いた映画「風は生きよという」(2015年、宍戸大裕監督)の上田市での上映に向け、実行委員会の参加者を募集している。

 映画は、筋ジストロフィーや筋萎縮性側索硬化症(ALS)といった難病を患って人工呼吸器を使用している男女5人の日常を追っている。普通高校に通う男子学生や重度の障害者の自立生活センター(CIL)の代表として支援を続けている人らが出演している。

 募集しているのは、CIL上田の井出今日我(きょうが)代表(26)。井出代表は、5歳で全身の筋肉が萎縮していく進行性の筋ジストロフィーを発症。母親の介護を受けながら生活するうち「どうすれば自立できるのか」と思い悩んでいた大学時代、米国のCILのホームページを見つけ、ヘルパーを活用しながら自立することや障害者自身が考え、思いを社会に働きかける生き方に感銘を受けた。

 「周囲にフォローしてもらいながら自らの意志で物事を決め、責任のある生活を送ることも一種の『自立』といえるはず」。映画ではそのように生きる障害者の姿が描かれ、「健常者と一緒に過ごしている姿を知ってもらいたい」と語る。井出さん自身も大学卒業後の15年6月に1人暮らしを始め、現在は24時間の訪問介護を利用しつつ、料理の調味料の分量をヘルパーに細かく指示するなど「自立」を重視した日々を送っている。担当するヘルパーも「言ってもらって助かる」と歓迎しているという。

 健常者と障害者の間の壁によって、昨年、19人が死亡した相模原市の障害者施設での殺傷事件が起きたとも分析し、相互理解の重要性を訴える。「映画を見て、障害者も自立して主体的に生きていくことができると知ってもらい、共生社会につながれば」。問い合わせは事務局(090・3098・0554)。

 映画「風は生きよという」の上映を目指すCIL上田Gropingの井出今日我代表
 
毎日新聞   2017年4月4日

障がい者差別解消、沖縄は協議会ゼロ

2017年04月05日 03時29分26秒 | 障害者の自立

 2016年4月に施行された障害者差別解消法に基づく「障害者差別解消支援地域協議会」が、沖縄県内全ての市町村で設置されていないことが3日までに琉球新報の調べで分かった。設置に向け「具体的な取り組みをしていない」と答えた市町村は78%(32市町村)に上る。各市町村は協議会の必要性を感じているが、障害者差別解消法や協議会に関する知識が不足している。施行から1年が過ぎたが、解消法が根付いていないのが実情だ。

 「障害者差別解消法」に基づき、国は自治体に対して「障害者差別解消支援地域協議会」の設置を促している。障がい者に身近な相談に対応しながら障がい者差別の解消を推進する役目を担う。

 本紙調べによると施行1年を経ても、県内市町村では「障害者差別解消支援地域協議会」設置の実績は全くない。市町村の既存組織に「障害者差別解消支援地域協議会」の役務を担わせている市町村が7カ所あるものの差別に関する相談を受けた実績はなく、機能していないのが実態だ。

 設置が進まない理由として、市町村の担当者らは「具体的にどのように運用すべきか分からない」などと答えており、現場レベルで法律に関する理解が進んでいないのが実情だ。「これまでの枠組みの中で差別などの問題に取り組むことができる」と答える自治体もあった。

2017年4月4日   琉球新報


フットサルを通じた交流を!“障がい者就労支援のスポーツバー”が誕生

2017年04月05日 03時20分52秒 | 障害者の自立

健常者と障がい者の間に横たわる“労働・雇用環境の差”

2016年4月、一般社団法人 日本障がい者サッカー連盟が設立され、その発表会見が御茶ノ水のJFAハウスで行われた。筆者はその場に取材者として参加をしていたのだが、そこで聞いた1つの言葉が最も印象に残っている。

「僕に取って片足が無いということは、髪の毛が多い人とか少ない人がいるのと同じくらいのことだと思っているので」

なんともユーモラスなこの言葉を発したのは、アンプティサッカー日本代表で10番を背負い、同競技を代表して会見に参加したエンヒッキ・松茂良・ジアスである。ちなみにアンプティサッカーとは切断障がいを持った選手たちによるサッカーで、体を支えるためにクラッチと呼ばれる杖を使って移動をするのが特徴的なスポーツである。

この発言に筆者はハッとさせられた。誤解を恐れずに言えば片足がないということは少なからず同情の対象でもあり、それを「可哀想」だと思っている自分がいた。しかし、全員が全員ではないものの、本人達にとって “障がい”は単なる身体的特徴でしかなく、決してディスアドバンテージではないケースもあるのだ。そういった考えの乖離に良くも悪くもショックを受けたのである。

1人の人間として見れば健常者と障がい者に隔たりは無くてしかるべきである。これは当然の話だ。しかし、取り巻く環境は大きく異なり、その最たる例が労働・雇用環境であることは間違いない。

障がい者の働く場所は作業所や工場などが大半であり、単純作業による給与の安さが1つの課題として存在していた。2016年12月に厚生労働省から発表された就労継続支援A型(※1)の平均賃金は6万6,412円である(※2)。これに障害者年金が加わり、やっと健常者と同様の生活ができるというのが現状だ。文部科学省は障がい者が積極的に社会へ参加し、貢献する「共生社会の形成」(※3)を1つのテーマとして謳っているが、この雇用環境1つを取ってみても、その実現は容易でないことがわかる。

障がい者アスリートが競技と仕事を両立できる施設

撮影:竹中玲央奈

そんな中、この問題の解決を目指すある施設がオープンした。東京は多摩センターにある一般利用が可能なフットサルコート「フットサルステージ多摩」に併設された「E’s CAFE」だ。日本で初めての障がい者就労支援のスポーツバーであるこのカフェは雇用する障がい者へ“10万円以上の賃金”を提供し、全国の福祉事業所のロールモデルとなることを目標にしている。パラスポーツの普及振興と障がい者の社会生活の支援を目的に様々な支援や運動を行っている一般社団法人パラSCエスペランサと日本財団、そしてコートの運営元である㈱クリエティブヘッズの3社が手を取り合ったことで、この施設の誕生した。

オープン前日である2月27日には記者会見が行われ、パラSCエスペランサの神一世子氏、日本財団理事長である尾形武寿氏、株式会社クリエティブヘッズの山田崚資取締役がそれぞれ設立にあたっての思いや経緯を語った。加えて、カフェの従業員が身につけるユニフォームのデザインを担当した女優の奥山佳恵さんも参加した。奥山さんは二次の母であり、次男がダウン症であることを告白している。

彼女も障がい者がより社会へ溶け込めるような世界の実現を願う1人であり、「誰もが生きやすい世の中に、すべての人が自分のしたいことをできるようになる世の中になってほしい」と語気を強めて口にした。

そして、約20年間に渡り脳性まひ者7人制サッカー(通称)CPサッカーのサポートに携わってきた神氏は2013年にヨーロッパへ行った際に見た「街角のカフェで障がいがある人たちがいきいきと仕事をしている姿」(神氏)が忘れられず、この経験が今回のプロジェクトの発端になったと語る。

「“働く”ということが選手たちのテーマというか、課題です。サッカーと仕事の両立が出来て、そこでサッカーやスポーツを通じて交流ができる場所を作りたいと思っていました。E's Cafeではカフェを通じて障がい者サッカーや障がい者スポーツをより多くの人に知らせていくと同時に、障がい者の人たちが楽しくイキイキと働けるような場所をスポーツというテーマで広げていって、全国各地で笑顔が広がれば良いなと思っています」(神氏)

同様のコンセプトを持つ商業施設を、今後全国にも展開していきたい思いがあるようだ。また、CPサッカーの選手はこのカフェで働くと共に、併設されているフットサルコートで練習に励むという。サッカーに集中しながらも就労が可能という意味で、障がい者アスリートにとっても非常に魅力的な施設と言えるだろう。

各々が秘める思いを言葉にしていったが、その中で印象的だったのが日本財団・尾形武寿理事長の言葉だ。

「通常、目に見えている社会は実は偏っている。障がい者も健常者もみんなが普通に生活をして初めて普通の社会であるし、そういう社会でなければいけない」

確かに、普段に生活の中で、障がい者と接する機会というのはほとんど無いように思える。だからこそ、時折目にする彼らに対して、通常とは異なる目線を向けてしまうという現実は少なからず存在するのだろう。

「健常者と障がい者がお互いを理解していくためには、交流の機会を増やすことが重要です。サッカーにはそのための大きな力があると信じています。本連盟は、JFAと各障がい者サッカーとをつなぐ中間支援組織として、広くサッカーを通じて、障がいの有無に関わらず、誰もがスポーツの価値を享受し、一人ひとりの個性が尊重される活力ある共生社会の創造に貢献することを目指します」(※4)

これは冒頭に紹介した日本障がい者サッカー連盟の会長を務める元サッカー日本代表の北澤豪氏の言葉なのだが、言及されている“交流の機会”は今の日本では、絶望的に不足している。これはおそらく事実であり、だからこそ先の尾形理事長の言葉も生まれたと察する。

フットサルを通じて、自然に“交流の機会”が生まれる

“スポーツ”は障がい者と健常者を繋げるために最も有効的なコンテンツだ。だからこそ今回のような施設が増えていくことに大きな意味がある。  様々な性別、年齢の人々が集まるフットサルコートには、これまでの人生の中で障がい者を身近に感じたことがない人もいるに違いない。

彼ら彼女らがフットサルをするべく、この場へ足を運び、そのまま打ち上げという形でE’s Caféに向い、お酒を飲みながら語らうとしよう。その中で自然と障がい者と接する流れがあるだろうし、それまで無かった理解が生まれ、社会のあり方を考えるきっかけにも成り得る。北澤氏の言葉にあった“交流の機会”が自然と生まれるこの場所の意味は、非常に大きい。

個人的な話になるが、筆者はこのフットサルコートには学生時代から通っており、毎週末に行われるチーム単位で参加するワンデーの大会に幾度も足を運んできた。そんな馴染みのある施設が“スポーツ”というキーワードを持って健常者と障がい者を繋ぐ場所を作り上げた事実に、大きな喜びを感じざるを得ない。

ただ、当たり前だがこういった1つの施設がオープンして終わりというものではない。多くの人が自然と障がい者と接する場も、健常者と一緒に働き、それに見合った対価を得られる場所もまだまだ足りていない。これを皮切りに、断続的にこういった施設が全国各地に広がっていくことを、強く臨む。

その先に、本物の共生社会は実現されるのだろう。

2017年04月04日    BLOGOS


「歩ける確率20%」からの復帰 障害者アスリート 成田緑夢さん

2017年04月05日 03時09分56秒 | 障害者の自立

ソチ五輪目指した4年前に事故

 来年の平昌(ピョンチャン)パラリンピックでメダルを狙う障害者アスリートの成田緑夢さん(23)=近畿医療専門学校。すでに障害者スノーボードのワールドカップ(W杯)で優勝。なにわが生んだ天才アスリートのインタビューの2回目。(聞き手 大宮健司)

 --フリースタイルスキーでソチ五輪を目指していた4年前、事故で五輪の道が断たれました。再びスポーツの祭典を目指している気持ちはどうですか

 成田 医師から「左足切断かもしれない」とか、「歩ける確率は20%、スポーツもできなくなる」と言われたところからパラリンピックに向けて一歩を踏み出せているのはシンプルにうれしいです。

プロフィル 

 成田緑夢(なりた・ぐりむ) 1994(平成6)年2月1日生まれ、大阪市出身。上宮高卒。小学生からスノーボードで国際大会に出場。同時に行っていたトランポリンでは2010年に全国高校選手権で歴代最高得点をマークし、12年ロンドン五輪代表の最終選考まで残った。その後、フリースタイルスキーのハーフパイプに転向し、13年3月に世界ジュニア選手権で優勝。4月に練習中の事故で「腓骨神経左膝下まひ」の障害を負った。現在はスノーボードで平昌、陸上競技で東京の両パラリンピックを目指している。

 --けがをしたときは

 成田 スキーの練習で足に5キロの重りをつけて(自宅の)トランポリンで跳んでいたんです。どんなエラー(不測の事態)にも対処できるつもりだったんですが、重りが計算外でした。脱臼か骨折くらいに思っていましたが、病院に運ばれ、うすうす違うことに気付いたんです。やばそうやな…と。医師や両親に「僕に病状は伝えないで」と伝えました。だから、一瞬でドーンとショック受けたとかはなかったです。

 

 --それでも、時間がたてば状況が分かってきますよね

 成田 けがの後も装具をつけていれば歩行や階段の上り下りはできました。それができれば、日常生活にはあまり支障を感じないんですよね。だから「もしかしたら行けるかな」と思っていました。

最悪の事態から小さな光が見えた

 --行けるとは競技復帰という意味ですか

 成田 そう。小さな光が見えていたんですよ。ショックを受けたのは次の冬に雪の上に立ったときでした。コントロールできなかったんです。「こんなに一気にできなくなるのか…」というショックがいっぺんにきました。ゲームにたとえると、20年間のデータがさーっと消去されていたんです。よくけがをした瞬間の感情を聞かれるんですが、スポーツの世界に復帰した瞬間の方が静かに深くショックを受けました。壁の大きさに心が折れるみたいな感じでしたね。

 --世の中はソチ五輪モードになっていく時期ですよね

 成田 つらかったです。日常生活では脳みそさんは「OK」と言ってくれていたので、希望をいだくじゃないですか。スポーツに復帰した瞬間に「まるっきり無理です」って…。本当にショックでした。

 --前を向けたきっかけは

 成田 五輪があったおかげで少なくとも一歩は踏めていたんです。なかったら矢印を向ける方向がないので…。真っ暗になっても五輪という光があって、あっちの方に何かあると思って一歩二歩を踏み出していたんです。光が消えても、僕はあそこの位置から進んできたんだって自信になった。だから、この位置から同じ方向へ進んだら、また違う視界が出てくるんじゃないかと延長線上を歩いてみたんです。予想した通り、見える視野が全然違ってきて、どんどん明るくなった。どん底で真っ暗闇だったのが一歩ずつ踏んで、1年たつと少しずつ明るくなってきたみたいな感じですね。

トランポリンの施設でトレーニングする成田緑夢さん=大阪市住之江区(山田哲司撮影)

トランポリンの施設でトレーニングする成田緑夢さん

2017.4.4    産経ニュース