ゴエモンのつぶやき

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災害時に聴覚障害者の目印に 手話サークルにベスト寄贈 兵庫

2015年06月28日 14時02分18秒 | 障害者の自立

 災害時に情報が伝わりにくい聴覚障害者に、手話のできる人を見つけやすくしてもらおうと、背中に「手話」と書かれたオレンジ色の防災ベスト100枚が「手話サークルあわじ」に寄贈された。

 洲本市山手のやまて会館で行われた贈呈式では、場外舟券売り場「ミニボートピア洲本」(同市海岸通)などを運営する「トランスワード」の橋本優営業統括部長(46)から、目録と防災ベストが贈られた。

 阪神・淡路大震災では避難所にいる聴覚障害者は、食事の配給などの情報が伝わりにくいうえ、手話通訳者が訪れても誰が聴覚障害者か分からなかったという。平成16年の台風23号では避難を促す広報車の音が聞こえず取り残された聴覚障害者もいたという。このため、手話サークルは手話のできる人を見つけてもらいやすくする防災ベストを考案、洲本市が仲介する形でトランスワード社が社会貢献として寄贈することになった。

 淡路聴力障害者協会の会員は約110人おり、手話サークルあわじ代表の小西幸子さんは「防災訓練やお祭りなどのイベントでもベストを着て周囲に存在を知ってもらい、聴覚障害者と手話のできる人をつなげるようにしたい」と話していた。

手話のできる人の目印になる「防災ベスト」が「手話サークルあわじ」に寄贈された=洲本市山手

2015.6.27      産経ニュース


障害者虐待通報、44件事実と判断 川崎市、防止法施行後131件中

2015年06月28日 13時58分01秒 | 障害者の自立

 障害者虐待防止法が施行された2012年10月以降、昨年度までに川崎市が受けた「虐待の疑い」の通報は131件で、市はこのうち44件を虐待と判断し、施設を指導するなどしていたことが25日、市議会での答弁などで分かった。

 障害者虐待を巡っては、山口県下関市の施設で知的障害者に暴行したとして元支援員が逮捕されるなど、社会問題になっている。

 川崎市によると、通報の内訳は(1)家族らによる虐待の疑い81件(うち虐待と判断した事例41件)(2)施設職員らによる虐待の疑い43件(同3件)(3)企業の使用者らによる虐待の疑い7件。(3)のうち強く虐待が疑われた3件は、調査権限のある国に伝えたという。

2015年6月26日     朝日新聞


地域の障がい者応援 宮田で駒ケ根高原ふくしセミナー

2015年06月28日 13時54分14秒 | 障害者の自立

 「第4回駒ケ根高原ふくしセミナー」(実行委員会主催)が26、27の両日、宮田村の村民会館を主会場に開かれている。障害のある人とその支援者らが参加して、「学ぶ・交わる・楽しむ」をテーマに料理やカラオケなどの体験セミナーを展開。27日は福祉に関わる地元女性3人のシンポジウム、画家でグラフィックデザイナーの原田泰治さん=諏訪市=の基調講演を計画している。

 県社会福祉事業団などが実行委員会を組織。全国に先駆けて知的障害者の地域生活移行を推進した「長野(西駒郷)モデル」を情報発信するとともに、イベント参加を通して、地域で生活する障害者の豊かな暮らしづくりを応援しようと開いている。

 初日は県内各地の福祉施設などから約400人が参加。カラオケのど自慢大会、お弁当教室、フラワーアレンジメント教室、アートワークなどのセミナーを繰り広げた。

 お弁当教室は、駒ケ根グリーンホテル総料理長の山越信治さんの指導で五平餅を作り、卵焼きやホウレンソウのおひたしなどを弁当箱に詰める作業を体験した。24人の参加者が5班に分かれ、協力してご飯をつぶして丸め、みそを塗って焼き、五平餅を仕上げた。行事食の大切さも学んだ。

 開会式で実行委員長の和田恭良・県社会福祉事業団理事長は「2日間のセミナーを通して1人でも多くの人が新たな体験をし、明日からの生活に取り入れてほしい」と呼び掛けた。

 27日は午前9時30分からシンポジウムで「3人の『熱い』女性が語る~共生社会の実現に向けた地域づくり・人づくり」をテーマに、松本徳弥さん(かいご家代表)、大石ひとみさん(わが家代表)、古谷葉子さん(大曽倉ふれんど代表理事)の3人が思いを発表する。基調講演は午前11時から、原田さんが「一本の道」と題して話す。ともに参加無料で、一般も聴講できる。

2015-6-27      長野日報


ブラジル流お仕置きが豪快すぎ! 障害者専用スペースに勝手に駐車したらエラいことになった

2015年06月28日 12時47分29秒 | 障害者の自立

皆さんは、ブラジルにどんなイメージを持っているだろう? ラテン系の陽気なノリ? 情に厚そう? でも、ちょっと怖い??

今、ネット上で、そんなブラジル人集団によるブラジル流のお仕置きが大きな話題になっているぞ! クルマが障害者専用スペースで駐車違反、その結果、想像すらしなかったトンデモ制裁をくらってしまったというのだ。さっそく動画「PEGADINHA: Vaga Para Deficiente 2 – Post It ( handicapped parking Prank)」で確認してみよう!!

・障害者専用スペースに違反駐車したらこうなった
障害者専用スペースに違反駐車した男性が受けた罰とは……映像を見れば一目瞭然だが、あえて説明しよう。それは、車体全体にポストイットを貼られまくるというもの! 

タイヤもサイドミラーも、フロントガラスも!! 何百枚という青色のポストイットでクルマが覆われているのだ。しかも側面には白のポストイットで大きく車椅子のマークが作られている。「ここは障害者専用スペースですよ」と主張しているのである。

https://www.facebook.com/hashtag/evamonessamaluco?source=feed_text&story_id=841890702532630

・クルマの持ち主はブチギレ!! 集まった市民は大爆笑
愛車がエラいことになって、車の持ち主は呆然!! 運転席に乗ろうにもポストイットが邪魔でドアがあかない! 発車しようにも、ポストイットで前が見えないから運転できない!! そんな様子を大勢の野次馬が爆笑しながら見ているのだ。

持ち主は怒りと恥ずかしさで、「ワーッ」とポストイットをはがしまくるも、その姿がまた滑稽だ。ますます市民の笑いを誘い、ブチギレながらポストイットだらけのクルマで逃げ去っていくのであった。ちなみに、駆け付けた警官により違反切符も切られたとのことである。

・一体誰がやったの?
この様子は居合わせた市民により激撮され、YouTubeで公開! するとネット上で大きな話題となり、再生回数160万回オーバーの大ヒットになっている。それにしても、このお仕置きは一体誰の仕業なのだろうか?

このポストイット制裁を行ったのは、ブラジルのイタズラ集団「Canal Boom」である。Canal BoomのYouTubeチャンネルには、ポストイットを貼るシーンからの一部始終が公開されている。こちらも再生回数が120万回を突破中だ。

ユーモラスな方法で、違反者にシッカリとお仕置きをし、しかも市民やネットユーザーを笑わせてくれるなんて、なかなかできる仕事じゃない。さすがは、陽気で豪快なブラジルである!

ロケットニュース24       6月26日


「障害児を生んだ親は反省しろ」で炎上の医師も...広がる生の選別と障害者差別の思想

2015年06月27日 02時02分52秒 | 障害者の自立

広がる生の選別と障害者差別の思想

 先日、ある医師がFacebookに投稿した記事が大炎上を起こした。内容は以下のようなものだ。

〈障害の子どもさんが生まれるというのは、いかに産む前妊娠前に両親が食と生活が乱れているかの証、それは一生かけて反省しなければなりません。それを抱えてその子を一生守り続けていくことが、真の親に課せられた試練なのです♪〉

 障害をもった子どもが生まれた責任は親にある──。こう書き記したのは、自ら"キチガイ医"と名乗る、NPO法人薬害研究センターの理事長であり精神薬の断薬を行うTokyo DD Clinicの院長である内海聡医師。以前から"抗うつ剤は覚せい剤と基本同じ"と言ったり、生活保護受給者を"クレクレDQN"と評するなど、ネット上で炎上を繰り返してきたが、今回の彼の主張には産婦人科医の宋美玄氏が〈障害児を産むことは『親のせい』『不摂生』などではないことは改めて説明するまでもありません〉〈産婦人科医としてはっきり否定いたします〉と反論。

 一方、乙武洋匡氏もTwitterで「うちの親にも深く反省するよう、よく言っておきます(笑)」と反応し、こちらも話題を呼んだ。

 しかし、内海医師は炎上後も〈障害者の親は一生反省してもらってけっこう〉と述べるなど、発言をますますエスカレートさせている。自らのオカルト的信仰を主張するためには、障害者を差別し、傷つけることもいとわない。そのメンタリティは「障害者は前世の因縁」などというインチキ新興宗教の教祖とほとんど変わりがない。

 さらに愕然とするのは、この内海医師に対して「障害があるとわかって産むのもおかしい」「言ってることは間違ってない」「一生国に迷惑かけるんだからね わかっていて生む奴は批判されて当然」などという肯定的な意見が目立つことだ。

 こんな差別丸出しのグロテスクな意見が大手をふってまかりとおるとは......。しかし、こうした「障害児は生むな」という反応は、近年、とみに増えている。とくに、妊婦の血液を採取して胎児の染色体や遺伝子を調べる「新型出生前診断」が2013年4月から導入されるようになってからは、"異常が分かれば中絶すればいい"という意見が散見されるようになり、事実、導入開始から1年半で1万2782人が出生前診断を受け、羊水検査などで異常が確定した176人のうち、人工妊娠中絶をしたのは167人、妊娠を継続したのは4人という。

 内海医師は障害のある子を育てることを〈試練〉と表現したが、出生前診断の結果による中絶率の圧倒的な高さを見ても、多くの人が「障害をもった子は生めない」と考えていることがわかる。だが、なぜ障害をもった子を生めないと思うのか、その社会的背景が論じられることは少ない。

 今年3月に発売された『「共倒れ」社会を超えて 生の無条件の肯定へ!』(筑摩書房)は、こうした問題と真正面から向かい合う。著者である野崎泰伸氏は自身も〈肢体に先天的な障害〉をもち、現在、立命館大学大学院で教鞭をとる倫理学を専攻とする学者だ。

 野崎氏は、この出生前診断について、〈じつはこの社会は、「新型」検査が、生命の選別を行うツールであるということから目を逸らしているのではないか〉と指摘。そして、問題の本質は〈費用対効果の良し悪しをひとつの判断基準とする制度設計をし、障害があるとコストがかかるという理由で〈望ましくない生命〉であるとする優生思想にあります〉と述べる。

 まず、よく知られているように、ナチスドイツにおいては優生思想に基づいて〈「生きるに値しない」重度の障害者や遺伝病、あるいはアルコール依存の人たちをガス室に閉じ込め、抹殺した〉という歴史がある。他方、日本でも同様、戦中に「国民優生法」を施行し、障害をもつ人々への不妊手術を実施した。さらに戦後には「優生保護法」と名を変え、〈「不良な子孫」を産ませない〉政策がとられた。しかも、「遺伝性疾患」に加えて、精神病や精神薄弱、ハンセン病なども対象となり、本人の同意もなく行われた不妊手術の件数は、法改正がされた1996年まで約1万3000人にのぼる。

「障害をもつ人は、いないほうがよい」......このような考えには〈優生思想が深く関わっています〉と野崎氏は述べる。だが、ここで忘れてはいけないのは、「優生保護法」が運用された理由は「不良な子孫を産ませない」だけではない、ということ。そこには戦後の人口増加を減らしたい、福祉による経済負担を減らしたいという思惑もあったのだ。いわば、国家の経済的な都合を、「産んでいい子ども、産んではいけない子ども」という"命の選別"の問題にして広めたのである。

 そして、いま、新型出生前診断の導入によって、国家による〈直接的な管理〉から、〈個人やカップルが、障害をもつ胎児を「自発的」に中絶するように〉変わった。なかには、当事者に選択権が与えられるようになったのだからいいのでは?と思う人もいるかもしれないが、むしろ、いま浮き彫りとなっているのは、"当事者への責任の押しつけ"だ。

〈「新型」検査を利用するかどうかを、カップル、とくに妊婦の選択にゆだねることによって、つまり、「妊婦の自己決定」とすることによって、大半の責任を当人たちに押しつけているように思えるのです〉

 しかも、検査によって障害が認められ中絶を選択する人は、前述したように圧倒的な数字だ。なぜ中絶を選ぶのか、その理由を野崎氏はこう分析する。

〈(検査結果によって中絶を選ぶ人は)心のどこかで、障害をもっていることは、いのちの質が劣っていることだと思っているはずです。ここで言う「いのちの質」は、多くの場合、育児に要するコストに見合うだけの成果が見込めるかどうか、で決まっています。つまり、ここでは、より多くのコストをかけて育てなければいけない生は、資源を無駄遣いする劣った生であると捉えられているのです〉

 コストの問題ではなく、障害をもって生まれれば、その子が苦労するから産まないのだ──そう反論する人もいるだろう。だが、それでも野崎氏は〈しかしそれは、あまりに一面的な考え方ではないでしょうか〉という。

〈百歩譲って、障害をもつ人がこの社会で生きようとすれば苦労が絶えず、かわいそうなこと──私はそう思いません──だとしても、そうした見方は、今の社会はけっして変わりはしないという前提に立っています。そこまで障害者に苦労を強いて、かわいそうな存在にしてしまうこの社会とは、いったい何なのでしょうか。(中略)そこを問わないまま、妊婦やカップルによる「自発的」な選択の是非を論じても、問題の本質は何も変わりません。障害があるというだけで、障害者が犠牲の構造に巻きこまれていることこそが問われなければならないのであって、それこそが出生前診断に関する真の問題なのです〉

 選別される生などない。障害をもつことが"生きづらい"、その社会のあり方そのものが問題なのだ。しかし、一方で社会は、このような意見に耳を貸さない。〈現安倍政権は、異質な人間を排除し、同質な人間をのみ成員とする社会を作ろうとしているように思えてなりません〉と野崎氏も言うように、排他的な〈閉じた社会〉化はよりいっそう進んでいる。

〈この社会において私たちは、「生そのもの」を一般化・抽象化していく圧倒的な権力に巻きこまれています。しかも、その状況は、「どうせこの社会は、すぐには変わらない」「そんなことをしても仕方ない」と口にしてしまいたくなるほど、深刻なところまできています。福島第一原発が起きても原発がなくならないのは「仕方ない」、ヘイトスピーチがあるのは「仕方がない」、この社会の役に立たない人間に社会保障なんて必要ないし、死んでいったとしても「仕方がない」......。こうした風潮が、「生そのもの」を一般化・抽象化し、私たちに「犠牲」を強いたり、自ら率先して「犠牲」を受け入れるよう仕向けたりするのです〉

 いまの日本の社会では、〈社会のあり方に疑問があっても何も言わないのが美徳〉とされ、〈異論が出ても黙殺されてしまい、社会の「同質性」はそのようにして保たれ〉ていく。言っても無駄、言わないほうが得......そう思い込ませる社会は、無論〈権力の作用〉によってつくられている。これを突破するのに必要なのは、このお手盛りの構造に抗うことなのだ。

「障害をもった子どもの責任は親にある」という主張や、「障害をもった子は産まれなくていい」という論調がまかり通る、現在の社会。それがいかに思考停止の状態か、ぜひ本書を読んで多くの人が考えてみてほしい。

2015年6月25日    livedoor