ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

習志野市、評価を全部黒塗り 市採用の障害者男性、解雇理由求め審査請求

2016年06月29日 03時41分25秒 | 障害者の自立

 習志野市に正規採用され、試用期間終了後に解雇された障害者の男性(28)が解雇理由に関する自己情報の開示を市に求めたところ、評価の記載部分が全面黒塗りで開示された。男性は二十七日、「不開示は不当」と全面開示を求め、市に異議申し立ての審査請求をした。市は受理、弁護士や大学教員ら五人でつくる市行政不服審査会で審査する。

 男性は解雇日の今年二月末、自身の勤務評価の開示を請求。市は翌月下旬、男性が勤務した介護保険課と総務課のそれぞれ勤務実績報告書など計四通を公開したが、評価部分はすべて黒塗りだった。男性は今月十三日に再申請したが、開示内容は変わらなかった。

 試用期間を解除し正式採用するか判断する際、市は責任感や仕事の速度など十七項目の総合判断で評価する。市は解雇理由について「男性は基準に達しなかった」とだけ述べ、詳細を明かしていない。

 男性の請求に基づき公開された文書によると、十七項目の配点に加え、男性の点数と総合得点の部分を非公開とした。また両課長による自由記述も評価部分を黒塗りとした。市は「職員のありのままを評価するのが基本。配点が分かると、作為が生じて評価ができなくなる。自由記述も点数が推測できる」と、今後の勤務評価に影響が出ることを非開示の理由としている。

 男性は審査請求書で「不当解雇された上に、まともな説明すらしてもらえない二重の苦しみを受けている。憲法の『知る権利』の否定で、透明性が求められる自治体行政ではあってはならない」と指摘している。

2016年6月28日   東京新聞


【青が咲く夕刊編 第2章 「いま」に向き合う①】障害?「必ず自立する」

2016年06月29日 03時34分34秒 | 障害者の自立

 「息子さんには軽度な知的障害があるようです」
 中学3年の夏だった。児童相談所の職員が母親(42)にその旨の検査結果を伝えた。
 「僕がショウガイ?」。由布市湯布院町出身の芝雄斗(ゆうと)(19)は事実をうまくのみ込めなかった。「うそやろ?」
 
 小学校時代、成績は悪くなかった。授業が理解できなくなったのは中学に入ってからだ。
 それまでは、体にハンディのある人だけが障害者と思っていた。自分は健康体。むしろ頑丈だ。「じゃあ僕は何なんだ」。悩み、あがき、苦しんだ。
 知的障害―。クラスの仲間や学校に漏れ広まるのが嫌で、夏休み明けの2学期から学校に行かなくなった。
 〈障害 原因 治す方法〉。インターネットの検索サイトに関連の語句を打ち込み、自宅で調べまくった。「何で障害があるん?」。母に何度聞いたか分からない。「どうしたら治るん?」。ネットも母も明確に教えてくれなかった。
  
 幼い頃、父親を事故で亡くした。母は働きながら、僕を育ててくれた。
 「今までずっと苦労させてきた。大人になってまで迷惑を掛け続けるわけにはいかない」
 昨春に地元の支援学校を卒業後、大分市内の障害者就労支援施設に入った。湯布院町の実家を離れ、施設隣接のグループホーム(寮)で暮らし始めたのは将来を思ってのことだ。
 最近、母が亡くなったときのことを考える。障害とともに1人で生きていかなければならない日が来るかもしれない。
 「いつまでも親に頼れない。早く独り立ちせんと…」 
 
 もう19歳。同世代の多くは学生や会社員として「社会」に羽ばたいている。改正公職選挙法が施行され、今回の参院選から18歳以上にも選挙権が与えられた。世間的にはオトナだ。
 「今まで周りに支えられてきた。いつかは一般企業で働き、少しでも恩を返しながら社会に貢献していきたい。障害だったからこそ得たことも多い」
 きっと頑張れば報われるはずだ。必ず自立してみせる―。
 午前6時45分。施設の先輩と車に揺られ、今日も大分市内の漬物工場に向かう。
 =敬称略=
 年間企画「青が咲く」夕刊編の第2章は、自分を乗り越えようと頑張る新有権者3人の今を追う。 (6回続き)

芝雄斗は大分市内の漬物工場で働く。「先輩たちにいろいろ教えてもらっています」

 ※この記事は、6月27日大分合同新聞夕刊11ページに掲載されています。


ユニバーサルデザインに理解 大成小児童が加齢、障害の負担体験

2016年06月29日 03時26分50秒 | 障害者の自立

 郡山市は27日、同市の大成小でユニバーサルデザインの出前講座を開き、児童が高齢者や視覚障害者の身体状況を疑似体験した。

 同校の総合的な学習の一環として、子どもたちに福祉に関心を寄せ、住みよい町づくりについて考えてもらおうと開かれた。4学年の児童約120人が参加した。

 授業では、市の担当者がユニバーサルデザインの考え方や取り組みについて紹介。その後、児童は重り付きのベストや視界を悪くするゴーグルなどを身に着け、手を取ってもらいながら室内を歩いて加齢や障害による負担を体験した。

高齢者や障害者の身体状況を疑似体験する子どもたち
 
2016年06月27日 福島民友

参院委員会で意見陳述 ALSの岡部氏「難病でも“境を超える”しなやかな社会を」

2016年06月29日 03時17分52秒 | 障害者の自立

 日本ALS(筋萎縮性側索硬化症)協会会長の岡部宏生さん(58)が障害者総合支援法改正案の審議のため国会に招致されたのは、5月23日。その際の質疑を通じ、ヘルパーとの「口文字(※1)」を使った会話は多くの人の目に触れた。岡部さんのしゃれたいでたちも話題に。岡部さんに話を聞きました。

*  *  *
 議員らから「今回のことは本当に真剣に受け止めなければならない」「さまざまなコミュニケーションの方法について、もっと理解を深める必要がある」など、うれしい反響がありました。街中で「ニュースを見ました。頑張ってください」と声を掛けられることもしばしばあり、驚いています。

 外出時はいつもあのような服装です。ジャケットは着ないことが多いですが。帽子は、黄斑変性症という目の病気のせいで議場の照明がまぶしく、ヘルパーの顔が見えないので、委員長に許可を得てかぶりました。

――今回の意見陳述までには曲折があった。当初5月10日に予定されていた衆議院厚生労働委員会への招致が突然、見送られたのだ。

「時間がかかって質疑が十分できないので、別の人に代わってほしい」と言われたときは、怒りより驚きのほうが大きかったです。国会の、福祉に関する理解を最もしているはずの厚生労働委員会で、障害があることで排除されたわけですから。まさか取り消されるなんて、という気持ちでした。

――代わりに出席した同協会の金澤公明常務理事は、「看過できない障害者差別がある」という岡部さんのメッセージを紹介した。

 あの日は傍聴席にいました。自宅から国会までは介護タクシーなら30分ほど、地下鉄なら1時間ほどです。メッセージが読み上げられると議場がざわついたので、私の気持ちが届いたのかなと感じました。

――岡部さんがALSを発症したのは48歳。重度訪問介護の給付が確保できなければ、自発呼吸が難しくなっても、人工呼吸器をつけないつもりだったという。

 全身不随で人工呼吸器をつけるか、つけずに生きるのをあきらめるか。後者を選ぶ患者が7割です。病気の過酷さもありますが、家族の介護負担や経済的負担を憂慮するためです。

 ALS患者は人工呼吸器のため、コミュニケーションに苦労します。私は主に口文字で会話しますが、この方法を習得するには、患者、ヘルパーともたいへんな努力が必要で、会話が成り立つまで1年、普通に会話ができるまで2年かかりました。口文字がわかるヘルパーはとても少なく、患者の多くは「文字盤(※2)」などで会話をしています。

――時には口文字でジョークを飛ばし、周囲を笑わせる岡部さん。が、そんな高度なコミュニケーションがとれる患者は多くない。

 私自身、入院中にリハビリを受けることができず、肘が拘縮(こうしゅく・関節が固まって動かない状態)してしまいました。(慣れているヘルパーが付き添えず)コミュニケーションに時間がかかるため、忙しそうにしている医療者に希望を伝えられなかったのです。

 それでも日本はALS患者からしたら恵まれた国です。医療保険制度で人工呼吸器を給付されるのは、日本とオランダ、台湾ぐらいです。多くのALS患者が人工呼吸器をつけてでも生活できる社会になってほしい。難しいことかもしれませんが、そういう社会はしなやかで強い。“境を超える”ことが大事なのです。

※1 介護者が患者の「あ・い・う・え・お」の口の形を読み取り、その段を例えば「あ」なら「あ・か・さ・た・な……」と読み上げて、患者が瞬きした文字をつなぐ。

※2 50音が書かれた透明な文字盤上の文字を患者が目で追い、介護者は反対側から視線の先の文字を拾う。

日本ALS協会会長
岡部宏生さん
おかべ・ひろき/東京都出身。2006年春にALSを発症し、翌年春から在宅療養に。09年2月に胃ろう造設、同年9月に気管切開を行い、現在は人工呼吸器を使用。月に20日は協会の活動などで外出し、積極的に国内外で多くの人々と関わって情報を発信している 

週刊朝日   2016年7月1日号


障害とは体で考え 車いすバスケ元代表が指導

2016年06月29日 03時09分49秒 | 障害者の自立

 2020年東京五輪・パラリンピックに向け、日本財団パラリンピックサポートセンターは27日、障害者スポーツ元代表選手を学校に派遣する体験授業「あすチャレ! スクール」を三沢市で開いた。今年4月に始まり、東北では初。
 上久保小での授業には2000年シドニー・パラリンピック車いすバスケットボール代表キャプテンの根木慎志さん(51)が参加。ミニゲームを通じ、4~6年生の児童約180人と一緒に障害とは何かを考えた。
 根木さんは「障害者はいつも困っていると思われるけど、それは時と場合による。車いすバスケでは何の障害もないが、学校では階段が障害になる。障害は社会の中で生きづらさを感じることだ」と語った。
 体験授業は30日まで三沢市内の計8校で実施。本年度は全国の小中学校、高校計100校で展開し、20年までに1000校達成を目指す。

車いすバスケを通じて障害者スポーツへの理解を深めた体験授業

2016年06月28日   河北新報