藤井克徳さん新著、優生思想に警鐘
ユダヤ人を大虐殺したナチス・ドイツは、ユダヤ人だけでなく20万人超の障害者も虐殺した。優生思想の下で繰り広げられた迫害の現場を、福井県福井市出身のNPO法人日本障害者協議会(東京)代表藤井克徳さん(69)が取材し新著にまとめた。ナチス台頭のきっかけとなった第1次大戦終結から11月11日で100年。2016年の相模原障害者施設殺傷事件や旧優生保護法下の強制不妊問題も取り上げ「優生思想は日本にも深く潜み、今も頭をもたげる」と警鐘を鳴らす。
ナチス・ドイツの障害者虐殺は「T4作戦」と呼ばれ、第2次大戦開戦日の1939年9月1日、ヒトラーの署名で命令が下された。「働く能力のない」知的障害者や精神障害者を選別し、国内6カ所の施設に連れ込んで一酸化炭素ガスで殺害。キリスト教会の抗議で41年8月に中止したが、政権に代わって地方自治体が命令を出し、終戦まで続いた。
ナチスは「働けない障害者に税金を使うのは無駄」とする政治的宣伝を繰り広げており、新著の中で藤井さんは「障害者を価値なき者と断定した」と記した。医療関係者が積極的に加担したことも特徴と指摘。ガス栓を開くなど虐殺に関わり大量の臓器の標本を作った医師らを「ナチスの命令を口実に人体実験という欲望をかなえたかった」と断じる。
41年10月に本格的に始まったユダヤ人大虐殺に比べ、障害者虐殺が取り上げられてこなかったのは、犠牲者の家族による「内なる差別」があったからだとする。「身内に障害者がいることを知られたくなく、補償の訴えが鈍った」との見方を示す。
優生思想に基づく政策は当時、ドイツに限らず欧米各国で進められた。米国で1907年に世界初の断種法が制定され、福祉国家のスウェーデンも障害者の不妊手術を強力に進めた。日本でも41年に国民優生法、48年に優生保護法が施行され、強制不妊手術や人工妊娠中絶を施された障害者は、母体保護法に改定された96年までに8万人超に上った。
2年前に神奈川県相模原市の知的障害者施設で入所者19人が殺害された事件で、起訴された元施設職員の被告が「重度障害者は生きていても仕方がない」などと主張した。藤井さんは「生産性や経済性が人の価値をとらえる何よりの目安になり、競争についていけない者は劣る人、弱い人になってしまう」と述べ、背景に現代日本のゆがみがあると指摘する。
優生思想の芽を摘み、誰もが生きやすい社会に向け、多様性の尊重を掲げて差別や偏見を戒める障害者権利条約の理念実現を訴えている。
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新著「わたしで最後にして-ナチスの障害者虐殺と優生思想」は1620円(税込み)。第2次大戦開戦日の9月1日に合同出版から刊行された。
■地の底から辛苦のうめき声
こんな死に方はわたしで最後にして―。2015年夏、ナチス・ドイツによる障害者虐殺現場に足を踏み入れた藤井さんは、地の底から湧いてくるような辛苦のうめき声が、想像の奥にかすかに聞こえてきたと記す。
ドイツ中西部ハダマーに現存する施設のガス室は7畳ほどの広さで、一度に50人ほどが詰め込まれた。シャワー室を装っており、天井には水の出ないシャワーヘッドが据え付けられていた。タイル張りで排水溝もあった。「犠牲者は『シャワールームに入りますよ』という声掛けを信じ切っていたに違いない」とする。
殺害後は金歯を抜かれ、脳や臓器の標本が作られた。遺族には偽りの死因が書かれた死亡報告書が送られた。藤井さんは「つらいとか悲しいなどという言葉では言い表せない。筆舌に尽くしがたいとはこのこと」とつづり、「この本が、過ちを絶対に繰り返さないための歴史をつなぐバトンの一つになれば」と願っている。